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~僕の指は3分の3~ 障害を抱えた人生の生き方 すらいむですよ

 生きてる以上
 出来ることがある 

宮本亜門NHK「最後の講義」より

クリエーター名、「すらいむ」こと23歳の藤岡新大(フジオカアラタ)さんは800人集まった『らくらく売る人のアタマの中』出版記念講演会で65歳の友人Kazu(板橋公一)から紹介された。

12月17日が誕生日の俺と1日違いの12月16日生まれで、生まれつき左指3本、右指4本の裂手症。Facebookで共通の友人に、voicyラジオで対談し、先月結婚した全盲のおーちゃん(大平 啓朗)がいたことで親近感をもった。

彼は現在大学院生でありながら、友人の会社で経営に携わり、起業する予定だ。2023年に放送した中で最も将来が楽しみな輝く若者だった。ピュアに今を楽しんでいるように見えた。彼とのvoicyラジオ対談、フォローして聴いてほしい。

先にも触れたように1万人に約1人という確率で「裂手症」という障害を持って茨城県で生まれた。幼稚園の頃は人と違うことについて何も考えていなかったが、小学生になると指が欠損していることで3つのことが大変だった。それは、手袋、リコーダー、道徳の授業。

まず、指3本の手袋がない。切って縫ってオリジナルの手袋をつくったが、思春期の小5くらいになると、手袋を落とすと自分と特定されるので嫌だった。2つ目はリコーダー。指7本で、どうやって吹いていたのか?指7本専用のリコーダーがあったが、通常左手が上だが、すらいむは右手が上になる。押さえる指の間隔の微調整が必要で超難しい。先生も誰も教えられない中で自分で考えてやるしかない。だから、小学生で早くもクリエイティブな思考が磨かれた。3つ目は道徳の授業。先生の言うことは絶対的な環境の中、「障害者に優しくしなさい」と言われることに違和感があった。障害福祉の話をする週1回の道徳の時間が嫌になり、嫌いな教科が「道徳」になった。先生によって、その教科が好きにも嫌いにもなると改めて思った。

親の影響で手を使わないサッカー、水泳、公文を学び始めた。その頃から社会に疑問を持ち始めた。コンプレックスは人それぞれあるが、「僕は指でした!」と彼はいう。中学に入ると周りは知らない人ばかりで、幼稚園・小学校まで一緒だった友達は一人もいなかった。ビクビク人目を避けるような生活に変わった。孤独感や不安感でいっぱいで指の欠損がコンプレックスの塊だった。
中学入学4日目。
「あれ!?藤岡くん、指どうしたの?」
指7本を見たリアクションが
「あっ!?」。
「ボクは人と違うんだ!人に驚かれるんだ!」と否が応でも人との違いを意識せざる負えなかった。

再びリコーダーの時間。アルトリコーダーになって小学生でゼロから始めた技術や知識が役に立たない。さらに難易度が上がった。部活はサッカーを始めたが指の事が気になって集中できない。自然とサボり気味になった。活発で元気で積極的だった小学生から消極的な中学生になった。一番悩んだ時期は中2だった。ストレスで帯状疱疹になった。スマホが流行り始めて写真を撮る時、ピースができなかった。
「モテたい!」
と思い始めても、自分に自信がなかった。好きな女の子が病気の話をしてた時、マイナスのイメージだった言葉に傷つき撃沈。
「何でボクだけ・・・」
そんな不安と怒りを両親にぶつけて
「何でオレを生んだんだ!」と、大喧嘩にもなった。

志望校の公立高校に落ちて私立高校に入学することになった。またしても知っている人が一人もいない世界。障害者手帳を持っていなかったから先生にも伝わっていない。夏もポケットに手を入れて指を隠していると、周りから
「カッコつけか?」
その頃、唯一の生き甲斐がゲームだった。

800人中、下から数えた方が早い成績に、さすがに両親から「勉強しなさい!」と怒られた。高2の時、人生を変えることがあった。目立つのが嫌だった彼が、数学で学年トップになったのだ。廊下に張り出されたら、
「おまえ、1位の頭いい奴じゃん!」
周りから注目されるのが嫌だった「障害者」という思い込みが外れ、世界が変わって見えた。学年1位を取った途端、「頭のいい奴!」って言われるようになってネガティブだった気持ちがポジティブになった。
「もっと自分の中のコンプレックスを超えよう!」
「メッチャいい大学に入る!」
という目標ができた。猛勉強し5年前に第一志望の国立大学に合格した。
「上書きできる実績があれば人生は変えられる!」
自分に自信を持てたら彼女もできた。そして今、大学院生になった。

高校生の後半、「人と違うことをしたい!」と思い始めていた。YouTubeでゲームの実況を友人たちと「〇〇ですよ」と名乗り3人でやったが、友人が辞めて解散した。

「大学入ったら遊ぶぞ!」
と思っていた矢先、コロナ感染が拡大したので大学2年からSNSを始めた。
大好きだった料理屋さんをやっていた祖母が亡くなった。祖母が料理を振る舞う姿から、
「自分にも何かを与えられないか?」自問自答した。

コンプレックスだった指の欠損を強みに変えてSNSで「障害!」を発信していこうと決めた。最初に目を付けたのがTiktokだった。
「7本の指を出したらスクロールが止まるはず!」
という思惑は当たった。YouTubeの経験を活かし、手足のないドラクエの「すらいむですよ」と名乗りTiktokをスタート。

声を加工して指を前面に出すと300万再生されて一気にフォロワーが増えた。3日でフォロワーも2万人を超えた。インスタ、X、YouTubeでも発信を始めた。フォロワーが増えると「案件」をもらえるようになって仕事に繋がっていった。自分なりの「give」から始めたことが自然と仕事になった。

3年前、10月から12月にYouTubeをやってきて1月からクリエーターとして動こうと思ったが、仕事って何をどうしたらいいかわからない。そこへ1月、clubhouseが始まった。1月から3月、多くの人と繋がった。SNSを伸ばす部屋にいくと、「逆に話して!」と依頼されるようになった。大学3年の時、会社の仕組みがわかってきたところでアカウントを5つに量産してアフィリで稼げるようになった。

大学4年になって、「何でSNSを始めたんだっけ!?」原点に戻ると「障害が抜けている」と気づいた。SNSの仕事をいくつか整理して大学院の勉強を始めた。同時にオンラインからオフラインに移行。毎年開催される「脳卒中フェスティバル」「鬱カフェ」などのイベントに参加し、障害者自身に向けたイベントもいいと思えるようになったが、一歩も踏み出せないまま、大学生活が終わった。

大学院に入ると、知人と2人で会社を立ち上げ、会社役員となってWebの会社をスタート。SNSの運用代行も少しずつ手掛けるようになった。その頃、リスタという会社のスタートアップ事業に「マネージャーとして入ってくれないか」と声がかかった。

身体障害者向けキャリアアップオンラインスクールだった。医療従事者が在籍し企業と障害者をマッチングさせて送り出すまでする仕事。代表も障害者当事者らしい。物理的な距離の問題をオンラインで就労支援していく。就労支援B型事業所の時給が240円など、障害者雇用の実態と課題を知った。

会社は障害者を求めている。障害者を雇わないといけないルールがあるからだ。障害者雇用率はvoicyラジオを収録した令和5年度においては2.3%だったが2024年4月に2.5%に引き上げられ、2026年7月に2.7%に引き上げられる予定だ。50人以上の企業であれば障害者雇用率に真剣に取り組まねばならない課題だから、彼らはそれを解決していく。取引先が大企業になるのは障害者にとっても、大企業にとっても、リスタにとっても、Win-Win-Winの三方良しの関係になった。リスタも彼も、目の前の課題解決のためイノベーションを目指し幸せのループをつくっている。

2023年の出来事。
自分の会社を起業したこと。リスタにジョインしたこと。
これからの目標は、会社をもう一社設立すること。それはティラミスを作る会社で、裏方は障害者にやってもらう予定だという。講演事業を広め発信していく。SNSを引き続きやっていく。彼のメンターの一人、本田健さんが後悔しているのは就職を経験していないこと。だから、1回は就職したいらしい。
「不便はあるが、不便があるからこそ頑張れる」
「いい偶然をたくさん拾い集めて未来の自分が何をしたくなるかわからないから、選べる選択肢が多い方がいい」という心の余裕を感じた。

その時できることを精一杯やることで自分にも社会にも良いことを引き寄せているのが凄い。何より「今」を楽しんでやっているのがいい。彼は価値観を変えて、障害者の社会進出だけでなく、誰もが自分らしく生きられる社会、誰もが幸福を実感できる世界を創ろうとしている。去年最後の放送は、未来が限りなく明るい大学院生「すらいむ」だった。

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 君が舞台に立った瞬間、
 お客さんは君から目が離せなくなる。
 天性のものでしょう。
 僕とは間が違うが、君はそれでいい。
 君は君のままでいなさい。
 最初から 
 そない言うてくれはったらええのに・・・
 答えは自分で探し出すものです。
 何事も道のりは険しい。
 だからこそ面白い!

NHK朝ドラ『ブギウギ』より

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