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[AI中山]をオンライン会議に参加させた話⑤[最終話]AIを使うか,使わないか

 オンライン会議に、自作のAI画像を参加させた「実験」から学んだことを通して「生成系AIを使ってみた」について語る話の5回目(最終話)です。

前回までの話
・仕事があまりにも忙しいある日、自分の分身=「AI中山」を作ろうと思い立った。
・Chat-GPTの機能をフル活用しつつ、夜や休日に設計に勤しんで「AI中山 1号」完成。
・Zoom会議で「AI中山 1号」、改良版の2号にプレゼンさせる実験は成功。
・対話型の3号では、①会話のタイムラグ ②過去に僕が言ったことを覚えていない ③口パク同期ができない という課題により大失敗。
・「AI中山」の実験は、技術進歩が避けられない未来を前に「AIとの共存」を見極める意味があった。
・「AI中山 3号」の課題は、前代未聞の技術進化で克服されつつある。
・いずれ「AIか人間かがほとんどわからないAI」ができるだろう。早ければ2年くらいで。


「自分の身代わりAI」が誰でも作れる時代に

 前回、「AIか人間かがほとんどわからないAI」がいずれできるだろうと書きました。「AI中山4号」ではまだ無理でも、この進化のスピード感から考えるに、2年後には確実に、僕の身代わりになれる「AI中山 5号」は完成するでしょう。

 そして、今の僕のように1からプログラミングしなくても、写真を読み込ませたら「自分AI」が誰にでも作れる。そんな時代が到来します。

AIに分散させて会議やコミュニティに参加

 話を聞くだけでいいオンライン会議には「AI中山 5号」が出席し、あるコミュニティの集まりには、「AI中山 6号」が出ていく。7号はあれ、8号はこれに、9号は…。オンラインを通した画面の向こうの存在が、僕なのかAIなのかは、ほぼわからない。

 「ばれないからといって、本当にそんなことしていいのでしょうか?」「気持ち悪くないですか?」という反応もあるかもしれませんが、そうでしょうか?

「AIに任せればいい」という価値観へ

 僕らは、最初は批判や違和感ありありだったのに、やがて自然に、AIか本人かは気にしないで、その人と仕事したり、話したり、オンラインゲームしたりすることに慣れてくるはずです。

 そしていつか、「AIに任せるのが可能なことは、AIに任せればいい」という価値観の時代がやってくると思います。

 相手の性別や年齢というところも超えて、人間だろうが、コンピュータだろうが構わない。質問にちゃんと答えてくれる、自分にとって心地いい会話ができるような相手であれば…。

 そんなふうに、だんだん違和感がなくなってくるのではないかと思います。

 僕は「AI中山」での実験を通じて、多分人よりも早くその世界に入ってみたことで、そういう「相手が人間でもAIでも違和感のない世界」に世の中が自然に移行していくのではないか、という予感がさらに強まりました。

人間であることが価値をもつ世界

 一方で、人間であることが価値をもつ世界も間違いなくあります。例えば、将棋とか囲碁の世界では、すでに人間はAIに勝てませんが、AI同士の対局を観戦する人がいるでしょうか? ニュースになるでしょうか?

 藤井聡太くんはAIを相手に強くなったと言われますが、僕らはやっぱり藤井聡太くんの対局を見てみたい。

 その人が誰で、どんなストーリー、どんな歴史、どんな背景を持ち、ここまで成長してきたのかというところに、人は価値を覚え、共感するのだと思います。

相反する価値観が、今後混在していく

 多分、今述べたような、「AIでいいじゃない」、「AIだとダメなんだよ」という、2つの相反する価値観が、場面・場面で混在しながらこれからの社会が構成されていくことになるでしょう。

 僕たちは、これらを早く見極めなければなりません。

「AIを使った方がいい仕事、だめな仕事」の見極め

 特にビジネスでは、AIを使ってビジネスをする場合「できるのなら何でもAI」ではなくて、「AIを使った方がいい仕事、ダメな仕事」の見極め術が大切になってきます。

 誰もが考えていかないと、ビジネスの場合、間違ったほうに投資して失敗してしまうといったことにもつながる。

 場合によっては政治的な判断が必要になってくることもあり得る。こうしたことを、誰よりも先に、僕は考えたいと思っています。

人と人の信頼関係は、最後はやっぱり人

 ひとつのヒントが、洗車コミュニティ炎上時に、リアルで会ったことで、炎上が解消されたことです。

 人と人の信頼関係は、最後はやっぱり人だと、僕は思います。ある程度までなら、相手がAIであっても僕はいいと思いますし、プライベートの込み入った相談は、むしろAIの方がいいかもしれない。

 でも、温かみがほしいと思うような時、心が本当に寂しい時、不安な時、不信感が芽生えてる時…やっぱり、最後は人と人がつながり、出会うことが必要だな、と思うのです。

AIに「できるか、できないか」でなく「させるべきか、させないべきか」

 そのためには、今AIがどこまでできて何ができないか、それがどう変わっていくのかを常に見続けていかなければいけないし、できれば自分自身が触って体感していくことが何よりも肚落ちできる。

 そういう、AIにできること、AIにできないこと、AIがすべきこと、させるべきではないことを、常に一生懸命考える。

 非常に難しいけども、難しいがゆえに考えていかないし、僕はそうしていくつもりです。それが今後のAI共存社会でとても大切なことになる、今回の実験を通して一番僕が学んだことは、このことです。

 大切なのでもう一度書きます。「AIができるか、できないか」ではなく、「AIにさせるべきか、させないべきか」、です。

今後もAIについて論じていきます

「[AI中山]をオンライン会議に参加させた話」は、ここまでです。

 この先、AIと人間の共存社会の行方、経済・ビジネスはどうなるのか?人の価値観はどう変容するのか?

 それらを、今回の体験を通して理解したAI技術だけでなく、哲学、歴史、社会、倫理、の各分野も視野に入れた形で考察していきます。

 語るべきことが多岐に渡り、長くもなりそうなので、別の話題として分けて述べていきたいと思います。

[AI中山]をオンライン会議に参加させた話
① 
自分の分身=[AI中山]誕生
② 
[AI中山]ついにデビュー
③ 
対話型[AI中山 3号]の大失敗
④ 
失敗から学んだ,現時点での生成系AIの限界
⑤ [最終話]AIを使うか,使わないか


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