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一人旅 Episode-6 「離島からワーケーションしてみた」(110)

福江島のビーチ

大瀬崎灯台を後にして、福江島上半分をドライブする。
海岸沿いを走ります。窓を全開、風がとても気持ち良いドライブです。

まず、最初の目的地は、

日本の渚100選・日本の快水浴場100選の「高浜ビーチ」

福江島の見どころは、多くの教会だが、このビーチもとても素晴らしい。
水平線沖はコバルトブルーの大海原が広がり、浅瀬は透明度の高いエメラルドグリーン色の海、色鮮やかなグラデーションが輝く五島のビーチはどれも必見です。

「高浜」以外に、透き通った海水が印象的な「香珠子ビーチ」、遠浅で広くどこまでもつづく白い砂浜を持つ「頓泊海水浴場」などがあります。

高浜ビーチから車で10分ほど走ると、「道の駅 遣唐使ふるさと館」があります。 

途中ご飯を食べるところが少なく、ここで食事をしなければならないと思っていた。
館内には「レストランみいらく万葉村」というお食事処があり、様々な地産の定食が食べられるとのことだったが、団体客貸し切りのため、入れなかった!残念。
日・祝日ランチには、「ふるさとバイキング」も行っており、三井楽町の婦人会の方と共同で地元の食材、地元の調理法にこだわった、郷土料理バイキングを実施しているとのこと。それも食べてみたかった。

というわけで、昼飯がたべられないまま、ドライブを続けることになった。

ワーケーションを試みる

旅行中なのだが、プロジェクトの中で、見識者にインタビューする作業があり、それにオンラインで参加することに。

ワーケーションの定義は、wikipediaによると

「「ワーク」(労働)と「バケーション」(休暇)を組み合わせた造語で、観光地やリゾート地でテレワーク(リモートワーク)を活用しながら、働きながら休暇をとる過ごし方」ということ。

結論から言うと、私の場合、どちらも中途半端になり良くなかった。

「明日この時間で会議に参加」
この場合、前の日から「気になる」 
時間がさし迫ると「さらに気になる」 
つまり旅行に没頭できず、楽しめない。

私はあまりお奨めしない。するなら、この日は全部仕事、この日は旅行と一日で区分した方が良い。

本当は、道の駅でご飯を食べて、そこで、オンライン会議に参加する予定だったが、ご飯が食べれず、食事処を探しているうちに、タイムアップ
道端に車を停め、電波が弱いまま、オンライン会議に参加することになったため、ブツリブツリと何度も切れてしまい、うまくいかなかった。

初めから、仕事としての準備(環境など)も組み込まないといけないなと反省。
課題は見えたので、実施した価値はあった。

水ノ浦教会

オンライン会議を終え、道を進むとすぐ、「水ノ浦教会」についた。すぐそばにあったんだ。

この地の信仰は、五島と大村の藩の政策による外海5人の男性とその妻子の移住にはじまると伝えられています。
教会は、ロマネスク、ゴシック、和風建築が混合した白亜の美しい教会です。とても白がきれいで、この日の快晴(青)ととてもマッチします。

教会裏には、悲しい五島キリシタン弾圧の牢跡・26聖人のうちの一人である聖ヨハネ五島の像があり、厳しく迫害された歴史を思い返します。

ここは、映画「くちびるに歌を」のロケ地にもなっています。
知らなかった。旅行が終わってから知りました。

「くちびるに歌を」は、「手紙 〜拝啓 十五の君へ〜」の作者であるアンジェラ・アキのテレビドキュメンタリーをもとに小説化されたものです。

映画は、2015年新垣さん主演で公開されました。水ノ浦教会以外にあちこち五島でロケされたようです。
行く前に見ればよかったあ。しまったあ。GYAOで見るチャンスあったのに。

水ノ浦教会を後にして、町に入ります。
おっと、コンビニ発見。

ポプラは、中国地方を中心に四国・九州に展開しているコンビニエンスストアだそうです。

初めて! すごくおなかがすいていたので、あまり吟味せず、おにぎりとお茶を買って、車の中でむさぼる。

堂島主天堂

岐宿という町を過ぎ、国道384号から細い道に入る。山の中の細い一本道。

車同士がすれ違うのが大変な道です。でもこのルートしかいないので、ゆっくり進みます。

道の突き当りに駐車場があります。車が10台ほど停められます。
そこから3分ほどの徒歩。入り江がきれいです。

堂崎天主堂は、禁教令が解かれたあと、五島キリシタン復興の任を帯びて、フランス人宣教師フレノー、マルマン両神父が五島を訪れ布教にあたり、1879年にマルマン神父によって、五島における最初の天主堂(木造)として建てられました。

今は、弾圧の歴史や資料を展示する資料館として、一般公開されています。

帳方に受け継がれてきた「お帳」や、ド・ロ神父が布教に用いた木版画など、キリシタン禁教時代から明治時代以降のキリシタン資料が展示されています。

本や映画だけで見ていたものを実際の現物を見ることができ、この時代に引き込まれます。
信者は船でこの教会来られたようで、当時の写真も展示されています。その船着き場はすぐ近くにあり、また広場もきれいに整備されています。

信仰

この入り江で、少し休憩。昨日からの潜伏キリシタンの歴史を資料を思い起こしながら、信仰について考える。

この堂崎天主堂には、日本二十六聖人のひとり、五島出身の聖ヨハネ五島の聖骨がマカオから里帰りして堂内に安置されています。

日本二十六聖人は、1597年2月5日豊臣秀吉の命令によって長崎で磔の刑に処された26人のカトリック信者です。
時の権力者による日本最初の殉教事件であり、キリシタンに対して苛烈な対応でした。
第一の処罰として一条戻り橋で左の耳たぶをそぎ落とされた。
さらに京都・大阪・堺で市中引き回しとされ、処刑をおこなうために約800km離れた長崎まで徒歩で連行されることとなったのです。

殉教者の一人、「聖ルドビコ茨木」は当時12歳。

『日本史』などの著作で知られるイエズス会の神父、ルイス・フロイス(1532-1597)は、この事件について詳細に書き記し、ローマに報告しています。

「天使のような顔で喜び溢れ、後手に縛られ、耳を剃がれた時も傷痕の痛みをこらえ、また、流れる血にも驚かず静かに純心に『天にまします、めでたし』とその他の祈りを唱えていた。」

唐津(現在の佐賀県唐津市)で26人は、長崎奉行・寺沢広高の弟、寺沢半三郎に迎えられました。

この二十六人の下僕らの中に(略)十二歳の非常に朗らかな少年がいて、半三郎は彼に、『そなたの命は私の手中にある。もし私に仕える気があれば、そなたを助けよう』と言った。

少年は答えて『自分の命はフライ・ペトロ(殉教者の1人)の決定に従います』と言った。

フライ・ペトロはそれを聞いて『彼がそなたの生命を救うとして、もしキリシタンとして生きることを許されるならば従ってもよい、と言いなさい』と告げた。
しかし半三郎は『そうではない。キリシタンの教えを捨てるならばよい』と言ったので、

子供は『そのような条件であるならば、生命を望みません。つかのまの生命と永遠の生命を交換するのは意味のないことです』と答えた。

永遠の生命。パライソ(天国)での生命。
人間の世界を超越した世界、苦しみや悲しみもない世界。
それはきっと、人として苦しいから。みな、何かで悩んでおあり、苦しい。つらい。
でも、それを含めて生きている。
その人生を全うした後に、ある世界。
それを信じ、生きるってことかな。

福江の街

福江の街に戻り、今日のお宿「ホテル・ツバキ」に到着。港近くの大きいホテル。とてもおしゃれできれい。

晩ご飯を食べに外へぶらぶら。

海岸沿いに歩いていると、小さな居酒屋がぽつり「こんねこんね」 

五島名物キビナゴの付だし、刺身盛り合わせ、あらかぶ(かさご)のからあげ。おいしゅうございました。

こんねこんねのワンちゃんもリラックス。癒されます。

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