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黒船の軍楽隊 その8

 ペリー艦隊が再訪した1854年に応接場の警衛を小倉藩(1)とともにつとめた松代藩(2)の藩主真田幸教ゆきのり(3)は、ペリーや艦隊の乗組員、乗組員所持品や持参した物品等を二人の藩士に記録させました。それを「黒船絵巻」と呼び、多くの人にも模写され様々な図版を確認することができます。


黒船絵巻 - 1

 幕府とアメリカ側の交渉は一ヶ月に及び、その間には夕食会など様々な交歓が行なわれました。松代藩主真田幸教はその図版記録を松代藩士医師高川たかがわ文筌ぶんせん(4)と能役者樋畑ひばた翁輔おうすけ(5)の二人に命じました。

異人葬式乃図 1854年3月9日(嘉永7年2月11日)

 ミシシッピー号の24歳の水兵が3 月6日に死去し、横浜に埋葬されることになりました。その墓所に向かう様子を描いた「異人葬式ノ図」(図1)に、海兵隊の鼓笛隊(笛と太鼓)が描かれています。

 使われていた楽器(図1-1)は、笛はファイフ(図2)、太鼓は羊皮の張られた紐じめスネア・ドラム(図3)と思われます。

「異人葬式塚ノ図」 (図1)
(図1-2)
ファイフ(図2)
スネア・ドラム(図3)

 「合同舶入相秘記ごうどうはくにゅうそうひき」(6)には太鼓が明瞭に描かれています。また、その後ろにはオーバー・ショルダー・サクソルンかと思われる金管楽器が描かれています。

アメリカの兵隊(図4)

「米国使節彼理提督来朝図絵」

 昭和6年に出版された「米国使節彼理提督来朝図絵」の最終ページには、墓所となった増徳院前を葬列が進む様子が描かれています。ここでも笛・太鼓を演奏していることがわかり、ヘンデルのオラトリオ「サウル」の「葬送行進曲」を演奏しました。
 なお、棺・墓標を担ぐ水兵と鼓笛隊を含める22名の葬列でその周りに5名の警備侍、そして葬列を見学する住民も多数描かれています。

米艦水兵の葬式(図5)

横浜での演奏会の開催3月27日(嘉永7年2月29日)

「1854年ペリー提督の日本使節団絵巻物」よりミンストレル・ショーの様子 (図6)
『米国使節彼理提督来朝図絵』 (図7)

詳細は「黒船の軍楽隊 その4 歓迎夕食会の開催」参照ください。

アメリカ人葬送乃姿 箱館での葬儀

 ペリーの函館来航の状況を箱館内澗町2丁目で雑貨清酒類販売店舗を営んでいた名主小嶋又次郎が記録した「亜墨利加一条写」に箱館での葬列の様子が描かれています。

葬列の様子 (図8)
葬列の解説文 (図9)

 ペリーの箱館滞在中に帆走スループ船バンダリア号(Vandalia)の乗組水兵2人が亡くなり(7)箱館の地に埋葬されました。これが箱館外人墓地の始まりです。その葬列行進でヘンデル作曲のオラトリオ「サウル」の第3幕第4場第77曲「葬送行進曲」が笛と太鼓で演奏されました。


脚注

(1)  小倉藩は現在の福岡県北九州市小倉北区周辺を領有した藩
(2)   松代藩は現在の長野県長野市松代町松代周辺を領有した藩
(3)   真田幸教(さなだ ゆきのり1836-1869)は、松代藩の第9代藩主
(4) 高川文筌(たかがわ ぶんせん1818-1858)は、松代藩の医師・御用絵師 絵を谷文晁 8)に学ぶ
(5) 樋畑翁輔 (ひばた おうすけ1813-1870)は、松代藩の能役者 絵を歌川国芳 9)に学ぶ
(6) 合同舶入相秘記(ごうどうはくにゅうそうひき) は、越前国福井藩16代藩主松平春嶽がまとめたペリー来航文書
(7) ジェームズ・G・ウォルフ(55歳) 1854年5月26日(嘉永7年4月30日)埋葬、G・W・レミック(19歳) 5月28日(嘉永7年5月2日)埋葬
(8) 谷 文晁(たに ぶんちょう1763-1841)は、江戸時代後期の日本の南画(文人画)家
(9) 歌川国芳(うたがわ くによし1798 -1861)は、江戸時代末期の浮世絵師。 


(図1)大英博物館所蔵 ペリー絵巻より
(図1-2)笛(ファイフ)奏者、太鼓奏者各1名
(図2) ファイフ
(図3) スネア・ドラム
(図4) 合同舶入相秘記(ごうどうはくにゅうそうひき)
(図5) 米国使節彼理提督来朝図絵 19コマ 著者 樋畑翁輔 遺稿, 樋畑雪湖 編 出版者 吉田一郎 出版年月昭和6
(図6)  絵師 日畑翁輔「船中黒坊踊ノ図」 大英博物館 蔵
(図7)  国立国会図書館デジタルコレクションより 
(図8)  亜墨利加一条写  P.128-131葬列図 
(図9)  亜墨利加一条写 P.127 葬列解説


他の黒船の軍楽隊シリーズ

黒船の軍楽隊 その0ゼロ 黒船の軍楽隊から薩摩バンドへ 

黒船の軍楽隊 その1 黒船とペリー来航
黒船の軍楽隊 その2 琉球王国訪問が先
黒船の軍楽隊 その3 半年前倒しで来航
黒船の軍楽隊 その4 歓迎夕食会の開催
黒船の軍楽隊 その5 オラトリオ「サウル」HWV 53 箱館での演奏会
黒船の軍楽隊 その6 下田上陸
黒船の軍楽隊 その7 下田そして那覇での音楽会開催
黒船の軍楽隊 その8  黒船絵巻 - 1
黒船の軍楽隊 その9  黒船絵巻 - 2
黒船の軍楽隊 その10 黒船絵巻 - 3
黒船の軍楽隊 その11 ペリー以外の記録 – 1 (阿蘭陀) 
黒船の軍楽隊 その12 ペリー以外の記録 – 2 (阿蘭陀の2) 
黒船の軍楽隊 その13 ペリー以外の記録 – 3 (魯西亜) 
黒船の軍楽隊 その14 ペリー以外の記録 – 4 (魯西亜の2) 
黒船の軍楽隊 その15 ペリー以外の記録 – 5 (魯西亜の3) 
黒船の軍楽隊 その16  ペリー以外の記録 – 6 (魯西亜の4)
黒船の軍楽隊      番外編 1 ロシアンホルンオーケストラ
黒船の軍楽隊      番外編 2 ヘ ン デ ル の 葬 送 行 進 曲
黒船の軍楽隊 その17  ペリー以外の記録  -7 (英吉利)
黒船の軍楽隊 その18  ペリー以外の記録  -8 (仏蘭西)
黒船の軍楽隊     番外編 3 ドラムスティック
黒船の軍楽隊 その19 黒船絵巻 - 4 夷人調練等之図


ファーイーストの記事

「ザ・ファー・イーストはジョン・レディー・ブラックが明治3年(1870)5月に横浜で創刊した英字新聞です。
 この新聞にはイギリス軍人フェントンが薩摩藩軍楽伝習生に吹奏楽を訓練することに関する記事が少なくても3回(4記事)掲載されました。日本吹奏楽事始めとされる内容で、必ずや満足いただける読み物になっていると確信いたしております。

 是非、お読みください。

「ザ・ファー・イースト」を読む その1   鐘楼そして薩摩バンド
「ザ・ファー・イースト」を読む その1-2  鐘楼 (しょうろう)
「ザ・ファー・イースト」を読む その2   薩摩バンドの初演奏
「ザ・ファー・イースト」を読む その3   山手公園の野外ステージ
「ザ・ファー・イースト」を読む その4   ファイフとその価格
「ザ・ファー・イースト」を読む その5   和暦と西暦、演奏曲
「ザ・ファー・イースト」を読む その6   バンドスタンド
「ザ・ファー・イースト」を読む その7   バンドスタンド2 、横浜地図

SATSUMA’S BAND 薩摩藩軍楽伝習生



writer HIRAIDE HISAHI


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