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【読書コラム】街録chの戸塚ヨットスクール校長に対する「先生は多分あと十数年で死ぬんでしょうから」発言でパラダイムシフトを考える - 『科学革命の構造』トーマス・クーン(著),中山茂(訳)

 街録chに戸塚ヨットスクールの校長・戸塚宏が出演していた。逮捕・起訴されたときから一貫して無罪を主張しているだけあって、83歳の現在も独自の立場からリベラル批判を繰り返していた。

 たぶん、テレビだったら編集でカットされる内容が長尺でアップされていて、いろいろ考えさせられた。

 特に酷いのが人種差別や女性差別、LGBT差別を躊躇いもなく口にするところ。ディレクターの三谷さんが止めようとしても、むしろ、それこそリベラルの悪いところとヒートアップする始末。

 認知が歪んでいるのか、自分の罪を絶対に認めたくないのか、相容れない議論がうんざりするほど続いた末に、それまで優しく話を聞いてきた三谷さんはこんな言葉を言い放つ。

「先生は多分あと十数年で死ぬんでしょうから、その考えは変わることもないだろうから、まあ別に」

 わたしはここにパラダイムシフトを感じた。

 それまで当然とされていた考え方が劇的に変化することをパラダイムシフトと呼ぶ。例えば、万有引力の法則だったり、地動説だったり、進化論だったり、科学史における大発見はみな、これに当てはまる。

 ガリレオ・ガリレイの「それでも地球は回っている」の逸話が有名なように、新しい価値観を提示したものは誰からも支持されず、孤立してしまうというイメージが一般的だ。そして、後の技術発展に伴い、やっぱり正しかったと証明され、評価が一転するようになる、と。

 しかし、これは誤りらしい。

 わたしがそのことを知ったのは、エンジェル投資家として名高かった瀧本哲史の講義録を読んだとき。

 アカデミアの世界にも所属していた経験を活かし、その中で法律解釈を巡る議論がどのようになされるか、実際の体験をもとに説明していた。

 なんでも、異なる学派を率いるA先生とB先生がまったく違う解釈をしたとき、学派がそれぞれを支持するため、膠着状態に陥るらしい。じゃあ、どのように決着がつくのか。おおむね、A先生かB先生、どちらかが死んだときなんだとか。学派のトップが死ぬことで、その考え方を支持する必要がなくなり、生き残った方の説が正しいと見做されるようになるのだ。

 瀧本哲史曰く、このことは科学史の研究でも示されているらしい。つまり、コペルニクスもガリレオも、同時代にも支持している仲間はいて、反対派が死んだことにより、最終的に正しいと認められたと考える方が適切なのだろう。

 たしかに、現実はそうかもしれないと思う反面、ひとつの疑問が浮かんできた。生き残った方が間違っていた場合、どうなってしまうのか、と。

 そこで、わたしは瀧本哲史の言葉を頼りに、パラダイムシフトについて書かれた名著『科学革命の構造』をAmazonで購入。その中身を紐解いてみた。

 結果、見えてきたのは、パラダイムシフトが想像以上に長い時間を要する世代交代であるという事実だった。

 どういうことか。先にあげた、A先生とB先生の話で考えてみよう。

 仮に、A先生の説は正しく、B先生の説は間違っているとする。二人が議論を交わしたとき、客観的にA先生が勝っていても、まわりの忖度で決着がつかない状況が続いている。

 やがて、A先生が先に亡くなる。B先生は学界で一番偉い存在となり、誰からも否定されなくなり、間違っている説が正しいものとして受容されるようになってしまう。

 しかし、B先生もいつかは死ぬ。B先生に忖度していた連中もいつかは死ぬ。

 B先生が偉かったことなど一ミリも知らない若い世代が学界に入ってくる。彼らは政治的なことなど関係なく、純粋な視点で過去の議論を眺めていく。

 そして、必ず、A先生の正しさに気がつくというのだ。

 結局のところ、新しい世代は新しい問題に直面するわけで、常にその問題を解決する方法を探すことがなにより重要。偉い人に気を遣う余裕などないのである。

 戸塚宏はLGBTを否定する理由として、以下のようなことを述べていた。

戸塚宏「道に外れとるからさ。我々の生きる目的は何?」
三谷D「子孫繁栄ってことですか?」
戸塚宏「そやろ。人間がどうしてこうやって繁栄してきたか。生物がずっと続いたの。みんな生きる目的というのは種族保存なんだ。種族保存に合うから反応は正しいんだ。その本能によって行動したおかげで種族保存が今まで何10億年と成り立ったんだ」
三谷D「その本能によって自分と同じ性別である人を愛したいって気持ちはいけないことなんですか?」
戸塚宏「それは本能が狂っとるんや」

街録ch

 たぶん、戸塚宏は儒教的な家族観、つまり、男女が結婚し、男は外で働き、女は家を守って子育てに励むというという家父長制を正しいと盲信している。その世界観において、セックスは妊娠のために行うものであり、愛もそのために存在しているため、同性愛などあり得ないと感じてしまうのだろう。

 だが、そんな宗教と関係なく、自分の愛を実践している人がいる。これまでずっとこの考え方でやってきたと年寄りに言われたとして、俺が、わたしが、いま困っているリアルな悩みは解消されない以上、新しい考え方を模索するのは当然だ。

 たとえば、稲垣足穂は『A感覚とV感覚』で、性器の意味合いを再定義することで、セックスにおけるジェンダーレス化にいち早く成功している。

 Aとはアナル、Vとはヴァギナのことであり、さらに本文ではペニスを意味するPも登場し、それぞれの実情が細かく分析されていく。その中でVとPは生殖という宿命を背負わされ、男女によって機能が異なるのに対し、Aは性別を問わず排便機能だけ、性器としての平等性が明らかにされる。そして、VとPの交わりが生殖のためだったしても、Aによる交わりは純粋な快楽行為であり、これを求めること自体に正当性はあるというのだ。

 このことを示すために、稲垣足穂は難関な言葉と難解な比喩、難関な構成を必要としている。それぐらい当時は同性同士のセックスが理解されず、苦しんでいたんだろうと想像される。

 そういう歴史に埋もれた過去の叫びに触れるたび、新しい世代の頑張りによって、パラダイムシフトが起こりつつある現状に、わたしの心は大いに震える。

 だから、古いやり方に固執する人たちには申し訳ないけれど、

「多分あと十数年で死ぬんでしょうから、その考えは変わることもないだろうから、まあ別に」

 と、距離を取りたくなるのもわかる。

 なるほど、これは老人に対する冷たい態度であり、実際、それまで楽しそうに語っていた戸塚宏も最後は寂しそうな表情を浮かべていた。ただ、社会の価値観が変わるとは古い考え方の人たちが死ぬことを意味しているわけで、本質的に残酷さを伴うものなのだ。可哀想だが、どうしようもない。

 戸塚宏と三谷さんのやりとりはそのことを鮮やかに現していた。




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