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青空と太陽と軽薄ボーイのメランコリー

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ203枚目

<「長良川の夏」 © 2019  画/もりおゆう 水彩/ガッシュ 禁無断転載>

岐阜には海がない。
だが、美しい川がある。
四万十川、柿田川と並ぶ日本三大清流の一つ長良川だ。
僕は、夏休みになると毎日のように長良川で泳いでいた。
泳ぐのが大好きだった。特に高校時代のことだ。

市内を流れる長良川は全長166キロの中流域にあたり、上流部ほどに水が澄んでいた訳ではない。けれど、それでも充分美しい川だった。水温も適度に緩く、上流部にはない泳ぎやすさもあった。それに、何しろ実家からケッタ(愛知や美濃地方で自転車の事)で川まで15分足らずだ。

昼になると、夏空の下を毎日ケッタを飛ばして長良川に向かった。

余談だが、僕は当時売られていた水着が嫌いだった。
短くて、小学生のスクール水着のようだったからだ。
だから、高校になると僕は自分の古いジーンズを膝上あたりで切って、水着にしていた。今時で言えばハーフパンツだ。それは川に入ると水を吸って重くて実に泳ぎ辛いものだったが、とにかくカッコつけたい年頃だったのだ(笑)

川につくと、仲間と落ち合い、まず数キロ上流まで山陰の道を皆で歩く。
山頂には岐阜城があり、その真下を長良川沿いに走る道だ。そうして、歩き疲れると河原に降りて、運んできた小ぶりのゴムボートに空気を入れる。

水に入る。

長良川は魚影の濃い川だ。
ニゴイや鮎を水中眼鏡で横目に見ながら流れに乗って泳ぐ。
大きな魚も群れなす小魚もいる。小さなのはハヤだ。水底に大きなドンコがいたりする。ウナギも時々見かけたが、水が綺麗すぎるからか、ナマズは見た事がない。運んで来たゴムボートに仲間と交代で乗ったり、潜ったり、、、そんな事を何度も繰り返した。

ある日そんな風に川を下っていると、流れの中をフラフラと泳いでいる大きなウグイの姿が水中眼鏡の端に入った。手を伸ばすと逃げる事もせず、容易に触れることが出来た。不思議に思い、眼を凝らすと腹のあたりにざっくりと大きな傷があった、、、

長良川では夏になると毎晩鵜飼が行われるのだが、恐らくその大きなウグイは前夜の鵜飼で鵜に襲われたのだ。それが証拠に腹の傷は、ナイフで切ったように綺麗な三角に抉られていた。くちばしついばまれた跡だ。当たり前のことだが、鵜は鮎だけを狙う訳ではない。だが、ウグイにとっては不条理な話に違いあるまい。人の巻き添えをくって死を迎えるのだから。
見ていると、その瀕死のウグイは緑の淵にユラユラと消えていった。

魚を見るのに飽きると水面から顔を上げて、仰向きになる。そうして、そのまま流れに身を任せる。青空が頭上に広がっている。山の上の岐阜城が水中眼鏡のガラス板の端に小さく見える。その空と城が、訳もなくアンニュイに見える日もあった。何しろ17才、センシティブな年頃だ。

どうして、そんなことを覚えているのだろう・・・不思議に思う。
あの瀕死のウグイのザラリとした魚鱗の手触りは、今もこの指先にある。

学校の勉強など全くしなかった夏休み。
クラスメイト達は大学受験を控え、次第に川にも姿を見せなくなった。

僕は青空の下でひたすら陽に焼け、蝉の声を聞いて夏を過ごした。




*ちなみに、、、
当時は同世代の女の子達も結構長良川に遊びに来ていた。
僕は特段モテた訳では全くないけれど、見知らぬ彼女達に気軽に声を掛けると待っていてくれる女の子達もいた。 何しろ夏だ(笑) 
水着を着た女の子は、みんな可愛かった。
不思議なことにその頃は女の子に声を掛けることにあまり気恥ずかしさを感じなかった。僕は結構シャイなところがあるから、その事が後になってみると、とても不思議だ。
楽しい事もあったし、振られて沈んだ夜もあった。

きっと僕には生来軽薄なところがあるのだ(笑)

<©2023もりおゆう この絵と文章は著作権によって守られています>
(©2023 Yu Morio This picture and text are protected by copyright.)

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