かわばた睦み

カウンセラー、キャリアコンサルタント、キャリアコンサルタントスーパーバイザー、企業研修講師。またキャリアコンサルタントの方のキャリアコンサルティング、スーパーバイズ、1級2級技能士対策、ビジネスサポート。キャリアコンサルタントの質向上と地位向上に向けて。

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      漫画が大好きです。スラムダンク、キングダム、マスターキートン、ギャラリーフェイク、プライド、BREACH、MONSTER、宇宙兄弟などなど、あげたらキリがありません。

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    相手の話を聴くのはとても難しい

    久しぶりの投稿です。 今日は大竹しのぶさんの舞台 The doctor を観てきました。 膨大なセリフ量に驚かされる、 理解するには一回では難しい舞台でした。 プロフェッショナルなドクターが 「そんなつもりはなかった」 けれど差別をしているなど、 批判を受ける立場になるところから 始まります。 いろんな現代社会の問題への メッセージが含まれた舞台でした。 「相手の話を聴くのはとても難しい」 というセリフがでてきます。 カウンセリングをしていると ふとした瞬間に 「

      • 大丈夫、私がいるよ。

        親友の姉さんが空に行って1年経ちました。 昨年の昨日、つまり七夕の日に告別式を終え、空に舞っていきました。 あれから1年。あっという間です。 姉さんはやさしい人でしたが、特に再発をしてからは、自分が人に何ができるのか、を考えて行動に移していました。 友人の仕事を手伝ったり、困った人にも手を差し伸べたり。もちろん自分の子どもに何が残せるのかも。 1年前、姉さんを見送りながら、姉さんのように、人に対してやさしい人でありたい改めて決意したことを覚えています。 「やさしい

        • 意味のある偶然が続く今。

          その後、四十九日なども終え、そして年が明け、また春が来ようとしています。 姉さんが待ち望んだ双子のお孫さんも生まれ、娘さんもまた新たな道を歩もうとされています。 とにかく楽しく人生を送る!という姉さんのモットーをみんなが全うしようと進み始めています。 私は、それから仕事も忙しくなり、バタバタと日々を過ごしていますが、たまに今、姉さんがいたよね、と感じることがあります。また狙ったように姉さんが夢に出てきたり、お子さんから連絡があったりと、河合隼雄先生のいう、「意味のある偶

          • 最期の盛大なお別れ

            葬儀は 7/7,8となりました。 姉さんはエンバーミングが施されて帰ってきて、そしてメイクは姉さんの同級生が綺麗に仕上げてくれました。メイクによっては、「なんか故人らしくない」となりがちですが、そこは流石に姉さんをよく知っている人。美しく整えられ、そして、結婚パーティーの時と同様に、顔の周りにはお花を添えました。 不思議なことに、姉さんの最期の顔は、なぜかいつも以上に鼻筋が通っていたんです。あれはなぜだったのか、故人の強い思いの表れなのか、びっくりしました。とても美しかっ

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            姉さんらしい旅立ち

            そうして姉さんと最期の時も一緒に仕事をして、意識のある姉さんに最後にあったのは旅立つ3日前の7月2日でした。 この日は姉さんの幼馴染(結婚パーティーを一緒に計画した)と一緒に、梅田の阪急百貨店で待ち合わせをして、かわいいランチを買って向かいました。 事前に姉さんからは海苔の佃煮を買ってこいという指令を受けていたので、それも仕入れました。この時にはあまり食べれなくなっていたので、おかゆセットと合わせて持って行きました。これが姉さんへの最後のプレゼント。過去の写真を見ると食べ

            姉さんとの最後の仕事

            そのお泊まりして帰った日、姉さんから「これからのこと本当に頼みたい」とLINEが入りました。心配だったら、行政書士などの士業の方に頼んだ方がいいのでは、言っていたのですが、そこまでではないし、できれば私に頼みたいとのことでした。私にどこまでできるのか、何ができるのか、わかりませんでしたが、姉さんの最期のお願いでしたし、姉さんと一緒に何かができる最期の機会だと思って引き受けました。 トップの写真はその3日後くらいに行った茅の輪くぐり。コロナ退散と同時に姉さんのことも強く願いま

            姉さんの家での最後のお泊まり

            2020年、年が明けるとともに、世の中は不穏な空気が流れ始め、コロナの影響が様々なところで出始めました。 1月2月はマスクさえしていれば、世の中はまだ通常通りだったので、ラグビートップリーグも3試合、姉さんとなんとか注意しながら観戦することができました。2月末には姉さんの免疫治療の一環にもつきあいました。 そして3月に入ると企業研修の仕事は続々とキャンセル続き。私と姉さんは京都と大阪なので、県をまたぐ移動もやや憚るようになりました。そして緊急事態宣言が出て、4月末くらいで

            姉さんとの最高の思い出RWC2019

            どうしても書いておかなければならないとしたら、RWC2019でしょう笑 かなり直前まで姉さんは抗がん剤治療のために入院をしていて、免疫が下がっている状態だったため、人混みNG。お互いに初戦は自宅でかな、と思ってました。が、私が読売テレビのライブビューイングに当選してしまって、どうしようかな、と思っていたら「行くに決まってる!」と。「いや、でも人混みあかんやろ。。」と言っても「見に行かへん方が身体に悪い!行った方が免疫上がるねん!」と言い切られまして、やや心配もしながら行きま

            2019年6月の結婚パーティー

            姉さんの闘病生活は続きました。とはいえ、抗がん剤の治療だけでなく、免疫治療なども併行して行うことで、入院している時以外は比較的元気に生活していました。一緒にいると、姉さんが癌患者だということはすっかり忘れてしまうくらいでした。 より元気になってもらいたい、という思いから、2019年の春が来ようか、という時期、姉さんの結婚パーティーを開こうということで、姉さんの幼馴染みである方と協力し、計画を立てました。 あくまで親しい方々と楽しめたらいいかな、というアットホームなパーティ

            病気と仕事の両立

            再発してからの姉さんの仕事は、休職したり、在宅にしてもらったりしながらでした。コロナの影響で急速に増えた在宅勤務も当時はまだまだレアなケースでした。 会社としては、ものすごく配慮してくれ、休職しやすいような仕事内容に変えてくれたり、在宅勤務という形態はありませんでしたが、整えてくれたりとマネージャー始め、色々と姉さんのために尽力してださいました。 おそらく特例とはいえ会社がそういった形を認めてくれたのは、姉さんと会社との信頼関係があったからこそだと思います。姉さんのケース

            2018年、再発

            2018年に入ってから、姉さんは背中が痛いと言い出し、再発が骨への転移がわかりました。この頃からは常に体の中にがん細胞がある状態で、がんがいなくなることはなく、がんと共生していました。リンパにがん細胞があったため、、腕が上げられなくなったこともありました。 抗がん剤の治療もあり、次第に髪が抜け、ウィッっぐをつけているのが当たり前になりました。まあそれがまたとてもよく似合っていたのは姉さんの元の素材がいいからだと思います(←と言っておかないと怒られる) それでも至って元気で

            思い出と愛情と子どもたち

            2018年の癌の再発までは本当によくデートしました! ラグビー観戦はもちろんですし、ドリカムワンダーランド、コブクロやサザンののライブなどなど、数え切れません。 当時の私たちのベストショットもついでに💕 姉さんは仕事も以前通りパワフルにしていましたので、よくいろんな愚痴や笑い話なども聞かされました。 こんなこともありました。 私もめちゃくちゃお世話になった先輩が仕事中に体調不良で救急車で搬送され、姉さんが同乗して付き添いました。 搬送先のドクターは、単なる頭痛と診断

            4年ぶりの再会とともに。

            2014年の夏でした。突然Facebookで姉さんからメッセージが届きました。「元気〜?」と。そして何やら時間はあるからご飯食べに行こう、というお誘いでした。 何度も繰り返しますが、仕事での信頼関係はあったものの、親友というほどでもなかったので、なぜまた急に、という感じでした。そして、確か大阪の福島にある大西亭というお店で再会しました。 そうそう、姉さんは昔からいつも会うと、姉さんに対して「今日も綺麗やな〜」と言うことを強要していたので、挨拶のように最初にこれを4年ぶりに

            仕事だけのつながりだった時間

            その後何年間くらいだろう、私は梅田、姉さんは難波という構図で一緒にリーダー業務をやったりなどもしながら時を過ごしました。はっきりいって仕事では関わるけれども本当に「付かず離れず」で笑。一緒に飲みに行ったことも一度大人数で行った忘年会的なものだったくらいに思います。 印象深かったこととしては一度難波オフィスにお邪魔させてもらって、確か歌舞伎座の横か何かにあるお弁当屋さんの唐揚げが美味しいねん!と熱弁され、お昼に買ってみて完食したら、「あのボリューム完食するか!」と驚かれたこと

            ヘルプデスク的存在?の私だった頃

            姉さんと出会った頃は、正直あんまり近寄らないでおこうと、思っていました。なんだか違いすぎて怖そうだったから笑。なのにそこは同期入社ということで、必須研修などで必ず顔をあわし、あわすたびに声をかけてくれていました。 最初の配属は姉さんが難波オフィス、私は京都オフィスがスタートでした。同じ関西エリアとはいえ、通常の仕事をしている限りではそんなに関わることはありませんでした。関わりが増えたのは私が京都から梅田のオフィスに異動した頃から。入社して2年くらい経っていたと思います。

            姉さんとのこと

            2020年7月5日の日曜日、大好きな親友美鈴姉さんが空に旅立ちました。 約5年の闘病生活の末でのお別れでした。 闘病生活とはいえ、辛いこともたくさんある中で、とにかく楽しむことを大切にした姉さん。 姉さんがいなくなって半年の時が過ぎ、少し冷静に振り返れるようになった今、どこかに姉さんが生きた証を残しておきたい、私の想いを残しておきたいと思い、しばらく記してみます。 私と美鈴姉さんの出会いは2003年の2月。当時はどこにでもあった喫煙所で(当時は)タバコを吸っていた姉さん