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姉さんの家での最後のお泊まり

2020年、年が明けるとともに、世の中は不穏な空気が流れ始め、コロナの影響が様々なところで出始めました。

1月2月はマスクさえしていれば、世の中はまだ通常通りだったので、ラグビートップリーグも3試合、姉さんとなんとか注意しながら観戦することができました。2月末には姉さんの免疫治療の一環にもつきあいました。

そして3月に入ると企業研修の仕事は続々とキャンセル続き。私と姉さんは京都と大阪なので、県をまたぐ移動もやや憚るようになりました。そして緊急事態宣言が出て、4月末くらいでしょうか。車移動で外に出ないようにして、高野山に行こうか、なんていう電話で話をしていました。

その2日後、姉さんは夜中に首の痛みを訴え、そのまま入院しました。そこから急激に悪化をたどることになるのですが、世の中の自粛ムードもあり、なかなか会うことも叶わない中、なんとか姉さんは退院しました。

そして、5月24日、ようやく少しだけ世の中も落ち着いたこともあり、姉さんのお見舞いを兼ねて、姉さんの家に泊まりにいきました。

「ちょっとしんどい」とはきいていたのですが、モンブランを買ってこいという指令を受けていたので、姉さんのことだから大丈夫かな、と期待していました。ですが、この時、姉さんはいつもとは違う様子で、まともに姉さんのことを見ようとすると、涙が出そうになり、私は目をそらしてばかりでした。

それでも一緒にたこ焼きを食べ、ノーサイドゲームの再放送の最終回を見て一緒に泣きました。姉さんは私より少し早めに寝たものの、翌朝、早くから起き出していました。

この時、朝はかなり調子がよかったようで、自分でコーヒーを淹れてキウイを食べていました。そして一緒に朝食がわりにモンブランも食べました。

そして、この時に自分は長くないかもということを感じていたようで、姉さんのお金回りのことなどを少し相談されました。自分がいなくなったあと、みんながなるべく揉めないようにするにはどうすればいいか、みんなにしてあげられることは何か?

自分のことだけでも精一杯のはずなのに、そんなことを考える姉さんをすごいというよりはこの時は、呆れて、苦笑していました。「そんなことはどうにでもなるし、まずはちょっとでも回復することよ!」と。

その後、朝ならちょっとどこかに出かけられるかな、ということで、杭全神社、住吉大社にお参りをしました。

これが姉さんとのデートの最期でした。トップはその時に姉さんがとってくれた最期の一枚です。

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