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むるめ辞典-非日々-

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むるめ辞典

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■進路

[読]しんろ

進む路

[例文]
理学療法士になりたいと両親に告げて浪人生活の許しを得た。

その間、キャバクラでアルバイトをした。

成り行きでそうなっただけだが、ここで私が学んだのは、一時の決意がいかに脆く崩れやすい光であるか、ということだった。

その一年の間、母は人生の標識を指差しながら仕切りに勉強しろと私に言ったが、試験対策という名前の勉強に私が励んだのは、最初の4ヶ月程度だ

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■若者

[読]わかもの

若い者は

[例文]
灯りの乏しい県道を北に進み、遠くに見える山が近くなってきたなと気がついたところにキャバクラがあった。

元々カラオケボックスだった店は頑丈そうなモルタル造りの平屋で、屋根だけがピンクに塗り替えられていた。

その屋根と入り口に提げられた下劣な電飾がいかにもいかがわしく明滅していて、県道を走る車がその光に吸い寄せられて右折し、敷地に入ってくる。

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■旅路

[読]たびじ

旅してきた路

[例文]
病気になって、生き方を変えることになった。ほとんど中古車みたいにクタクタになった私が飛び込んだ新しい街には、みたことのない絵や、聞いたことのない話、嗅いだことのない体温を教えてくれた人がいた。

当時の私は、この人こそが自分のここまでの人生とこれからの人生とを結びつける環になってくれた人だと気付いていなかった。

しばらくして新古車くらいに快復し

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■行進

[読]こうしん

行くさきに進む

[例文]
母親たちは均質化の象徴みたいに皆同じ髪型で、よく似た化粧をしていて、昼間はtvの整形番組と韓流ドラマに夢中だった。

行く先は同じだったので、どの道に進もうと構わないと思っていた。でもどうせなら綺麗なままで、感情を揺らして生きていたかった。自分が物語の脇役であるのを受け入れてからも。

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■彼我

[読]ひが

彼と我

[例文]
闇より暗い真黒な帳に囲まれた夜に、ちりぢりにきらめく星を見上げながら、大きく吸ったタバコの煙を空に向かって吐いた。

その煙に、雲となって飛んでいけ、と心の中で命じた。煙は少しいったところで空気に吸い込まれて消えた。

それで空を睨みつけながら、彼我の距離について考えて、しばらくたってから考えるのをやめた。

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■風景

[読]ふうけい

風の景

[例文]
広島の祖父の家からは、鉄工所の高い煙突が見える。

「はだしのゲン」を読みながら、その煙突をよく見ていた。

もし原爆が落ちてくるなら、あの煙突を目がけて落ちてくるかもしれないと。

戦争と原爆と孤児の想像の景に震えながら、ぼんやり見ていた。

夢の中で落ちてきた原子爆弾は、鉄工所の煙突より上の方で爆発した。重たい煙のような光がスローモーションでこっ

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■残穢

[読]ざんえ

残した穢れ

[例文]
イプセンみたいに内向的で、いつも実直な父の中に、こびりついて剥がせない肥大した脂肪のような欲望があることを母は知らなかった。

父の隠し持ったこの性質が父自身のものというよりは、先祖の残した穢れのように感じて、母はいつまでも忘れなかった。