【今日のnote】「そこに哲学はあるのか?」
どうも、狭井悠です。
毎日更新のコラム、172日目。
なんでもそうなんだけど、人生において何かを選ぶときに「そこに哲学はあるのか?」ということを大事にしたいと常々思っている。
哲学とは……人生・世界、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする学問。また、経験からつくりあげた人生観。▷ ギリシア philosophia (=知への愛)の訳語。「哲」は叡智(えいち)の意。
なぜ、それを選ぶのか?
なぜ、それが好きなのか?
なぜ、それを続けるのか?
そういった問いに、いくらでも答えられるようなヒト・モノ・コトを大事にしたいのだ。
これらの問いにはっきりと答えられるということは、つまり、それらを選ぶことに必然性があるということだ。
好きなヒトといる理由、好きなモノを選ぶ理由、好きなコトをやり続ける理由。これらの理由が明確であれば、誰に何を言われようが、迷いはなくなる。
仕事、人間関係、ライフスタイル、ファッション、趣味嗜好、なんでもそうだ。
そこに哲学があれば、誰から批判されても、どんな意見を聞いても、揺らぐことなく、己の信念を持って、堂々と、自らの選択に誇りを抱いて生きていくことができる。
しかし、哲学なき選択は、いかにも脆い。
なぜ、その仕事をしているのか。
なぜ、その人間関係を続けているのか。
なぜ、そのライフスタイルを選んでいるのか。
なぜ、そのファッションなのか。
なぜ、その趣味嗜好が好きなのか。
そこに哲学はあるのか?
それでなければいけない理由は何なのか?
これらの自問自答を常に続けたとき、クエスチョンが自分の中で生まれる項目があったときには、人生において、その項目をチューニングすべき時期にさしかかっているという合図である。
僕は定期的に、こうした自問自答を行う「そこに哲学はあるのか?」というテーマの自分会議をやるようにしている。
人生を見直してみたいと考えている読者の方は、ぜひとも、「そこに哲学はあるのか?」と、自分自身にいちど、問いかけてみてはどうだろうか。
哲学なき選択は、人生をつまらなくさせる最大の要因のひとつなので、哲学なき選択をしていることを自覚したら、早めに手を打って、もっと自分の中で哲学を育てることができるものを見つけ出したほうがいい。
——人生は短い。
哲学なき、ヒト・モノ・コトに時間をつかっている暇はないよ。
今日もこうして、無事に文章を書くことができて良かったです。
明日もまた、この場所でお会いしましょう。
それでは。ぽんぽんぽん。