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胎児の生まれてくる権利は?

 2022年6月にアメリカにて、中絶の権利を認めないとする最高裁判所の判決が下りました。
 女性の中絶する権利・自由が剥奪されたとして、大きな問題になっています。


日本の中絶事情

 アメリカの前に、日本と欧州の中絶事情を確認いたします。

 日本の場合、妊娠21週6日までであれば、母体保護法により中絶が可能ですが、下記の条件があります。

1.妊娠の継続または分娩が、身体的または経済的理由により、母体の健康を著しく害するおそれのあるもの
2.暴行もしくは脅迫によって、または抵抗もしくは拒絶できない間に、姦淫されて妊娠したもの

 妊娠22週を過ぎてしまった時には基本的に中絶を行う事はできません
 身体的、経済的に困窮していなければ中絶は認められませんし、暴行・脅迫・姦淫などによって本人の意思を踏みにじられて妊娠させられた場合でなければ中絶は認められません
 つまり、女性の中絶する権利は完全に自由ではなく、条件つき、限定的なものです。

欧州の中絶事情

 欧州の場合も、妊娠何週までであれば中絶が認められるかを紹介します。
 なお、海外情報なので裏どりは出来ていません。参考程度にお読みください。

・フィンランド、ポーランド(黒)
 0週。中絶自体を認めていません。

・ポルトガル、クロアチア、スロベニア(赤)
 1~10週までであれば認められます。

・ヨーロッパの大多数(黄)
 11~20週までであれば認められます。

・オランダ(青)
 21~30週までであれば認められます。

・補足
 This calculation looks only at "on request / demand" abortions.
 This does not include abortions due to mother life risk, mother health risk, rape, fetal impairment, or economic/social reasons.

(和訳)
 この図は「要求・需要」による中絶を対象としています。
 母親の生命・健康に関わるリスクが懸念されたり、レイプ被害であったり、胎児に障害があることが分かった場合や、経済的・社会的事情がある場合の中絶は、別途定められています。

 つまり、完全に自由な中絶を何週まで認めるかについての図です。
 日本は条件付きの中絶は21週まで認めていますが、完全に自由な中絶は認めていないので、フィンランド、ポーランドと同様の水準となります。

 女性の中絶する権利にフォーカスすれば、日本は世界で最も後進的と言えます。

アメリカでの中絶事情

 もう一度、先ほどの図を確認しましょう。

 アメリカはほぼ全ての州で、21~30週までの中絶を完全に認めています。
 アメリカの中絶問題を非難していた日本や欧州ですが、なんとアメリカの中絶制度が、世界で一番先進的でした。

障害児は中絶して良いのか?

事前に胎児に障害があると分かったら、中絶して良いのか」という問題も「障害者を育てる立場にない部外者が、中絶する権利を制限するべきでない」という考えと「障害があるからと言って中絶を認めても良いのか」という考え、どちらにも理がある、非常にデリケートな問題だと思います。
 それ以外にも色々な考えがあるでしょう。

 確かに障害者を育てる親御さんは、途方もない大変な困難があるものだろうと想像します。

 綺麗事をぬかします。
「障害が分かったら中絶して良い」という考えは、ある種、優生学的な側面があると思います。

 現代社会は生きている障害者に対しては、手厚い保障をするよう心掛けていますよね。
 一方、生まれる前の障害児に対しては、中絶を認めて良い、と議論されています。
 矛盾していると思いませんか?
 分かってんのか、エセ左翼・リベラル・ナチス!?
 お前らいっつもダブルスタンダードしか言わねえなあ!?

 今日、このnoteを書きながら、この矛盾に気がつきました。
 そして直感しました「ああ、エセ左翼・リベラルって、自由と人権の化けの皮をかぶったネオ・ナチスだったのかもしれない」と。

胎児に生まれる権利はないのか?

 そもそも中絶する自由・権利をどれくらい認めるかという問題は非常にデリケートです。
 考えても見てください。胎児を中絶するということは、生まれるはずだった胎児が死んでしまうということです。

 女性の自由や権利ももちろん大事ですが、胎児に人権はないのでしょうか。

 中絶制度が、世界で一番先進的なアメリカでは、合衆国憲法上の「人」に胎児が含まれるとは明記されていないと解釈してきたようです。

それこそ改憲して明記した方が良い、真剣に議論した方が良い」と思います。

 私のスタンスはお分かりですね。どちらかというと中絶反対派です。
 今の日本の法律のように、強姦であったり、経済的に困窮していたり、母親に生命の危険があったり、という事情がなければ安易に中絶をすべきではないと思います。
 中絶の完全な自由化は、今のまま0週で良いと思います。

 そもそも子どもが欲しくなければ、男はちゃんとゴムをつけろ責任が取れないならゴムをつけろ

 胎児をどこから人と認めるのかも、各国でデリケートな問題として議論されています。

 妊娠3週目から中枢神経(脳含む)や心臓は少しずつ形作られていきます
 妊娠初期~中期であっても「これはもう人じゃないか」と考える方も多いのではないでしょうか。

 非常に難しい問いですが、一つの仮説を述べます。
 科学的に、この世の全ての物質・現象は波でありエネルギーです。スピリチュアルな話を抜きにして、全ては波でありエネルギーです。そして質量はエネルギーに比例します。

 妊娠3週目の胎児は0.1gほどの重さのようです。であれば、0.1gの重さとエネルギーの人の魂がすでに宿っているのかもしれません。
 受精卵であっても、その重さとエネルギーの人の魂が宿っているかもしれません。
 そしてそれは中絶しなければ、だいたい2kg~3kgまで成長しておぎゃあと生まれ、すくすく成長するはず、そういう魂があるのではないでしょうか。

ロー対ウェイド事件

 アメリカの中絶問題の前提として、ロー対ウェイド事件という判決があります。

 アメリカでは州ごとの中絶に対する法制度が、今以上に異なっていました。
 1969年のテキサス州では「母親の命を救う目的」でない限り、中絶は違法でした。ですが、望まない妊娠をしたノーマ・マコービーという女性が、中絶する権利を求めて裁判を起こします。
 テキサス州は中絶を認めなかったものの、最高裁はテキサス州法に対して違憲判決を下し、これ以降、中絶の自由化が推し進められてきました。

 ノーマ・マコービーは匿名でジェーン・ローと名乗り、テキサス州のヘンリー・ウェード地方検事と裁判で争ったことからロー対ウェイド事件と呼ばれるようになりました。

ノーマ・マコービー

 マーコビー氏ですが、かなり言動の一貫しない人物で、1990年代になるとプロテスタント福音派へ改宗するとともに、中絶反対派に転身します。

 2005年には最高裁判所に対して、ロー対ウェイド事件の判決見直しを求める申し立てをしました。いや、お前が起こして、お前の主張が認められた判決ちゃうんかい!?

 その際「自分は、妊娠中絶の禁止に異議を申し立てるため、原告候補を探していた女性弁護士に利用された駒であった」などとロー対ウェイド事件が仕組まれた茶番であったかのような主張をします。

 ところが晩年には「中絶反対派への転身はお金のためだった」「中絶反対派としての活動は、芝居だった」などと意味不明な供述をします。

 何一つ、言動が信じられない、大嘘つきの腐臭がぷんぷんするのですが、いかがでしょうか。

ロー対ウェイド判決が覆る

 2022年6月に騒がれたのは、このロー対ウェイド判決が覆されたからです。
 ロー対ウェイド判決では、人の生がいつ始まるかという議論を避けました。
 合衆国憲法には「胎児に人権がある」と明記はされていませんが、もちろん「胎児には人権がない」とも明記はされていません

 判決ではいったん、胎児が産まれて生存可能になる週では、胎児にも人権があるから中絶してはいけない、それ以前は母親の人権を優先して中絶しても良い、という判決を下しました。

 胎児が何週であれば、生存可能かは諸説あります。

 日本では母体保護法にて、妊娠期間がどれくらいあれば生まれてきた赤ちゃんが生きられるのかを示す「生育限界」を定めてきました。
 1953年には28週、1976年には24週、1990年には22週と変わってきましたが、現在の技術であれば、22週以前に早期出産することになった命でも助けられるケースがあるようです。

“妊娠22週”助けられない命より

 もう一度、この図を見ましょう。
 アメリカは大部分が21~30週まで中絶の完全な自由を認めています。生育限界のタイミングと重なります。
 紫の、生育限界後であっても中絶を認めている、世界一胎児の人権をないがしろにしている州については後に取り上げます

 黄色(ミシシッピ)と赤(テキサス)のロー対ウェイド判決を破っている州がいるなあ、オイ!?
 母親より胎児の権利を優先するなんて、女性の中絶する権利・自由をなんだと思ってんだテメー!?
 とりあえずミシシッピ、テメー分かってんだろうな。最高裁判所で違憲判決出して、キッチリ憲法守ってもらうからな!? オオン!?

 ところが、そもそも合衆国憲法には中絶についての言及はありませんでした。
 ロー対ウェイド判決からして、中絶するかどうかはプライバシー権に含まれるという、よく分からないこじつけ解釈をしていたのです。

 今回、ミシシッピ州法に合憲判決を下すとともに、サミュエル・アリート判事は「ロー事件は最初からはなはだ誤っていた」「その論拠は極めて弱く、その決定は有害な結果をもたらした。ロー事件とケーシー事件は中絶問題に関する国民の和解をもたらすどころか、議論をたきつけ分断を深めた」と述べました。

 ロー対ウェイド判決が撤回されて、憲法を素直に読めば中絶に関する文言はありませんでした。
 ここまで読んできて分かるように、中絶問題は非常にデリケートです。母親の中絶する権利と、胎児の生まれてくる権利のどちらを優先するのか、多様な意見があると思います。
 そこで、中絶問題は元通り、各州が州民ごとの判断によって決める形に戻ったのです。

R-18G 中絶完全自由派

 中絶反対派から見た、ロー対ウェイド事件撤回について紹介した所で、中絶完全自由派の正体をお伝えします。

 この図で紫の31~40週であっても完全に自由な中絶を認めている州がありますね。

 グロ注意。あまりにおぞましいので、吐き気を催す邪悪を直視したい方だけご覧ください。















 NOT YET A HUMAN

 直感で思いませんか?
 悪に洗脳された、ホラーピエロだって

R-18G 偽LGBTQ

 アメリカにおける中絶問題は、偽LGBTQ問題とも切っては切り離せません。
 多様な性の自認は大事ですよね。尊重します。

 ただ、こういったデモンストレーションは違うのではないでしょうか。
 グロ注意。あまりにおぞましいので、吐き気を催す邪悪を直視したい方だけご覧ください。














 こちらのBlahさんのツイートはスレッドとしてまとめられているので、おぞましい深淵を覗きたい方は、ツイッターにリンクください。

 直感で思いませんか?
 悪に洗脳された、ホラーピエロだって

 ゲイは認めるが、潔く子どもは諦めろ。貧しい女性を搾取するな

 Blahさんは個人アカウントなのであくまで参考としてください。

 私の考察として、アメリカにて未成年への性犯罪や性的搾取が多い理由は、過激な偽LGBTQの押し付け、性の過激な自由化、少数派の自由ばかりにフォーカスしそれ以外の考えを迫害していること、などが原因の一旦になっていると思います。
 他人がどういった性的指向でも尊重しますよ。でも、それを声高に叫んだり、主張したり、個人の性的指向を子どもに見せつけたりする必要ありますか。

 こういった方々は偽LGBTQなのでしょう。
 まっとうで、他人へ迷惑をかけようとしない、ごく普通のLGBTQの人もいると思いますし、それが多数派であることを願います。
 性の多様性の皮をかぶった、偽LGBTQにご注意を。この世は偽と嘘がはびこっています。
 日本でも少しずつ、偽LGBTQのレインボーフラッグが掲げられているようです。

胎児保護派

 こちらが、ロー対ウェイド判決が覆されたことを喜ぶ人たち。胎児保護を主張するグループです。

自由・人権について

 自由とは、権利とは、とても危険なものです。
 言葉・概念には何事も、広義の意味と、狭義の意味があると思っています。

 広義の自由とは、宇宙における自由です。
 宇宙規模で考えると、あらゆる自由が認められています。
 宇宙は人を殺す自由を認めています
 人や法律、憲法がなんと言おうと、宇宙は、人が人を殺す自由を認めています。
 理系的な表現ですが、宇宙には重力とか電磁気とか、量子力学とか相対性理論みたいな、物理的なルールしか決められていません。そのルール(法則・方程式)に則っていれば、あらゆることは宇宙的には自由です。
 実際、宇宙の中の地球では、殺しも戦争も起きていますよね
 なんだか危なげな自由ですね。

 憲法に定められた自由は、狭義の自由です
 人が考えたり、優先順位を付けた自由です。
 これまた危ない自由です。

 今回、取り扱ったロー対ウェイド判決は、誤っていたと撤回されました。
 ですがつい最近まで、女性の中絶する権利を、胎児の生まれてくる権利よりも優先していた、そういう自由です。

 なぜ、エセ左翼・リベラル・ナチスが嘘つきなのか。
 片方の自由・人権にだけフォーカスして、もう片方の自由・人権を侵害する、正当化するからです。

 自由とは、人権とは、時にはお互いに思い合って、尊重しあうものなのではないでしょうか。

 ドイツ人の権利を優先して、ユダヤ人を迫害したのがナチス。多数派を優先し、少数派を迫害しました。

 母親の権利を優先して、胎児の生まれる権利を無視するのがリベラルです。
 中絶自由派をナチスと同格としている訳ではありません。ただ、リベラルの主張を鵜呑みにせず、熟考した上でどちらを優先するか考えて欲しいです。

 私は、老人よりも子どもを優先する社会が健全であり、大人よりも胎児を優先する社会が健全だと思います。

大自然の観点から見る中絶

 中絶について、大自然という観点から考えて見ましょう。
 地球上の動物に、あえて中絶をする動物はいませんよね。

 中絶する権利は、人があれこれ考えた、後付けの権利です。一方、胎児が産まれるのは自然の権利です。
 胎児が産まれる権利は、動物でも持っている権利です。これこそ自然権と言えるのではないでしょうか。

 大自然の厳しさの中、子どもを見捨てる、時には子殺しをする動物もいるかもしれません。
 自分で考えて解釈してください。人とは、自分は、どっちの自由・権利にフォーカスする存在なのだろうかと。

 胎児は中絶させないのが、自然(人の生態として、ありのままとして)だと思います。

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