私は、2019年5月から現在まで月1回のカウンセリングを受けている。
コンサルテーションや自己覚知の促進というお堅い目的よりは、ただ自分の生きづらさと向き合いたくて、セッションを始めた。
ありがたいことに、シンガポールに転居してからもセッションはオンラインで継続している。
先月のセッションで気づいたこと
先月のセッションでは、12月から新しく始まる仕事について話した。
自分の考え方のパターンに気づいた(が、立て直しはできなかった)。
何か新しいことを始める時、「できて当たり前」
「自分の仕事ぶりを皆に認めてもらわないといけない」と思ってしまう。
自分で高すぎる目標を設定し、圧倒されてしまう。
また、ミスした時に自分を強く責めたり、イライラして被害的になる。
他人と比べて、自分は何てダメなんだろうと思ってしまう。
※他人といっても、自分と全く違う背景やキャリアを持っている人。
自分を責める声って、誰の声なのか
母の声「だと思っていたが」、実は母の声に呼応した自分の声。
自分を奮い立たせることの、必ずしもネガティブでない側面
目標や課題を設定することで、努力の源になり得る。
責める声じゃなくて、どういう声なら心地よく聞けそうか
「やったことがないことは、上手くできなくて当たり前」
「とにかく、やってみよう。上手くいかなければ、相談しよう」
だったら、何か新しいことを始める時、楽な気持ちで取り組めそう。
その声を噛み締めてみて、どういう気持ちになった?
瞬間的に感じたのは、
「最初から完璧にできなければ、意味がないじゃないか」
「相談して、バカにされるのが怖い」
ということ。何でそういう発想に至るのかは、まだ深掘りしていない。
コンテクストに立ち戻る(感情の揺れを、認知で立て直す)
気持ちの瞬間的な反応はなかなか変えることが難しいので、
「自分に取ってどういう人に」「どういう状況で」「何を」言われたのかを
しっかりと考えて、ぐらついた気持ちを立て直す。
たとえば、初めて会った人に批判されようが、人格攻撃をされようが
その人は自分のことを知らないわけだし、意に介する必要はない。
だけど、自分は「悪口を言われた」という事実だけを
モロに受け止めて動揺する傾向がある。
(皆に受け入れてもらわなければいけないと思っているため)
何か新しいことを始める時、根拠なく「自分にできるわけない」と思うならまだしも、根拠なく「できて当たり前」と思うとはどういうことなのだ。自信があるのかないのか分からない思考回路だ。
認知の歪み(Cognitive distortion)/
不適応な認知(Maladaptive cognitions)
気軽に使っている「認知の歪み」について少し調べてみた。
調べれば調べるほど、いかに自分がこのパターンに陥っているか痛感した。
結論、私は認知の歪みでいっぱい。それが役に立つこともあるけれど、大抵は自分のやりたいことをできなくしてしまう。
加えて、私は以下の当事者であり、トラウマやうつ病が認知や感情に影響を与えている可能性も無視できない。
でも、しぶとく生きてる今のところは、それでいいかな。
参考: