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魔女狩りは情報技術の発達した時代にこそ起きる

魔女狩りといえば「中世の魔女狩り」とよく言われ、封建時代ならではの野蛮のように思われがちだが、実際には16世紀ルターの宗教改革以降の近世に多く起こっている。そもそも魔女とは自分で「魔女」と自称していたわけではなく、世界のどの文明圏にも存在するシャーマン的な存在(日本の巫女・イタコ・沖縄のユタなど)が原型だったと言われている。

ところがキリスト教が支配的になるにつれそれらの存在が「異端」とされ、「魔女」とされてきたらしい。もともとは東洋医学だけだったのに後から入ってきた西洋医学が主流になり、元からあった東洋医学の側が異端や眉唾とされるのに似た構図でもある。

異端とされた中にはユダヤ人もおり、現在よく見かける魔女の絵の「鉤鼻」は元々はユダヤ人を揶揄したもので、「魔女の集会」を指すsábado(サバト)はユダヤの休日を指す言葉でもある。老婆と箒の魔女イメージはあくまでグリム童話とかディズニー以降のもので、本来は性的誘惑をする若い女性、今で言えば「魔性の女」的な感じで、近代以前に描かれた魔女の絵は全裸であることも多い。

15世紀ドイツの異端審問官(宗教裁判官)ハインリヒ・クラーマー「男より女の方が性欲が強い分悪魔につけ入れられるスキがある」とする徹底した女性蔑視で、この人物が1486年に「魔女に与える鉄槌(Malleus Maleficarum)」という本を出版する。そのちょっと前の1450年にヨハネス・グーテンベルクにより活版印刷技術が発明されたことで聖書が誰でも読めるようになり、それが後の宗教改革に繋がってくわけだが、「魔女に与える鉄槌」もその活版印刷技術によりそれまでの本よりも圧倒的多数の人に読まれることになり、それがが近世以降の魔女狩りブームに大きく影響したと言われている。情報伝達技術の発展により魔女狩りが盛んになったというのは、インターネットの発達によって「炎上」が起きるようになったという構図に非常によく似ている。

さらには近世以降、市民の権利意識司法制度が確立してきたことで一般市民が容易に裁判を起こせるようになり、それも魔女裁判(魔女狩り)が起きやすくなった要因とも考えられる。裁判は当然証拠を必要とするわけだが「魔女である」証拠は出しようがないので、「自白」の強要しかなく、そのために拷問も起きやすくなる。中世封建時代なら権力者が絶対だからそもそも裁判の必要があまりなく、為政者の独断で刑に処せるわけだから拷問による自白もあまり必要ない。人権意識が確立してきた現代において非人権的な行いを過去にまで遡り「正義」の名のもとにネットで叩きやすくなったのによく似た構図でもある。

魔女狩りは宗教戦争で疲弊した市民のガス抜きであった面もあり、ネットリンチで「正義」を行うのもある種現代人の手軽な娯楽となっている。すべての歴史は形を変えて繰り返しており、技術の進歩も人権意識の確立も逆に人間を野蛮化させている面があると思わずにはおれない。

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