森岡健

この名前は「もりおかたける」と読みます。でも昔から「けん」と誤読されることが多く、高校…

森岡健

この名前は「もりおかたける」と読みます。でも昔から「けん」と誤読されることが多く、高校の時の絵の教室の先生も「けんちゃん、けんちゃん」と言うので、ある時勇気を奮い「先生、実はたけるって言うんです」と告白したところ先生は言いました。「あーらそうなの?!ごめんねけんちゃん!」

最近の記事

コロナ茶番 詠んで総括 狂歌集

【Amazonにて新発売!】 俳人・今夜がケイ坊氏の著書「コロナ茶番 詠んで総括 狂歌集」の表紙イラスト&装丁デザインを制作しました! ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 令和2年、唐突に始まりなんとなーく終わった、いわゆるコロナ禍。 あれだけマスクマスクマスクマスクと大騒ぎして、これからはこれがニューノーマルと高らかに謳われていたはずなのに、なんとなーく終わったことにして、しれーっと素顔に戻っている世間に違和感を感じている人も多いと思います。しかし結局あれが何だっ

    • 「法を超える」のが大好きな日本人

      ジャニーズ事務所の記者会見は色々思うとこはあり、共犯関係にあったマスコミがいっせいに掌返しで石を投げ出したのは、戦争を煽りまくった戦前の新聞が戦後急に軍部が悪かったと掌返ししたのに通じるとこがまずあった。 あとやはり新社長が非常にやばいことをさらっと言ってしまってるのが気になった。被害者救済について「法を超えて」と言ったわけだが、それじゃ法治国家じゃないわけで。法を超えて、つまり法に基づかず法的根拠なく補償するのだとしたら、言わば言ったもん勝ちの無法状態になる。 何の証拠

      • 「合宿所はよかった」

        ジャニーズ性加害問題当事者の会・副代表は一時メディアに出まくりだったが、出るたびに自身が受けたとする性被害を涙ながらに訴え、喜多川に足を触られたのが今でもトラウマでPTSDで眠れない等の発言していた。ところが奇妙なことにこの人物は、僅か3年前まで「合宿所はよかった」「あの頃はよかった」みたいな、どう控えめに見ても当時を肯定的に語っている動画を自身のユーチューブチャンネル「じゃにあっく!チャンネルプラス」で配信している。 もちろん現在も削除されることなく堂々とそれは公開されて

        • 「35年戦ってきた」

          性加害問題当事者の会・代表は被害者当事者の前で涙を見せる姿も多く報じられているが、つい1年前にBBCドキュメンタリーに取材された時はこんな感じだった。 「基本的には小中学生で未経験な子たちが多かったっていうところ...初体験はジャニーさんだって今でも笑い話で言うくらいで。僕はそこまでやられてないんで。だから被害にも何も遭ってない。ただマッサージしてもらったレベルの、ほんの少しの延長。ほんっとにファミリーな。もちろん全然親は知ってる事実ですから...けどジャニーズ事務所に入れ

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          洋式トイレは欧米の価値観を体現している

          トイレは今や洋式が9割以上だろうが、小学校のトイレは耐震を優先してることもあってまだ半数近くは和式便座らしく、それが不衛生さや大便揶揄に繋がってる面がある。高齢者にとってもしゃがむ力が弱っているので和式は辛いかもしれない。基本的には洋式トイレの方が一見衛生的で良いのだろうが、和式便座でふんばる姿勢は(若年層は)足腰が鍛えられるし、しゃがむ姿勢は自然とふんばりやすくもなり開脚している分肛門も開きやすく、結果的に短時間で排便が可能にもなる。 日本人は欧米人と大腸〜肛門からの脱糞

          洋式トイレは欧米の価値観を体現している

          「自由」とは冒険であり挑戦であり開拓

          自由とは何か?っていうのを、受け売り的な空論を排して経験則のみからあえて考えてみる。人間は「自由」な言動をしてるつもりでも結局気づかぬうちに一定のパターンに嵌っていて、意外と「誰かの敷いたレール」の上を歩いていることが多い。 スーパーで自由に商品を選んだつもりでも、無意識にふだん目にする広告宣伝が頭に刷り込まれていて、広告で見聞きしたことある商品に無意識に手を伸ばしている。自由に自分の意見を言ってるつもりでも、無意識に自分の属する陣営(内輪)に対するウケ狙いの言葉、帰属集団

          「自由」とは冒険であり挑戦であり開拓

          日本はなぜキリスト教国にならなかったか

          フランシスコ・ザビエルは頭にカッパを被っているのだと小学生の頃からなぜか思っていて、後年になって「カッパなわけないわな、ハゲたんだな」と思い直したがそれまた違っていた。あれはトンスラという僧侶独自の髪型で一般人と区別するためにあえてああいう頭頂部だけ剃った奇異な頭にしてるらしい。ところがザビエルが所属してたイエズス会はトンスラの習慣は無かったという話もあり、あれは西郷隆盛みたいに想像で描かれた似顔絵の可能性もある。 16世紀キリスト教の宗教改革で劣勢となったカトリック派は東

          日本はなぜキリスト教国にならなかったか

          人間には真実も幻想も必要

          世の中には見えなくていいのに見てしまうって事がある。ある日のこと、道を歩いていると向こう側からご老人が歩いてきた。白く立派な顎髭を蓄えた、明治の宰相を彷彿とさせる貫禄ある風体のご老人だ。これは今どき珍しい。敬意をもってすれ違うぞと覚悟を決め、もう少し近づいてみたところ、それは顎髭でなくただの白い顎マスクだった。 こりゃ見なきゃ良かった。もし近づいて見なければ真実はわからずとも、この町に貫禄ある老人がいる、というある種の幻想を抱いたまま生活できたのかもしれない。 世の中なん

          人間には真実も幻想も必要

          日精協会長「精神科医に拳銃を持たせてくれ」

          日本にある精神科病床数(約34万床)は、世界の精神科病床の約5分の1にも相当してるらしい。それだけでも十分戦慄だが、身体拘束も世界一行われていて、厚労省によれば精神病床における身体拘束の最大日数は5663日(15年半)にも及ぶものだったという。これは憲法違反(18条・奴隷的拘束)の疑いもあるだろう。 この歪んだ構図の元凶のひとつが医療保護入院の制度(精神科医と家族の了解で行える強制的入院)で、精神科救急病棟が6割埋まってると高額診療報酬が出るという、まさに利権構造そのもので

          日精協会長「精神科医に拳銃を持たせてくれ」

          「台湾有事は無い」という意見

          日本がこの先最も巻き込まれる可能性の高い戦禍としては台湾有事がまず挙げられると思うが、「その可能性はない」と以前から断定している識者がいる。もちろんそれを望むものではないし、そうあってほしいとこだが、中共は台湾近海で軍事演習を現にやっているわけで、そう呑気なお花畑になってていいのかという疑念がある。台湾総統選で民進党候補が勝ってからより一層でもある。 まずこの識者は中共は米国によってつくられ、米中台が一体であるかのような認識で、だから台湾進攻は(中台がそもそも一体だから)必

          「台湾有事は無い」という意見

          卵とワクチン

          ちょっと前になるが、鳥インフルエンザや養鶏場の火災などで鶏が大量殺処分になってしまい、それにより卵の価格が高騰したりして、それによりインフルエンザワクチンのmRNA型移行に拍車がかかった、という見方をしている識者がいた。でもそれには大きな疑問があり、まず前提として養鶏所というのは照明や暖房で常に電気配線を多く使っており、古くなった配線から引火しやすいことからもともと火災は発生しやすく、決して望ましくはないがそれ自体はけっこうよくあると言えばある。 で、インフルエンザワクチン

          卵とワクチン

          「警察」か「マスク警察」か。

          カレー味の💩と💩味のカレーのどちらを選らぶかは有史以来人類の課題でもあるが、「5類移行」して1 年経った今、マスク警察かモノホンの警察どちらを選らぶかを決めなければ日本人にとってのコロナ総括はできないだろう。マスク警察とは何だったのかと言えば、日本においてはマスクは法規制でなかったため、その法の穴を埋めるべく出現した「自警団」だった。 モノホンの警察はあくまで法の番人なので至近距離で素顔でいても「マスクしてください」などということはない。モノホンはあくまで明文化された法が規

          「警察」か「マスク警察」か。

          逆張りや反動だけでは「真実」は見えてこない

          少し前にmRNAワクチンの成分をトマトに入れるとか米に入れるとか最近では牛乳に混入するとかそういう話が出回り、ある知識人はリンゴに塗ってるみたいな事を言ってるがそういうのにはいささか疑問がある。まず自分が打たせる立場だったらとあえて想定すれば、はじめからそうすれば良いじゃないかとすぐ思ってしまうからだ。わざわざ郵便で券配って列に並ばせて筋肉に針刺す必要がない。 で、現にそうしてないということはそれができないということでもあり、ふつうに考えればmRNAワクチンは血中抗体IgG

          逆張りや反動だけでは「真実」は見えてこない

          「一人でいて寂しくない人間」になる

          1年ほど前のこと、長野県で「ひとりぼっち」であることを笑われたと勘違いした男が逆上して猟銃やナイフで人を殺しまくり、その後立てこもるという事件があった。犯人がイカレてるのは議論の余地もないだろうが、この犯人と大多数の日本人に通底しているのは「ひとりぼっちは嫌だ」という観念だろう。とかく日本人は群れることで自分の居場所を確認して安心感を得、群れることで等身大の自分から目を背け、群れることで自分が何倍にも強くなったように錯覚して他者を責め立てる。 若い人の間でもひとりでいるのは

          「一人でいて寂しくない人間」になる

          惑溺の日本人

          福沢諭吉は惑溺(わくでき)という概念を多用したことでも知られ、「日本は江戸期までは儒学に惑溺し、明治以降は西洋文明に惑溺していた」とった感じに当時の世相を喝破していた。自分たちの価値基準こそを絶対化することを「惑溺」と定義するならば、この2~3年はワクチンに惑溺(わくでき)する人類だったとも言える。 グローバリズムで情報通信手段も発達して共有知を得ることが人類の進歩と思われてきたが実際は必ずしもそうはならず、結局人間は見たいものしか見たくないからネット空間はエコーチェンバー

          惑溺の日本人

          小屋の中の自由と権力の内在化

          やさしい農場主のある豚小屋でのお話。その小屋では豚さんたちは長い間外に出ることは「禁止」ではありませんでしたが、農場主から小屋の中にいることを「推奨」されていました。たまに外に出ようとする豚さんがいると農場主は何も言いませんが、同じ豚さん同士でブーブーそれを咎めました。 🐷🐷🐷 「ブッブー!外に出るなんていけないんだブー!ルールを守るんだブー!」 やさしい農場主はそれを「ルール」にはせず「推奨」にすぎませんでしたが、豚さんたちはすっかりそれをルールを思い込むくらいやさしく

          ¥200

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