群集心理2

画像1 例えばソウル「梨泰院」雑踏事故のように、人間の行動には「群集心理」という「行動原理」が存在し、そこでは人間の行動は「個人」の行動とは異なる そこではもはや「個人」の「意志」「思惑」を離れて、「群集心理」に従って行動する そこでは「集団」としての「群集心理」に押し流されて、無自覚なままその時その場の「流行」に流されているだけだ そんなものは「集団心理」による「幻想」に過ぎない!戦争も同じ泡沫の「集団幻想」よ、最期にそれを悟った旧日本軍兵士は戦場で、己の愚かさを親兄弟や恋人や新妻に詫びながら死んでいった
画像2 「身捨つるほどの祖国はありや?」(きけわだつみのこえ)その声に対して杜甫「春望」で答えよう、「国破れて山河あり、城春にして草木深し」例え国家が滅んでも、国民は難民移民となって、粛々と淡々と生きてゆく他ないのだから・・・台南では新年早々まだ松の内だというのに、朝8時に空襲警報のようなサイレンが鳴り響き、ジェット戦闘機がホテルの上を低空で轟音けたたましく飛び去る有様、物量と人海戦術で天上天下唯我独尊オラオラ作法の中国に対抗して、台湾も韓国も生き延びるのに必死、ここでは戦争による破壊と殺戮は現実の恐怖なのだ
画像3 漢民族支配が確立する以前の台湾史観は中華思想、原住民と漢民族との間で血を血で洗う抗争を繰り返し、恨みつらみは何も何も生み出さない、孫文などと並び称される鄭成功とて時代に乗り遅れた不器用な男よ、明朝の没落と清朝支配への抵抗、という不器用な彼の生き方への判官贔屓こそ、今の民進党のみならず国民党の没落と中国共産党支配への抵抗、という閉塞感に満ちた台湾の姿を、自ら重ね合わせて自己憐憫に浸っているだけではなかろうか?
画像4 しかし虚構の世界に生きるゆとり世代の我利我利亡者は「下手の考え休むに似たり」「無理が通れば道理がひっこむ」、自分の利益のため他人を犠牲にして意図的に仕掛ける「情報操作」に猫も杓子も便乗し、邪な大人がばら撒く小遣い次第で何でも言うことを聞く子供は、一生善悪の判断がつかない邪な大人の使い走りで終わるのさ・・・そんなインスタグラマーと YouTuber は、どこまでも脳内お花畑で平和も民主主義もどこ吹く風、これでは世の中いつまで経っても、誰も救われないし、誰も報われないし、誰も幸せになれない!
画像5 台湾生まれの台湾育ちなら、両親や祖父母からまだ生きているうちに、それぞれの地域の過去の歴史と由来を教わることもできるだろう、しかし他国の人間で、学校で何も教えず、両親や祖父母が何も知らなかったら?・・・芋圓ハシゴしてお腹タプタプ(元からやろ
画像6 錬金楼、歌手の一青窈さん父方の故郷としても知られる・・・2016年5月に国民党から民進党へ政権交代があり、戦後間もない混乱期に国民党政権が起こしたとされる2.28事件の真相究明を、政権交代した民進党の蔡総統が事件の70回忌にあたる2017年2月28日に表明し、これを日本の各メディアが報じることとなった・・・何年経ってもその哀しみ苦しみは消えず、お先真っ暗な我が国の限界集落でも同じ!?いやいや、台湾の近現代史を良く知らない日本育ち、湾生ではない自分と彼ら彼女らとの間には、どうしても埋められない深い溝がある!
画像7 台湾全体の印象としては、東南アジア的な中華圏文化からくる異国情緒と、日本統治時代の影響によるノスタルジー。 しかしそれだけではない、悲しい歴史に翻弄されつつも、地に足をつけて前を向いて生きる、現地の人々の覚悟を感じた。 そして彼らと自分が向き合うための、日本人としての立ち位置を考えさせられた・・・台北のとあるセブン・イレブン、どら焼きだけ日本語わろす
画像8 台北の地下鉄「士林」站から故宮博物館への道すがら、とある消防署に寄付された救急車、「ゆりかごから墓場まで」・・・自分で救急車呼んでこれが来たら、ありがたく合掌して感謝しませう
画像9 故宮博物館の下から見上げる鰯雲
画像10 昭和は遠くなりにけり・・・日本統治時代から国共内戦を経て中国共産党との対立へ・・・しかし年寄りは内心「華僑のルーツは中国本土と切り離せない」と感じているのでは?口には出さねど祖国統一こそ悲願、お互い面子など捨てて知恵絞れ!
画像11 普通は西海岸なら台湾新幹線がデフォ
画像12 台湾新幹線の「左営」站にて、鉄ヲタっぽい彫刻家?によるオブジェ
画像13 しかし乗り鉄は台鐡(在来線)の自強号(特急)で、この当時は台鐡「高雄」站の第一月台・第二月台(1番線・2番線)は工事中
画像14 ようやく自強号が来た・・・国内では一般的になった電車スタイルではなく、動力車が客車を牽引する伝統的なスタイルは、自分が幼い頃に実家から祖父母の母の実家まで行き来していた頃の国鉄を想起させる・・・万年非電化の単線なのに名ばかり本線で、高度成長期はとっくに終わっているのに木造客車を DD51 751 が牽引していた、借金まみれで労使紛争に明け暮れ、やがて民営化を控えて断末魔の末期症状を呈していた国鉄の姿・・・民営化後30年以上経ってもまだ15兆円を超える負債が国庫に重い負担となってのしかかる
画像15 年寄りには郷愁を誘う「台鐡弁當」、飯の上に排骨肉のせて滷蛋(煮卵)と茹でキャベツ添え、あの頃みんな貧しかった
画像16 温泉で有名な知本(じーべん)を過ぎてさらに北上・・・
画像17 やがて雲が晴れて日が差してくると、南国らしいコバルトブルーとエメラルドグリーンの海の色に
画像18 ようやく長旅の果てに花蓮(ほぁりぇん)に着いた
画像19 翌日は太魯閣渓谷へバスで向かい、珍しく運動のためトレッキングを
画像20 トレッキングルートは断層だらけ、周囲の崖に見える露頭は褶曲だらけ
画像21 地震による崩落で九曲洞へ続く旧道は埋まって修復中(写真では左手奥)、やむを得ず歩道のない新トンネルの中から保守用の通路を利用(迷惑YouTuberかよ、お前はガーシーか!
画像22 辺りは静寂と冷気と僅かな埃が支配していた(自己責任で!
画像23 台中から集集線へ乗り換え、二水(あーしゅい)から車裎(ちぇちゃん)まで
画像24 ちょっとしたテーマパーク?家族お出かけ「あるある」、その1「子供が給水塔に駆け登り」、その2「母親が子供を追いかけてきて」、その3「父親が呼ばれ写真を撮らされる」、その4「塔の下で祖母は座り込み牛歩」、その5「父親は渋滞するから皆はやく帰ろうよとゴネる」、全て実話である
画像25 阿里山の原始林と自然遊歩道
画像26 日月潭にて、小僧さんはツラいよ
画像27 たとえ何があったとしても、決して悲観して身を投げてはいけない(違
画像28 日本統治時代の製糖所と引き込み線、車庫には保存された電機車両も
画像29 その正門から事務所の近くには防空壕があった
画像30 蘇澳(すーあお)のリゾートホテル、まだ営業してたらまた行きたい(BGM は Queen の Bicycle race で!・・・最後までご覧頂きありがとうございました。よろしければ他の旅行記もどうぞ!

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