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🤍心を両手で扱うとは

中学校の美術担当の先生が
卒業アルバムの寄せ書きに書いてくれた言葉を今も覚えている。

「努力する姿は素敵です。
心を両手で扱える人になってください。」

この言葉を書いてくれた真意は分からない。

心を雑に扱っている中学生に見えたのか、
君ならそうなれると思って希望を託して書いてくれたのか。

ポジティブに後者であることを信じてこの言葉を大切にしている。

そう、心を両手で扱える人になりたい。

目に見えない心を
目に見えないからこそ大切に。

10代の頃は自分が一番で周りのことは気にしないというタイプだった。

プライドが高く、でも傷つきやすい面倒な性格だった。
落ち着いていて周りをよく見れるタイプだと勘違いしていた部分もある。

社会に出て自分は逆に何もできないと絶望した。

学生時代に子供っぽいなと感じていた同級生は素直に努力していた。
子供っぽいのではなく年相応の成長だったのだ。
目の前のことにコツコツ取り組むその姿勢はすぐに逃げ出した私からするととても眩しくて羨ましくて直視できなかった。

先を見据えすぎて斜に構えて目の前のことから逃げているのは私だった。
単なる高みの見物だった。
そのことに20代前半で気付けたことは良かった。

傷ついたほうがいいとは言えないが、
傷ついたことがある人には人間としての深みがある。

単に傷ついただけではなく
その暗いトンネルにいる間にもがき、自分というものと向き合って自分の足でもう一度立ち上がる。
この経験が人間の幅を広げるのだと思う。

ある美術館で隣りにいた婦人が友人にこんなことを言っていた。

「一回アンダーグラウンドのところに怖がらずに行くと、オーバーグラウンドに戻った時に、当たり前に見えたところが違う視点から見えたり真偽を見分ける力がつく。」

盗み聞きして申し訳ないが、素敵な話だと思って記憶に残っていた。
 

現実の世界は地上にある。
地上の意識の世界に我々は存在している。

しかし悩んだりしっかりと問題と向き合い始めると、地下の無意識の世界に降りることになる。
一度深い地下の暗闇にいくと、考えもしなかったことに直面し右往左往する。
地上での自分の発言と地下での心で思っていることが異なり、その事実に戸惑うのだ。
その中で自分なりの答えのような、救いのような、芯とか軸のようなもの。それらを見つける。
そのあと地上に出て歩き出す。

反対に、悩んだり問題に直面したことのない人は、地上に居続ける。
だから「地下ってなんのこと?深い暗闇の話はなんかこわいから近付きたくない。そんなことより楽しいことをしよう。地上でパーティしてようよ。」というノリになるのだ。

地上に居続けることが悪いわけではない。

むしろ地下に一度降りることが悪いことではないと言いたい。
地下に降りて上がってくることにはその後の長い人生で良い面もあるよと伝えたい。

冒頭の話に戻るが、私にとって心を両手で扱うとは、この地下にいる人に寄り添うことだと思っている。

一人で暗闇にいるのはこわいし戻れないかもしれないという不安もある。そのときに私は答えを見つけることはできないけど、そばにいる。地上に上がるまで一緒に考えるよという態度をとりたい。



•••today's art•••

Pierre-Auguste Renoir,*Near the Lake*,1879/80 (The Art Institute of Chicago.)

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