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朝焼け

私は朝が嫌いだ。
あの、窓の隙間から差し込む光や街を駆け巡る怒号の数々それを日々身体中に染み込ませる行為そのものが私の有り余る人生において何故、必要なのか、また空を覆い尽くす焼け焦げた見るからに健康に悪そうな色を見たとき私は身体の奥に隠し持った感情が煮えたぎるのを感じる。
いや、それは可笑しいな話だ。   
なぜなら私は朝のことを美しい物として己の額縁にひとしきり大事に掲げていたのだ。

本当に嗤えるな窓に写る私の顔は。

私には人々にとって朝とはどういった位置付けなのかわからない。

希望なのか絶望なのかそれとも別の何かなのか。
誰かに聞こうにも誰も教えてくれない。
それは答えたくないのか、考えたくないのか。
朝という存在が曖昧なまま夜を迎え一周回ってまた朝を迎えているからなのか。実のところ私も朝について詳しく言及することが出来ない。悔しいが、朝の記憶が殆どないのだ。しかし、朝が苦であるという気持ちは確かに胸にしまっている。それだけは確かでそれだけを信じているのだ。

朝焼け、その言葉の響きは大変美しくそこから想像できる世界は雄大で希望に道溢れている気がする。そして言葉の響きと文字として見た世界観はどう言い繕うにも美しさが頭に残る。けれど、初めて言葉の意味を知り寝ぼけ眼の朧気に見た朝焼けは絶望以外の何者でもなかった。

私は、窓を開け、そして街を見渡し、そこから地平線の彼方まで延び続くオレンジの煌めきに手を伸ばし空中に浮かんでは雲で遮られ見え隠れする月と太陽が共存する空に魅せられる街並みに怒号を飛ばしまくられのたうち回る社会人と痩せ細り道端に朽ち果てる野良犬が眼に入ったとき、私はこれまでにないほどの哀しみと絶望を覚え静かにその場所から離れたのを今でも覚えている、またこんな現状を作った私を呪ったのも深く海馬に刻み込んでいる。

運が悪かったのだ。
タイミングが悪かったのだ
私が朝、そして朝焼けという言葉の響きに魅せられ過ぎたのが原因でもある。

そうか、そうなのか全部私が悪いのか。
考えてみると全部私に非があって朝は何も悪くないのかもしれない。全ては私がもたらした偶像に悲観して只独りで躍り狂っていただけなのだったのか。

そう、つまり朝ではなく本当はこんな私が嫌いなのだ。

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