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心だけが決まっている
仕事を辞める。その先のことは、後で考える。新卒から十数年間、転職はしながらもどこかしらの企業に所属して積んできたキャリアに初めて穴をあけるのだ。
会社に申し入れる時期が近づいてきていて、本当にいいのか逡巡はする。ネガティブな気持ちが戸惑わせて引き留めようとするけど、それでも旅立ちたい。
あまり人には話せない。具体的なキャリアプランもない。なんとなく辞めてみたいし、予定のない暮らしをしたいし、家
なんとなく しあわせ
いまは埋まっているスケジュールがとってもストレスで。真っ白がいちばん気持ちいい。1つでも予定があると億劫でしかたない。
久しぶりの真っ白な日曜日はいい天気だった。夫とふたりきり。ゆっくり起きて散歩して。運動にちょうどいいくらい離れた、私のお気に入りのカフェに連れていったり。ホットコーヒーとアイスコーヒーとプリンと一緒に、最近の話をして、これからの話をして、溜めた荷物をひとつずつ手放した。
外に
あけましておめでとうございました
夫が入院して退院した年末。少し体が弱っているので外出は控えて家でのんびりぼんやり過ごしていた。食事も体調に合わせて食べられるものを少しずつ少しずつ。なんだか季節感のない、なんともゆっくりした時間の流れる25連休だった。
少し早く訪れた隠居生活のような時間。
「今日は何しよっか?」から始まる真っ白な一日。何をするわけでもなく散歩して帰ってごはんを食べ、お風呂に入って、布団に入る日々。
ぼーっと過ご
ひどく疲れてしまうとき
何かを言い残したくなるのはひどく疲れたときばかり。
あの人に会ったらこんなことを聞いてもらいたい、と、吐きたい愚痴を浮かべながら、頭の中で攻撃的な言葉を組み立てていないか。
振り返って立ち止まることができるようになった分、少しは大人になったと思う。でもそのやり場のない気持ちを消化することができないままで溜まる感覚を味わっては、いつまでも幼稚な自分が嫌になる。
情けないまま深呼吸をして。顎の力
2020年8月20日の下書き
言葉が溜まっていく。ような気がするだけで実際はどこにも溜まっていなくて、無かったことのように過ぎて消えていくだけだと気づいた。
留めておきたい気持ちがたくさんあるのに、言葉を与えないとみんな無かったことになってしまう。確実にあったのに。あっという間に過ぎてしまうから、きちんと時間をかけて残したい、と思っていた記憶と実現できていない後悔と無念だけが残っていく。
最近、この転職はひとつのドロップア
いちばん好きなジンジャーシロップ
2021年の11月は、結婚式を挙げる予定だった。でも、コロナが最初に広がり始めていた5月にはあっさり中止を決めた。当時はまだ希望的観測もできる状況だったけれど、先行きの見えない不安を抱えながら人とお金を動かすプロジェクトを進める気持ちにはどうしてもなれなかった。(キャンセル費用が納得できる金額のうちに決めて本当に良かったと心から思う。)
その代わりに企てたのは、新婚旅行。行き先は屋久島。ゴールは
明るいリビングに仲間が増えた
生まれて初めて、植物を衝動買いした。
今まで、物を言わない植物にはあまり関心も無かったし、ものぐさな私はきっと枯らしてしまう気がして、自分には向いていないとばかり思っていた。
でも生活が一変すると、嗜好も変わってくるらしい。良くも悪くもコロナの影響力は測り知れない。
在宅でも追われるほど仕事があるだけ有り難いのは承知している。それでも自作のワークスペースでPC画面かスマホとにらめっこする日々
消えてしまいそうな週末とハッチポッチステーション
今週に入ってから、時差出勤もやめて終日在宅ワークに変えた。意外と心地良いなと思いつつ、家にずっといるのに家事を溜めることには妙な罪悪感があることもわかった。でも総じて言えば、私はこのスタイルが合っているような気がしている。
ただ、今朝、気づいた違和感。いつもあんなに待ち遠しかった週末が来たのに、どうも気持ちが晴れない。気軽に出かけられない憂鬱さはいったん置いておいて、オンとオフの境目が曖昧になっ
土曜日のライスハック
我が家の食卓に新しいルールができた。
毎週、土曜日の晩ごはんはカレーライス。ちゃんとスパイスで作るやつ。
このルールができてから、献立にあまり悩まなくなったし、カレーが大好物の夫には必ず喜んでもらえるし、良いことがいっぱいあって幸福度がじんわり上がっている。新しいライフハックかもしれない。
土曜は米の日だから夫は、数年前から米アレルギーを持っている。お米を食べられない日本人もいるんだ、珍しいな
3月11日の次の日とかその次の日のことも
「3.11」という日付が大々的に語られる一方で、私はどうしても、その翌日のことも、同じくらい強烈な日として未だに思い出す。
あの日、2011年3月11日(金)のことは、目の当たりにした誰もがきっとずっと覚えていて、これからも毎年ずっと思い出されたり語られたりするんだろう。その翌日、2011年3月12日(土)の話も、私はしたい。
震災の瞬間、私は池袋のジュンク堂書店の8階にいた。本が降ってきた。