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うつくしさも、グロテスクさも 津川竜三回忌追善特別興行

ロビーに設置されたポストに気付いた。
「三回忌追悼特別興行」
私が行った日はその第2弾。
前半に行われた故人と親しくしていた座長たちを集め偲ぶ特別公演に続き、劇団だけで夫であり父であり祖父であり師匠だった彼を偲ぶ公演だった。
好きな作家が手掛けこの日初演となる芝居を目当てに訪れ、休憩時間にふと目に入ったのが件のポスト。
「故人にメッセージを書いて下さい」
「抽選で粗品を差し上げます」
粗品要る?! と芸人粗品的ツッコミを入れてしまったのだが、
このポストと手紙が公演のハイライトとなるとは思いもしなかった。

舞踊ショーはしばらく忘れられないほどの内容だった。
『ゾンビ・デ・ダンス』から始まって各人の舞踊が披露されてゆく。
息子である若い座長たちも『お梶』などをはじめ気合いの入った舞踊をみせた。

でもそれだけはなくて。
各個人の舞踊の前に孫たちによるショート舞踊が組みこまれる。ほぼ毎回。
新しい学校のリーダーズだったりブレイクダンス的なものだったり。
舞台上のスクリーンにTikTokや映像が流されたりもする。
故人の生前の楽屋や出番前の表情であったり。ほぼ毎回。
極めつけはスクリーンにうつされた故人の舞踊と共に妻であり劇団の責任者である彼女による舞踊だった。

正直に言う。
お腹いっぱい、と思った人は少なくないのではないか。
〝家族のアルバム〟に。
毎年届く家族写真入りの年賀状や家族家族なFacebook投稿のようなものに。
否定をしているのではない。
当月は、ましてやこの日は追悼特別興行だ。何も間違ってはいない。そういう公演だ。
完璧というか、立派なものだったと思う。ほんとうに。でも。だからこそ。

ショーのクライマックス、
彼女がアシスタント的役割の座員を伴い、
舞台上に椅子を置き、手紙の朗読を始めた。
あのポストに寄せられた手紙だった。

ファンの気持ちが舞台上で披露される。
BGMは勿論(?)cobaの『過ぎ去りし永遠の日々』、あれ、あれが流れる中。
「竜様のことが忘れられません」
「竜様に会いたくて人気のない交差点で何度もハンチョ(大向こう・掛け声)をかけました」

最後に、
この家を守るものとして
妻として母として祖母ともなった彼女が自らの気持ちを綴った手紙を読む。

「今あなたはどこに居ますか。
客席の後ろですか。舞台の袖ですか。孫の隣ですか」

一人で行ったカレー屋さんで「やさしそうな男性があなたの後ろに居ますね」と言われたこと。
故人を知らない息子たちのファンが撮った写真に白い影がうつっていること。
決意を込めた目で締めくくった。

「あなたとの約束を果たして必ず会いに行きます」

その言葉をきっかけに始まったのは、桜、桜のラストショー。

旅芝居・大衆演劇とは、家族だ、家だ。
全て、出る、見える、舞台に。
時にそれは御見物(客)の望まぬものだとしても。
出る、みせる、見える、におう。否が応でも。
 
その何が悪い。
 
「悪いよ!」
 
と、わたしは観始めて何年かくらいまで思っていた。プロなら隠せよ!と。
客席にみせる芝居の中の物語、舞踊の曲の物語に、出てしまうそれは、うまく作用するときもある。
でもそうじゃないときもあるし、そうじゃないときのが多い? こともある。
芝居や、舞踊の曲の中の物語にあきらかにおかしいそれを出したり見せたり見せすぎたりするのはプロじゃないでしょう?と、今でも思う。金銭が発生する場の「プロ」としてだ。
 
でもね、観始めて何年かくらいには「マジキモい無理」だったその気持ちは今はすこし違う。
それが、そのこと、その舞台こそが、旅芝居であり、大衆演劇じゃないか、と思うから。
いいとか悪いとかじゃなく。好きとか嫌いとかでもなく。
でも諦めとか見下げるとかそんな気持ちでもなく。
ただただ、現実として。とても、とても、現実のものとして。
 
家族のアルバム。家族の肖像。家。
生きること。生きていること。生きてゆくこと。
旅芝居・大衆演劇の舞台にはそのうつくしさもグロテスクさも愛しさも醜さも気持ち悪さも怖さも全て出る見える。
滲み、漏れ、におい、見せられ、見せつけられ、わたしたちは観る観てゆく。
 
日々を生きることはきれいじゃない。 
きれいだけじゃない。
そのもがきやあがきを、見せたくない、見せないようにしても、していても。
そのみっともなさや苦しさも、また、「今」、生きている、ということ。
きれいなまま、逝く、逝ったこと、そのひとと、こちらに居る近しい者たち。
舞台に立ち、芸で飯を食い、食わせ、血を繋ぎ、残し、この家、この舞台に生きること。
 
それこそは、その舞台がきっと「愛」とか「愛のかたち」なんじゃないか。
愛ってなんだ。愛って労働。労働と性と生。美と生臭さ。旅芝居。
 
うつくしくてグロテスクでまるで人間そのものな桜のショーは、きれいやな、とわたしは思った。
 

(剣戟はる駒座・津川竜三回忌追善特別興行 2023・10.21 夜の部・羅い舞座 京橋劇場)
 

この日の芝居は『餓鬼を宿した男』。
近松の世話物『女殺油地獄』を関西の興行師であり
作家の山根大氏が劇団用にオリジナル作品として書き下ろし、初演となった。
主役の与兵衛に座長であり兄の津川鵣汀(らいちょう)
相手役のお吉に同じく座長であり弟の津川祀武憙(しぶき)
与兵衛は、昼の部は、「仁左衛門ver.」白塗り、
夜の部は「勘三郎ver.」not白塗り、にしてみたのだそう。油の量も、多め! わたしは夜観た!
 
意識してかしなくてかはわかりませんが、これもまた「家族」というかたちが大きく絡む芝居。そして「うつくしさも、グロテスクさも」な芝居だ。
 
わたしはこの作家さんと書くものに昔から興味を持っていて、そんなこんなで楽しみに観に行きました。色々ニタリとしながら。
ということをちょっとインスタにも書いた。
感想や、もっともっといろいろはあるけれど、ネットには、書かへんで。
観られてよかったな。
芝居も。とにかく芝居も。でも、その後のこのショーもね。近松にも、会えましたし。

◆◆◆
以下は、自己紹介 。よろしければお付き合い下さい。

構成作家/ライター/コラム・エッセイスト
中村桃子(桃花舞台)と申します。

旅芝居(大衆演劇)や、
今はストリップ🦋♥とストリップ劇場に魅了される物書きです。

普段はラジオ番組構成や資料やCM書き、
各種文章やキャッチコピーなど、やっています。

劇場が好き。人間に興味が尽きません。

舞台鑑賞(歌舞伎、ミュージカル、新感線、小劇場、演芸、プロレス)と、
学生時代の劇団活動(作・演出/制作/役者)、
本を読むことと書くことで生きてきました。

某劇団の音楽監督、
亡き関西の喜劇作家、
大阪を愛するエッセイストに師事し、
大阪の制作会社兼広告代理店勤務を経て、フリー。

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lifeworkたる原稿企画(書籍化)2本を進め中。
その顔見世と筋トレを兼ねての1日1色々note「桃花舞台」を更新中。
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先日、ご縁あって素敵なWebマガジン「Stay Salty」Vol.33の巻頭、
「PEOPLE」にも載せていただきました。

5月1日から東京・湯島の本屋「出発点」で2箱古本屋もやっています。

参加した読書エッセイ集もお店と通販で取り扱い中。

旅と思索社様のWebマガジン「tabistory」では2種類の連載をしています。
酒場話「心はだか、ぴったんこ」(現在19話)と
大事な場所の話「Home」(現在、番外編を入れて4話)です。

noteは「ほぼ1日1エッセイ」、6つのマガジンにわけてまとめています。

旅芝居・大衆演劇関係では各種ライティング業をずっとやってきました。
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担当していたDVD付マガジン『演劇の友』は休刊ですが、
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