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人間の、人間な ある舞台や映画やドラマから
松尾スズキが好きだ、いや、好きではないかもしれない。
役者としての松尾じゃないよ。
ショッカーの創設者だったり
相撲のワル親方だったり競馬で負けて60円しか持っていないお巡りさんだったりじゃない。
劇作家として作家としての松尾さんがつくるものが好きだ。
よく使うモチーフは下ネタ・宗教・障がい者・格差・セックス・ギャグ。
好きとは言いたくない、好きではない、そう言いたい。でも。
芥川賞受賞作『ハンチバック』を読んだ時のわたしの感想は以前に書いた。
他の感想をひろっていると、
嫌悪感や、ちょっと受け付けられないという意見や、
「読んだけれど家に置いておきたくないような」みたいな感想も見られて、
「気持ちはわかるな、わからんでもないな」と思った。
わたしはというと、
読み進めるうちになんだか懐かしい感じがしたというか、
この感じは今まで通ってきた何人かの表現者たちの作風や人間観に似ているような気もした。
その中のひとりが、松尾スズキ。
登場人物たちや作風が、ああ、松尾の芝居みたいだなあって。
先日ブックオフで懐かしい松尾戯曲を見つけて思わず買ってしまった。
『ドライブイン・カリフォルニア』
![](https://assets.st-note.com/img/1692869573703-CjSJ07ZfPI.jpg?width=800)
同じく代表作と言われる『マシーン日記』と同じくらい
強烈に印象深い芝居で、台詞まではっきりと覚えている。
舞台は田舎のドライブイン、ある家族と家族じゃない人たちのお話。
集う人、とどまる人、出て行く人。くだらない日常とめぐる季節と年月。
裏の竹林と過去の事故事件たち、竹林にちなむ「まれごと」とまれごと師。
低俗だったりエロだったりシュールだったり「ファンキー」なギャグだらけの中、
かなしめないこと、かなしむこと、生きること、が描かれる。(と、思う)
ちなみに、『マシーン日記』は、
エロとバイオレンスと障がいと家族といじめと生きづらさと生きることと愛の物語。(と、思う)
どちらも何度もカタチや出演者を変えて上演されているもので、
YouTubeには一昨年のもののダイジェストが、
ニコニコ動画にはわたしが慣れ親しんだ際のもののフルバージョンがアップされているので、興味がある方はご覧になれます。
好きとは言いたくない、好きではない、そう言いたい。でも。
今月、ある人というか「お、この人の文、興味深いなあ」な人が
『ラース・フォン・トリアー レトロスペクティブ2023』について書いていた。
激鬱映画としてお馴染み『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の監督作品の一挙上映祭。
「好きではない、愛憎溢れる気持ち」で、ほぼ全作を観に行って、Blogに綴っていた。この夏の思い出は「仕事とトリアーだった」とまで。
(余談ですが『ダンサー・イン・ザ・ダーク』と、早見和真の小説『イノセント・デイズ』はなんかかぶる)
さらに、この何か月か、
わたしはホラーというかサイコサスペンスというか胸糞悪い系映画の話をよくしていた。
あるステージを観て、
元となった映画から派生するいろんな映画についてというか、
そんな感じで、お好きでよく観ている方にお訊きしたり話したりしていた。
何作か何人か出た中で、「ちょっと勧めるにはどうかな人ですが……」の枕言葉を経て、お互いに話題にあがったのは、やはりというかなんというか園子温だった。
園子温に関してはやはりこういった誰でも目にできるSNSでの言及は避けるべきかもしれないとも考える。
最近のちょっと言及したくない事件報道のことで、あ、トリアーもだけど。
名前を出すだけでもフラッシュバックやいろんなことを引き起こしかねない。よくない。目にしてしまった人、申し訳ありません。
文の前に閲覧注意の文言を入れておくべきだったかもしれない。
だからこれくらいで止めておく。語ると止まらないけれども。
で、そんなこんなでふと最近、また今村昌平映画のことを思い出していた。
楢山節考、復讐するは我にあり、うなぎ、
にっぽん昆虫記、神々の深き欲望、赤い橋の下のぬるい水……。
はじめて観た時の衝撃は忘れられない。
何度も書いてきたので省略するけど。
なんなんだ。好きではないかもしれない、好きではないとも思う、そう言いたい。
目を覆いたい。見たくない。受け入れたくない。
でもこの監督に影響を受けて映画づくりは勿論創作をしているという人は世界中にどれほどいるだろう。ああ、ポン・ジュノも。ああ、パラサイトを観た後、痺れまくり、どれだけこのひとの作品を観倒したことか。
そんなこんなの、こんなそんなで、この数日は、松尾作品に戻ってきた。
仕事中のBGMや気晴らしがわりにさきほどの2作を観返したりもしていた。
わたしは、
わたしの体の半分以上は、劇団☆新感線で出来ている、誇張ではない。
でも、同時期に、松尾さんの作品や大人計画も、
半分ではないかもしれないが、結構、血肉になっているように感じる。
下ネタや性的なネタがいろんな理由で好きじゃないのに。血も得意じゃないのに。
そんなわたしが〝これ系〟を「びゃー……」ってなりながらも、
結構真面目に、笑いながら真面目に観る、観てしまう。
大声で言いたくないというか認めたくないけれど、
人間観にも影響しもしてるんじゃないかなあなんて思ったりもする。
きれいや薄っぺらな感動じゃないところがどろどろぐじゃぐじゃジメジメ。
人間の醜さちいささどうしようもなさ、そう、どうしようもなさ。
笑えて、笑うしかしゃあないことも含めて、笑いで、
笑いだけど真顔なそれらは、だから引きながらもげらげらへらへら。
毒とポップと冷笑と嘲笑と、「人間って」。
「人間(私やあなたという生き物って)」、むきだしの。
シニカルにコミカルなそれは笑い、にんげんの、にんげんな、〝重喜劇〟。
きれいじゃない、きれいだけじゃない、でもだから、だからでも。
うん、現実には同じくらいかもっとヤバいやつがいっぱい居る。
居るんだ。みたくない、みてみぬふりをしたいけれど。
現実に、現実として。
人間というものの〝ナカミ〟にあるエゴ、エゴイズム。欲。我欲。
欲にもいろいろあって、
ありとあらゆる欲が人を動かす原材料で原因かもだけれど、
その中の性というやつはたぶん少なくない人にとってきっと大きいものなのだろう。
(かつ、画的に「映え」るからという理由もあると思う)
エゴとエロと、そして笑い、大きな意味で笑い。
ふとしたときにその〝本性〟は出る。エゴとエロと〝ナカミ〟は出る。
いい顔しているやつほど、隠しているかもしれない。
隠している原因や理由は(共感はしたくないし出来ないことのが多いけれど)あるのだろう。
エッセイ漫画家の峰なゆかは書く。
〝社会的弱者はさらなる弱者と認識した人間を見つけては叩く”
きっと絶対(残念だし嫌だしみんなで己も考えていかねばだけれど)ある。
そいつはいつもあなたの隣に居て、あなた自身かもしれなくて、常にいる。
そこにいる、ここに居る。
え? やめてくれ?「私」とは違うって?
「あなた(たち)は私(たち)とはちがいます」?
なんで?
違う? 関係ない? 別のもの(ひと)?
そうなん?
そうして、排除駆除差別してやりすごそうとしたりするの?
血、血の繋がりとか、繋がってないとか、性別とか、そんなんじゃなく、
そんなんをこえ、人間は人間だから、とてつもなく、面倒臭い。
血がびゃーっと吹き出たり、吹き出もしないどろどろを抱えていたり、
きたないし、こわい、みたくない。
でもそいつはそこに、ここに、居る。
幽霊やお化けやよりずっとこわいものきもちわるいもの、きっとそれは、人間だ。
だから、笑いと真顔とひきつりの寒気の中、考えたり、考えさせられたり。
愚かでちいさくてきれいじゃなすぎてきれいかもしれない人間というやつを。
それらやその描き方やそういう作品を愛と言う言い切るのはそれこそただの暴力だと思うし、押し付け的なものかもしれない。
でも歪んだ人、欠けた人、
いや、どんなひとも皆歪みや欠けがあったり(ある時期があったり)、
それでも愚かしくも滑稽に生きていて、皆ひっしで、
だからおかしくて、こわくて。
ダメなことは絶対に見すごしたりやり過ごしたりはしてはいけなくて。
これらの作品に描かれる人も、描いた人も、人間だ。
なんてことだ。
わたしは、そんな作品も、そんな作品をつくりだすひとたちのことも、
好きかはわからないけれど、触れてゆきたいし、興味深いな、と、とても思う。
そして、好きじゃないけど、「なんなんだ」で、「なんなんだ」と考えていきたいとも、とても思う。
笑って、笑うだけじゃなくて。
こわいとかキモいで終わるのではなくて。
例え生理的に、な吐き気や寒気とかがあろうとも、
人間を、みる、みたい、みなくてはならない。
と、いうことも、
いいとかわるいとかじゃなく
「人間はゴミで、ほんとうにクズで、
つまり、だから、人間は人間だ。人間は人間でしかない」
と、吐き気や寒気すらするほどに教えてくれた
生と性との人間舞台たる旅芝居・大衆演劇という世界にかかわってきたせい(おかげ?)もあるのだけどね。
そこから派生して、劇場や舞台や人間をみて、かかわって、今も、やはり、とても思います。
だからでも。でもだから。
なんかひさびさに長くなった、そしてとっちらかりました(笑)
最後にひとつ、おすすめ(?)を載せておきましょう。
松尾スズキ作の舞台作品ではなくラジオドラマです。
2001年にNHK FMシアターで放送された『祈りきれない夜の歌』
同作のシナリオはエッセイ集『永遠の10分遅刻』(ロッキング・オン・2001年)内に収録されています。よろしければ
松尾worldファミリーでお届けのこの作品は、
わたしの最強賛辞(?)のひとつ「なんでこんなん書けるんやろう」な物語です。
わたしはこの作品は、人間讃歌だと思います。
*
グロとかホラーとかサイコとか「よろしくない」とは逆(かも)だけれど、
わたしは野木亜紀子の書くドラマが、すごく好きです。
特に『アンナチュラル』と『MIU404』。
何度観たかわからんし、いまだに観ます。
上記のような「極端」じゃないけど、
でも、ただただきれいとかじゃなくて、〝人間〟で、
だから、何度観ても、飽きないどころか、考えさせられるのです。
*
以前、ヤクザ映画について語ったときも似たことを書きましたね。
ちょうどきのう、
文藝春秋ウェビナーで配信された鈴木智彦さんと西岡研介さんの対談も。
第三弾の昨日は「ヤクザと文学」。昨日も痺れました。
冒頭から子母澤寛の『人斬り林蔵』などが取り扱われ、
鈴木さんは語っていました。
「ヤクザが好きなんじゃない、ヤクザを褒め称えたりしたいわけじゃない、究極の世界に生きる奴らだからこそ“人間が見える”んだ」
(なのに、媚びたり、怖がったり、距離感間違ったりで褒めまくったりええこと書きまくったりするメディアと、危険な目にあってもそうはせず忖度なく書く大御所の話、などもね! わはは!)
◆◆◆
以下は、すこしだけ自己紹介 。よろしければお付き合い下さい。
構成作家/ライター/コラム・エッセイスト
中村桃子(桃花舞台)と申します。
大衆芸能、
旅芝居(大衆演劇)や、
今はストリップ🦋♥とストリップ劇場に魅了される物書きです。
普段はラジオ番組構成や資料やCM書き、
各種文章やキャッチコピーなど、やっています。
劇場が好き。人間に興味が尽きません。
舞台鑑賞(歌舞伎、ミュージカル、新感線、小劇場、演芸、プロレス)と、
学生時代の劇団活動(作・演出/制作/役者)、
本を読むことと書くことで生きてきました。
某劇団の音楽監督、
亡き関西の喜劇作家、
大阪を愛するエッセイストに師事し、
大阪の制作会社兼広告代理店勤務を経て、フリー。
詳しいプロフィールや経歴やご挨拶は以下のBlogのトップページから。
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lifeworkたる原稿企画(書籍化)2本を進め中。
その顔見世と筋トレを兼ねての1日1色々note「桃花舞台」を更新中です。
各種フォローもよろこびます。
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5月1日から東京・湯島の本屋「出発点」で2箱古本屋、やってます。
参加した読書エッセイ集もお店と通販で売ってます!
旅と思索社様のWebマガジン「tabistory」では2種類の連載中。
酒場話「心はだか、ぴったんこ」(現在19話🆕!!)と
大事な場所の話「Home」(現在、番外編を入れて4話)です。
旅芝居・大衆演劇関係でも、各種ライティング業をずっとやってきました。
文、キャッチコピー、映像などの企画・構成、各種文、台本、
役者絡みの代筆から、DVDパッケージのキャッチコピーや文。
担当していたDVD付マガジン『演劇の友』は休刊ですが、
YouTubeちゃんねるで過去映像が公開中です。
こちらのバックナンバーも、さきほどの「出発点」さんに置いてます。
あなたとご縁がありますように。今後ともどうぞよろしくお願いします。
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