見出し画像

「モモ」を読む シュタイナーの世界観を地下水として(著:子安美知子)【読書紹介は読んだ本を手っ取り早く要約する能力があったのです。えへん】

今やすっかり新興宗教として・・・
えー、ごほんごほん、新しい哲学体系として、
なんていうんだろうな、カルチャー?として、
日本社会でも聞き馴染みあるようになってきたシュタイナー哲学ですが、

まあ、最初に舶来して紹介してくれたのはこの人、

子安美知子先生ですよね。

お子さんがドイツのシュタイナー学校に通われたので、
その時点で知ることになり、
なんだこの変な学校は??
ということでの本を書いたことが始まりでした。

このお子さんの学生生活は80年代冒頭くらいでしたっけ。

今でも入門本としては、やっぱり「モモを読む」がいちばん、
と勝手に思ってます。

シュタイナーってオカルトとかやってた人なので、
イメージが悪くて(インチキぽく見える)
どちらかというとミヒャエルエンデ経由で知った人が多いんじゃないかと思います。
現代での正式名称はアントロポゾフィー哲学(人智学)
系統としては実存主義の系譜に属します。

エンデは、この人は童話作家という肩書きなので、
世間から不信感を抱かれないですね(爆)

さて本書はミヒャエルエンデの「モモ」が、
シュタイナー哲学の世界観で深読みができるという話です。

考察班の皆さん、改めましてよろしく。
そう、これは考察(深読み)の物語です。

「モモ」は子ども向けの児童文学に過ぎないはずだったのですが、
しかしシュタイナー哲学を知っていると、
「え?これってもしかして、あの話?」

岡田斗司夫がジブリ名作について背後ウンチクを語りだすくらいには、
深い背景があるらしいのです。

モモが最初にいた円形劇場で、
モモはなぜか自分の由来を知りません。
「小さなモモにできたこと。それは他でもなく相手の話を聞くことでした」
なあんだ、そんなことか?
ではなくて・・・
モモが聞いていると、
「俺には何の意味もないゴミみたいな人間だ、と思っていたけど、いやそんなことはない、俺は俺で世界の中で重要な存在なんだ」
ということが否応なく自覚されてしまうというそんな聞き方なのでした。

シュタイナーいわく「ある種の修行を志す人にとっては、何かを知るときに、自分の内なる反抗や反感を完全に沈黙させ(中略)自分にとって正反対の意見、およそ酷いことがまかり通るときでさえ、没批判的に聞き入る練習をしていると、その人は他者の本質と完全に融合してすっかりこれと合体する。相手の話を聞き入ることによって相手の魂の中に入り込む」

そして、事物はそれ自体を自らの言語で自然と語りだすようになってくる。

この(聞く力)の前には、邪悪な者たちでさえ正体を隠すことはできません。

後に灰色の男たちが現れたときにも、彼らは自分たちの真なる目的を勝手にモモの前で自白してしまったのでした。

誰も(聞く力)の前で偽りを述べることはできません。
モモの(聞く力)というのは、そういう力なのです。
たったこれだけの力。

内容をだいぶ丸めて書いています。ご了承ください。

******

この長い考察はそれ自体が長い物語であり、
おそらくは若いころの私にとって最初の宗教と言えるものでした。
聖フランチェスコや親鸞聖人の話より、こっちの方がスキでした。
はっきり言いましょう。
しかし子安先生もエンデもシュタイナーも、宗教と呼ばれるのを嫌います。
盲目的な信仰は彼らの好むところではないのです。
彼らが望んでいるのは、
聞く力によって、自分たちのことを理解してほしい。
私たちの言葉ではなく、本質を見抜いて欲しい。
という願望でしょう。

なぜシュタイナーがオカルト主義者になったのかも、
19世紀に流行っていた科学万能論に対して本能的な反発を感じたからのようです。
例えば、
「人間なんて機械に過ぎない。私たちの心は化学反応の連鎖であり、意識とか心とか、本当は存在しないのだ」

シュタイナーはそれをすごく嫌悪して、
「意識がないなら、なんでそんなことを考えるんだ?」
と即座に反論したそうです。
この反動でこの先生は、輪廻転生とかの話にぶっ飛んだわけですが。
シュタイナーにとっては、意識とか心とか魂とか、そういったものの実存性をどうにかして証明したいという人生の課題を抱えるようになったのでした。

*****

しかしアントロポゾフィーにおいては、さんざ霊とか転生とかの話をする割には、そういうことにのめり込むことにはすごく否定的です。

シュタイナーいわく「誰も自分の社会的地位や職業的義務が許す以上の時間とエネルギーを練習に当てたりしてはならない。この道の修行が彼の外界での修行を一時的にも変更するようなことがあってはならない」

子安先生いわく「アントロポゾフィーにおいては、うかつに前世の記憶など口にすることは強く戒められていることです」

要は、霊媒とかオカルトとかはあかんという、シュタイナー自身の前半生の反省に基づくものだと思います。しくじり先生だ。
まあブラヴァツキー事件の当事者のひとりですからね。シュタイナーは。
あれで小保方先生くらいには評判を落としたでしょう。

のめり込むな、と、くどいほど本書では言われます。
スピリチュアルはのめり込んだら必ず毒になるもの。

さらっと触れる程度でイイのです。
そして現実の生活を豊かにすることが大事なのだと。

******

本書はシュタイナー世界観にのっとって、
「モモ」の考察がこんな感じでひたすら続くので、
もうこの辺で止めときますが(力尽きた)

後半、灰色の男たち、マイスターホラが出てくるあたりになると、
がぜん冗談では済まされない展開になっていきます。

普通に聞くといかがわしい先入観を持たれてしまう話でも、
エンデの児童文学を通すと、
ふしぎと思想として、考え方のひとつとして、ありという気がしてきます。

ノンポリと否定されていたエンデの子ども向けの本は、
いつの間にか、デモ隊の先頭に掲げられるような政治的影響力を持つようになり、東ドイツでは発禁処分にされるほどのシリアスな本になっていたのでした。

最後に、
この「モモを読んで」は、
もちろんこれは90年代の本でして、普通に絶版です。
復刊されたら良いのですが、
よろしければ図書館などで探してみてください。
教養として、あなたの精神の血となり肉になることは保証できます。

#読書感想文 #ミヒャエルエンデ #モモ #シュタイナー哲学  
#シュタイナー教育 #ルドルフシュタイナー #オカルティスト  
#哲学 #世界観 #人間観 #考察 #深読み #背景 #作りこみ  
#バックボーン #血肉 #説明 #解説 #聞く力 #観る力  
#直観力 #本当の道徳 #教養 #歴史 #宗教 #信仰 #価値観  
#唯物主義 #心霊主義 #行きて戻る物語 #転生  

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?