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香りの思い出 #シロクマ文芸部

 秋桜が揺れている。
 秋桜を見ると、僕はどうしたって思い出さずにはいられない。
 

* * *


「秋桜の香りを知ってる?」

 ひとりきりで泣いていたら、突然声をかけられて驚いた。

 小学校に入る前。家族で遊びに行った公園で、みんなとはぐれてしまったのだ。
 パパやママに会えない、もう帰れない。
 泣きながら歩いていた時だった。

 驚いて顔を上げると涙もひっこんだ。
 見ると、僕よりも少し大きいくらいの女の子。
 シパシパと瞬きすれば、まつげに残っていた涙がひとつだけ落ちた。

「秋桜の香り、知ってる?」
 彼女はもう一度聞く。
 『コスモス』という花は知っていたけれど、香りは知らなかった。
 僕は素直に首を横に振る。

 彼女はゆっくりと近寄ると、僕をふわりと抱きしめた。
 突然のことに僕は身体を硬くするしかできなかった。

 けれど抱きしめてくれた彼女からかすかに漂った香りがとても優しくて、ほっとした。
 ほっとすると、今度は幼いながらに恥ずかしさが込み上げてくる。パパやママとは違う、初めて会った女の子に、僕は抱きしめられている。心臓がドキドキした。


「ねえ、周り、見て。キレイだよ」

 身体を離して、彼女が言った。彼女に従って見渡せば、そこは秋桜畑。
 泣きながら歩いていた僕は気付かなかった。ピンクや白、黄、たくさんの秋桜が揺れている。

「きれい……」
「ねー」

 彼女の背中のなかほどまである髪も同じようにそよそよと揺れていた。
 少しの間、ぼんやりとその毛先を眺めていると、彼女が思い出したように言った。

「私の名前、秋桜っていうんだ」
「え? こすもす? それって花の名前じゃないの?」
「花の名前だけど、私の名前も一緒なんだぁ」
「そう、なんだ。こすもす、ちゃん?」

 僕はなんだかわかったようなわからないような気がして、ぎこちなく名前を呼んだ。それでも彼女はやわらかく笑って、うん、と応えた。

 今では『桜』や『向日葵』のように、花の名前は人の名前にも使われることはもちろんわかるけれど。当時の僕には、花と同じ名前だということが、ひどく不思議に感じられた。
 ただ、彼女にぴったりだ、と思ったことは覚えている。



「もう、大丈夫だよ」
 彼女がいきなりそう言った。
 僕は意味がわからず、なにが、と聞こうとした。

 しかしその時、それまでそよいでいた風が突然ビュウっと音を立てて強く吹いた。
 僕は思わず腕で顔を覆って、目を閉じる。
 風は一瞬のことだった。

 僕が目を開けると、こすもすちゃんの姿はなくなっていた。
「こすもすちゃん……?」
 周りを見回しても、たくさんの秋桜が小さく揺れているだけだ。

「あー! いた!」

 聞こえた声に振り返ると、こすもすちゃんの代わりにママが見えた。
 大きな声で僕の名前を呼びながら走り寄ってくる。ママの後ろにはパパも見える。

「ママ! パパ!」
「ごめんね、怖かったよね? 泣かずにがんばったんだね」
「妖精さんの、おかげ」
 僕は笑って言った。こすもすちゃんに会うまで泣いていたことは内緒だ。今はママのほうが泣きそうな顔をしている。

「妖精さん? 妖精さんがいたの?」
「うん、そうだよ。だから、ママとパパが来てくれたの」
「ふふ、どんな妖精さんだったの?」
「秘密だよ!」
「あとで、パパにだけこっそり教えてくれよ」
「だめだよー」
 ごまかそうとしたつもりはなく、考える間もなく『妖精さん』と口にしていた。それも妖精さんのせいだったかもしれない。

 こすもすちゃんと会ったことは、僕だけの秘密にしよう。
 パパに肩車されながら僕はそう決めた。


* * *


 あれから何度かあの公園には行った。秋桜の季節はもちろん、秋桜が咲いていない季節にも。
 けれど、二度とこすもすちゃんと会うことはなかった。

 秋桜が揺れている。
 秋桜を見ると、僕はどうしたって思い出さずにはいられない。

 こすもすちゃんと、秋桜の香りを――


 



#シロクマ文芸部 企画に参加しました。


(※ 見知らぬひとにいきなり抱き着くのはやめましょうね……! 同意なく他人の体に触ることはやめましょうね……!)

なんとか形にできてよかったです。最近なかなか思ったようにならない。苦心。


読んでいただきありがとうございます。

2023.10.14 もげら



シロクマ文芸部 企画参加ショートショート:
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走るか、走らないか、その先にあるのは お題:「走らない」


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ペンギンのドライブ
Take A Step Forward.


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