ピアノの秘密。 #シロクマ文芸部
消えた鍵盤は、きっとひとりぼっちだ。
みんながいなくて、どこかで泣いているかもしれない。
「あの子はどこへ行ったんだろうね」
「隣がぽっかりと空いてしまって寂しいなぁ」
「帰ってくるだろうか」
「無理かもしれないね」
「連れ去られてしまったのだから」
残った鍵盤たちは、ひそひそと会話をする。
大きな声を出せば、それは音となり人間の耳に聞こえてしまう。
そうすれば幽霊だなんだと騒ぎ立てられる。そうならないように、鍵盤たちはひそひそ、こそこそ、小さな声で会話をするのだ。
今は夜。特に注意しなければならない。
「あの子がいないと、もうこのピアノを弾いてはもらえないのかな」
「あの子がいなくても弾ける曲ならなんとか……?」
「かなり限られそうだね」
「明日には帰ってくるかもしれないよ」
「でもいなくなって随分経つような気もするな」
「ずっと一緒にいたから」
なにもできることはないね、とミの音の鍵盤が静かに静かに零したのを最後に、鍵盤たちは黙り込んでしまった。
翌日、鍵盤たちは眩しい光を感じた。
鍵盤蓋が開けられたのは、いつぶりだろう。
「ただいま」
消えた鍵盤の声がした。
残っていた鍵盤たちは驚いた。
消えたはずの鍵盤は、元の位置にぴったりと戻っている。
数瞬のあと、おかえり、おかえり、と次々と鍵盤たちは声をかけた。
「寂しかったよ」
「戻ってこないと思ってた」
「無事でよかった」
元の位置に収まった鍵盤は、鍵盤はみんなを安心させるように応える。
「ごめんね。心配してくれてありがとう。最初はすごくびっくりしたけれどね。とても、大事に扱ってもらえたよ」
鍵盤たちがホッとすると、今度は質問が飛び交う。
「どこに行ってたんだい?」
「なにをしていたの?」
「いやいや、なにかされたのか?」
そして、ソの音の鍵盤が言う。
「なんだか少し、きれいになっていないかい?」
戻った鍵盤は少しだけ照れくさそうに、でも嬉しそうに応える。
「うん、そうなんだ。ピカピカでしょ? 実はね――」
自分がどこにいてなにをしていたか、なにをしてもらったのか、鍵盤たちに話した。
そうしている間に、ピアノに近づいてくる大小の影。
「わあ! 直ってる! やったあ!」
「よかったね。これからも大事にするんだよ」
「うん、もちろん! 直してくれてありがとう!」
そっと鍵盤に小さな指を乗せる。
「いっぱい練習するよ」
久しぶりに揃った鍵盤たちはみんなで歌い始めた。
#シロクマ文芸部 企画に参加しました。
今回もふたつ書いてしまいました……!
(前回のお題「私の日」でもふたつ書いた)
お題「消えた鍵」で書いたひとつめはこちら:
読んでいただきありがとうございます。
2023.07.15 もげら
今までのシロクマ文芸部 参加ショートショート
・街クジラ お題:「街クジラ」
・今日は誰の日? お題:「私の日」
・私の日制度、導入 お題:「私の日」
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