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鍵穴を探している。 #シロクマ文芸部

 消えた鍵穴を探している。もう、ずっと、長い間。


 ふぅ、と息を吐いて椅子に落ち着く。この椅子は祖父が使っていたものだ。随分古いが作りはしっかりしていて、なにより僕の身体をすっぽりと包み込んでくれるようで、心地が良い。
 祖父が生きていたころは、この椅子に座り幼い僕を膝に抱いていた。この椅子に座るとそのときの感覚をはっきりと思い出す。あるいはこの椅子がまるで祖父のように感じられるのだった。

 僕はポケットの中から鍵を取り出す。
 手のひらに乗る、小さなアンティーク調の鍵。
 この鍵は祖父が僕に遺してくれた鍵だ。

 

この鍵を使うのは、どこなんだ。


 祖父は『大切で大事な鍵』だと言っていた。愛でるように、また慈しむように扱っていた様子を覚えている。
 僕を膝に乗せて、祖父はこの鍵の話を何度もした。まだ小学生にもなっていなかった僕には、その話をまるっきり理解できたかといえばそうではないだろうが、とにかく楽しかったし鍵の話が好きだった。

 僕は祖父が大好きだった。
 そんな僕に突然襲いかかった祖父の死。
 祖父を失った悲しみ――だけでは言い表せない感情が、小さな僕を猛烈な力を持って飲み込んだ。

 今でこそ祖父の死を「祖父は死んだ」という事実として捉えられることができる。しかし、当時塞いでしまった僕の心は今でもまだその名残をとどめている。
 祖父がしてくれた鍵の話でさえ、今の僕はほとんど覚えてはいない。ただ、大切で大事な鍵であるということだけは、しっかりと覚えている。


 祖父とともに、この鍵がピタリとはまるはずの鍵穴も、消えてしまった。
 それに僕の心も。そう思わずにはいられない。

 祖父はこの鍵をどこに使っていただろうか。
 この部屋以外にもこの家のすべての鍵穴に差し込んでみたが、どこにも合わない。

 鍵穴が見つかれば、僕の心ももしかすると……、いや、それは僕次第なのはわかっている。わかってはいても、もはや祖父の死だけが心を塞いでいる理由にはならないこともわかっている僕には、なにかすがるものが必要だったりするのだ。



 突然、頭にチカチカとなにかが閃いた。

「心の、鍵……?」

 僕は思わず呟いていた。

 椅子に預けていた身体を少し起こして、ゆっくりと心臓のあたりを見やる。
 心、というのは脳だという説もあるけれど。

 鍵穴はここだ、という妙な確信が湧いてくる。


 ぐっと指先に力を込めて小さな鍵を握りしめる。そして今度は慎重に開く。
 手のひらに乗る小さな鍵。かつて祖父がそうしていたように触れてみる。愛でるように慈しむように。

 しばらくそうしてから、そっと指先で持ち上げた。

 鍵をじっくりと見てから意を決して息をひとつ吐く。

 そしてその鍵を心臓のあたりへ持っていき、恐る恐る押し込んでみる。
 すると鍵はなんの抵抗もなく進んでいく。僕の体内へと。
 痛みはまったくない。むしろ柔らかくて温かい。もしも『優しさ』に感触があるのなら、こういう感触かもしれない。

 少し進んだところで、鍵が止まった。僕には見えないけれど、ピタリとはまっているに違いない。


 鍵穴はここだ。
 ようやく見つけた鍵穴。



「人間は弱い。だからたまには心を閉じなければ、全部を失ってしまう」
「大切にしたいひととは、心を開いて分け合う」
「自分だけの、大切な大事なものがある」

 祖父が話してくれたことが次々に湧き出す。
 祖父が遺した大切で大事な鍵。
 ときに心を閉ざし、ときに心を開き、そうして心を護ってきたんだろう。

「まあ、ここは、金庫みたいなものだよな。だからちゃあんと護ってやらないといけない。そのための鍵だ。だから大切で大事な鍵なんだ」

 祖父が記憶の中で優しく笑う。

 僕は鍵をそっとそっと回した。

 カチリ、と小さな、けれど確かな音が聞こえた気がした。




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読んでいただきありがとうございます。

2023.07.14 もげら



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