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明日に遡る

休日が終わって朝が来て、彼が仕事に向かうとして、それほど難しい仕事はないのだから、不安な気持ちはないだろうし、なんというか、どう生きていくのか、という思いはあるのだろうけど、ぼんやりと今日はどう過ごそうかな、と考えているのだろう。

この休日を彼がどうやって過ごしたかを記録をもとに調べてみると、月一のカウンセリングを受けて、保阪和志氏の本を読んで(本のタイトルはわからない)、ネットフリックスで映画をみて(映画のタイトルはわかる)、いくつかの文章を書いたようだ。

これからのことや今のこと、思ってもしょうがないことを考えて動いて、呼吸して書く彼の当たり前の世界は、もうやってこないし、言葉が届かない未来は必然で、彼はそこに向かって走っているし、今もずっと走っている。

未来から送られてきたシナリオ通りに彼は1人になって、抱えている思い出と想いは、どうすれば良いのかと考えるが、抱えたまま日々を過ごすことは、別に悪くはなくて、忘れてしまうと、スッキリするのだろうけど、抱えたまま考え続けるのも、生きる感じがするから。

カウンセラーと話をしたときに、感じたことがあって、それは思い出したことというか、まだこの世界に入ってそれほど年数が経っていないから、アンテナを立てて反応することを探しても良いのに、あきらめるような気持ちが出てきて、実際に見つかるかどうかは別のことだけど、皆それぞれは同じ時の流れではないから、リハビリ期間が必要なんだということ。彼が現れるのは、嘘をつくつもりではなくて、遠くにあるひとつの必然として。

呼吸すると肩の力が抜けて、身体がやわらかくなって、特に追われる仕事はない時期だから、夜は8時過ぎに帰ってこれるし、それにしても、現状を目の当たりにして、こんなに何もかもなくなるなんて思わなかったから、もうすぐ渦に入ってから2年で、別に、それはそれで、元から何もないんだから、ほんとうにしょうがないことだと思っている。

今日も彼は走っている。


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