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インナーチャイルド

わたしが障害を抱え、今に至るまで ⑬

~現在に至るまでの経緯 その13~

 わたしの双極性障害の症状は、目に見えて良くなっていった。気分の波も、多少ないことはなかったが、それに振り回されるようなことはなくなっていた。ADHDの薬が合っているのだろう。頭の中が鮮明になっていき、今まで考えが及ばないところまで様々な視点で考えが至るようになっていく。わたしは、今までのような生き方が難しいと割り切ったことにより、自身を卑下するような形で今の自分には重荷だと感じることを自分の中で整理していった。様々な信念、拘り、思い込みだ。それを具体的に挙げる前に、わたしが用いた考え方の原理を紹介しておく。わたしが使用したのは、「エリスのA-B-C-D理論」「認知行動療法」の応用だ。ちなみに申し上げておくと、これはわたしが自身で取り入れたオリジナルの手法であり、専門医等に勧められたものではない。皆さん全てに有効かどうかはわかりかねる。だが、これでわたしが自身を受け入れることが出来たのは一つの事実だ。参考程度にはなると思う。以下、わたしが用いた原理の詳細だ。


〇エリスのA-B-C-D理論〇
A:物事を引き起こす出来事 (Activation event)
B:信念、思い込み (Belie)
C:結果・問題・悩み・症状 (Consequence)
D:論破・論ばく (Dispute)

多くの人たちには目の前の事象がこう見えている
 A:出来事 → C:結果
しかし、実際はこうなっている。
 A:出来事 → B:信念 → C:結果
そして、このB:信念、思い込みD:論破してやることで結果を変える。
自身の中のリトルひろゆきさんの出番である。


〇認知行動療法〇
 人にはストレス反応が4つあり、認知、感情、身体、行動がある。認知は捉え方や真っ先に浮かぶ考え、感情は悲しみや怒り、身体は動機や目眩、行動はそれに対して自身がどうしたか。これらの中で、自分でコントロール出来るのは認知と行動。上記の4つは相関関係にあるため、認知と行動を改めると全てが改善傾向に傾くという原理である。
 上述のエリスのA-B-C-D理論の論破のところで役に立つ。認知行動療法で学んだ認知の矯正の仕方が参考になったのだ。自分の今の視点とは別の捉え方を探してみることで、無理に拘らなくてもいいかなと思えるようになる。


 今からわたしが自身に折り合いを付けさせた一つの拘りを挙げていく。どのように考え、論破していったのかも。先にこれを読んでいる方に注意しておく。これより先は非常に厳しいことが書いてある自身と向き合える段階にいない方は読まないで下さい。まだ働き始めることを考えることが出来ない方たちです。スペースを空けます。引き返して
























人に優しくしなければいけない
 → どうして?
 → それは良いことだから
 → 良いことだからではなくて、良い人に見られたいだけでは?
 → そんなことない
 → この間、良い人じゃなくていいって言われて真っすぐ聞けなかったよね?図星突かれてたからじゃないの?
 → そんなことない!
 → 優しい人を演じ続けて周りからちやほやされたいの?小さい人間だね。
 → 、、、、、
 → そもそも人に優しく出来るのは余裕のある人だけ。余裕のない人間が人に優しさなんて過度に与えようとするから身体壊すんだよ。
 → 優しくありたいと思うのがなにがいけないの?
 → なにもいけなくない、ただ、間違いなく今のお前には無理だ。
 → そんなことない、優しいのは美しいことだ。それに自分の身を削ってでも人に優しくするのは尊いことなんだ!ずっとそうしてきたんだ!
 → その結果、お前はどうなった?
 → え?
 → 身体を壊し、お前が一番大事にしなければならない家族や友人をお前は傷付けた。お前が壊れて一番苦しいのはお前かもしれない。だが、その次に苦しむのはお前のことを大切に思っている人たちだ。お前は、周囲全ての人たちに優しくあろうとして、一番守らなければいけないものをお前は傷付けた。それは罪深いことだ。お前は驕っていないか?優先順位もわきまえず、望んでいるすべてを手に出来るような特別な存在だと思っていないか?そうだったらいいなという願望にすがっていないか?わたしはヒーローです?笑えるな。
 → そんなこと考えてない!
 → そうありたい、と思うのは人として自然なことだ。だが、それを背負うことが出来るかどうかは別問題だ。背負いすぎた挙句、実際にお前は身体を壊し続けてきたわけだ。その身の丈にあっていない荷物のせいじゃないのか?身の程を知れ。
 → こうありたいって願いながら生きてなにがいけないんだ!その願いを抱えながら生きるのが望みならそれは本望じゃないか!
 → よく聞け、その願いに拘ることが今のお前にとって重荷だと言ってるんだ。いいか、お前は今回の仕事でいろいろと折り合いをつけることが出来た。今の自分には無理だ、だから出来ることからやろうと考え行動に移した。非常に良いことだ。次はお前の心に折り合いを付けるいい機会というわけだ。もう一度言うぞ?「今」のお前には無理だ。どういう意味かわかるか?
 → 今の、、、?
 → 人に優しくありたい、という考えを捨てろとはわたしは一言も言っていないぞ?人に優しくあることを諦める必要もない。「今」のお前が背負って拘りながら歩くのはつらいんだ。今までつらかっただろ?だから、「今」は一旦その荷物を横に降ろせ。
 → 一旦降ろす、、?
 → そうだ。一度身軽になって、お前が成長して持てるようになったら、また持ちにこればいい。別に今じゃなくていいじゃん。ありたい自分になるの。今のお前はそんなもんだよ。
 → でも、、、
 → 荷物を降ろせたら、きっと歩ける。歩いた先は違う世界が待ってる。それに安心しろ。お前は優しすぎるんだから、意識しなくても大丈夫だよ。一度、お前自身を信じてみたら?
 → 自信ないな、、、
 → お前がその気になるまで説教するからよろしく~
 → ええええ


 つらかった方、、、ごめんなさい。

 わたしは鏡を前にして、自身に言い聞かせた。「今のお前には無理だ」と。でも、「未来の自分には可能性があるよ」と。しかし、自分の中にいる子供はなかなか納得してくれない。でも、だって、を繰り返す。わたしは自身が「今は無理だ」という内容を飲み込むまでひたすら続けた。


 わたし自身、どれくらいになったら荷物を降ろしていることになるのかはわからないが、上記のような言葉を自身にかけても、「認めたくない、受け入れたくない」と思わなくなるまで続けた。1年以上かかったと思う。わたしが自身に納得させた事柄は多岐に渡る。自身が抱えていた様々な拘り。優しさ、誠実さ、勝敗、完璧主義、悩むこと、断れないこと、抱え込むこと、他者からの評価、怒り。もちろん、すべてを捨てたわけではない。今の自分に出来る範囲で、負担にならない程度にやっている。わかりやすい例を出すと、目の前で人が困っていたら、自分が困るような事情がない限り、必ず声をかける。赤の他人であってもだ。自分に余裕がある時には手を差し伸べる。わたしが決めていることだ。わたしは削ぎ落としを進めながら、リワークで最後の自己分析発表を終える。この時は、まだ自身の削ぎ落としの重要性を理解していないので、発表には盛り込んでいなかった。少し残念に思う。


 わたしは、出来る範囲の仕事を探すことにした。学生時代にたまたま取っていた危険物取扱者の免許があったため、セルフのガソリンスタンドの監視員のアルバイトを受けることにした。仕事の負荷がこれ以上ないくらい軽いと聞いていたため、クローズ就労だ。もし、これで身体が持たないようなら、生活保護も視野に入れていた。無事、採用され順調に仕事も覚え、問題なく勤めだした。勤続1年が経とうとしていた頃、事態が動き出す。アルバイト先で正社員採用の話が出たのだ。今、現在はそことは違う部署の正社員で働いているのだが、、それはまた別の機会にお話ししよう。

経緯については、しばらくはここまでとさせていただきます。
また、結果のようなものが分かり次第、更新していきます。

 一応お話しますが、現在、職場ではいろいろトラブルがあります。以前の自分であれば、体調を確実に壊していた状態です。ですが、わたしは毎日、鼻歌を歌いながら仕事をしています。なんでも受け入れるし、なんでも降ってこいのスタンスでいるからです。わたしが変われたのが大きいのでしょうね。 


~後述~

 今回の記事をまとめる際、わたしが向き合ってきたものとはなんだったかを考えていました。自分の中の子供を相手にしているようだったと思い出しました。その時、「インナーチャイルド」という単語が頭に浮かびました。ああ。と思いました。自分はこれをなだめていたのだなと。
 以前の記事で、わたしが人に言われていることで、聞きたくない、言われたくないと感じることはないかと尋ねたことがあると思います。もしかしたら、あなたの中の子供が嫌がって駄々をこねているのかもしれません。ですが、そこにあなたが楽になるヒントがあるかもしれない。わたしは、本当に、ありえないくらい楽になって自身の世界が変わりました。もう自分の中のなにかに振り回されることがないのです。もう、どんな状況であっても、演じる必要もないありのままの自分でいられています。それがどれだけ素晴らしいことなのか、皆さんと共有出来たら、、、と思っています。わたしが、精神障害を乗り越えることが出来たのは、「今の自分」と「現実」を受け入れることが出来たからです。これは言葉でいうと簡単なのですが、とても難しいことです。なぜ難しいと断言するのか。根拠を挙げておきます。厳しい言葉になります。それは、「甘え」をなくす必要があるからです。勘違いをしないでいただきたいのですが、わたしが述べている甘えとは、自身と向き合うのに甘えがあってはならないという意味です。「今の自分」と「現実」を受け入れるためには、見たくない自分、認めたくない自分を直視し、これが今の自分なのだとしっかり自分に言い聞かせる必要があります。こんなのは本来の自分ではない、と否定しようとするからつらいのです。人は自分には嘘は付けない。だから、誤魔化しや気休めは通じないのです。なにかしら自分を誤魔化しやり過ごしたところで、自分には自分が嘘をついていることはわかってしまう。否定し嘘をついている自分、本当はわかっている自分、これらは反発し自身の中で盛大に喧嘩します。だからこそつらいのです。なんとかできるのは否定している自分だけなのです。否定したい駄々をこねている子供を説き伏せてみてください。もしかしたら、わたしと同じように、とても楽になるかもしれません。
 最後に、自身と向き合うのは、ある程度回復してからにしてくださいね。せめて、働き始めることが考えられるくらいの段階にしてください。いつだって現実は残酷です。自身に突きつけるタイミングを見誤ると、また壊れます。ゆっくり休んで、食べて、遊んで、そこからでも遅くはないのですから。


 

 今のあなたはつらいかもしれない

 でも、あなたがあなたらしくあれる日がきっと来ます
 
 今のわたしのように

 今のわたしは、人からうらやましがられるものはなにも持っていません

 人から見れば、ただの負け組のおっさんでしょう

 ですが、わたしはいま、だれよりも幸せなのです

 だって、わたしは手に入れたのです

 いちばん欲しかったもの

 それは、わたしがわたし自身を愛するということ

 これから、このわたし自身がどんな人生を歩んでいくのか楽しみでならないのです。つらいことや失敗もあるでしょう。でも、なぜか確信していることがあるんです。それは、、、







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