生きやすくなるためのヒント
先週は「生きづらさという言葉に持てる希望」というお話をしました。
そして昨日は「生きやすさとは?」というお話をしました。
昨日の話では、結論が出ないまま稿を閉じましたが、今日は早速「生きやすさ」についてのヒントを見つけましたのでお話していきたいと思います。
どうすれば生きやすくなるか。
どのような状態が生きやすいと言えるのか。
そのヒントとなるキーワードたちがこちらです。
・強くなる
・優れる、秀でる
・成長する
・進化する
・勝つ
・評価する
僕の考えでは、まだアイデアの種の段階ですが、
これら全てを捨て去る、諦めること。
これが「生きやすさ」そして「生きづらさ」からの解放に繋がってくるのではないかと思います。
その是非を議論する前に、そもそも不可能ではないかという議論もありえます。
しかし、僕個人としてはこれからこの生き方をしていきたいし、
個人のみでこれらを実現するのは不可能かもしれないことも踏まえつつ、試みていきたいと思います。
自分を人体実験できるのは自分だけですからね、倫理的にも物理的にも(笑)
さて、それでは何故これらのことを捨てることが「生きやすさ」に繋がっていくのかというと、
これらのことが「生きづらさ」に繋がると考えるからです。
もう1度載せておきます。
・強くなる
・優れる、秀でる
・成長する
・進化する
・勝つ
・評価する
・目的意識を持つ
これらの概念の共通点は何でしょうか。
1つは反対概念が存在すること。
強い⇔弱い
優れる、秀でる⇔劣る
成長する、進化する⇔退化する
勝つ⇔負ける
といったように、対義語が存在します。
もう1つは「比較」や「差異」そして「能力」が関わってくるということ。
〇〇より強い、あの頃より成長している。
あの人より優秀。
といったような「比較」とその結果顕現する「差異」。
そしてそれらに通底する「能力」の存在。
そしてそれを基準に「評価」する。
これらのキーワードは一見「よい言葉」に思えます。
自己成長を続ける。
進化し続ける。
自分に負けない。勝つ。
しかし、その先にあるのは?
評価や能力ですよね。
ということは、それらの概念を持ち続ける限りにおいては
「競争」や「能力」「評価」という俎上からは降りることができないのです。
人はなぜ成長し続けないといけないのでしょうか。
いつから成長することは無条件に良いとされるようになったのでしょうか。
「市場において良い人材として扱われるから」
「お金をより多く稼いで物質的に豊かな暮らしができるから」
という理由以外で進化や成長を無条件に良しとする理由を挙げられる人はいるでしょうか。
つまりは僕たちは、普段から当たり前に思っていることも実は何らかのイデオロギー(ここで言うと資本主義や市場原理、新自由主義など)の下支え無しには、何ら意味を持たなくなるということに気づかずに暮らしています。
当たり前の概念も、実は誰かが作った概念であり、そんなもの最初からあったわけではないということを、僕たちはもっと意識しないといけないと思います。
当然のこととして享受してきた様々な考え方も、実は「用意された枠」である。
その枠を取っ払ってしまった世界が仮に実現するならば、
僕が挙げたキーワードたちは意味を成さなくなるでしょう。
意味は場が無ければ存在せず、
僕たちが生まれたときから問答無用で「成長することは素晴らしい」とされているわけではないのです。
「成長すること、進化することは素晴らしい」という枠、場が無ければそれらは意味を与えられないのです。
その枠を取っ払ってしまうことは、果たして現代の私たちには可能なのでしょうか。
本来、人間を生き物として考えたときの本来は、
私たちは「居るだけ」でいいはずです。
成長してスキルを身に着けて、たくましく社会の荒波を乗り越えていく「必要」はどこにもないし、
「健康」で長生きする必要も無いのです。
心や体に病気を持つ状態が「不健康」だとする考え方も、考え方の枠次第では大きく揺らぐことになります。
「目的意識」なんてものも本来必要の無いものです。
「生きる目的」なんてものが必要不可欠なもののように考えられるようになったのは、人類史の中ではつい最近の話です。
枠を取っ払っても、もしかしたら違う枠がまたはめ込まれるだけかもしれません。
しかし、枠を取っ払っても大丈夫な世界を構想することができれば…。
現状の世界では、思い悩み苦しむ人たちに「生きているだけでいい」と何の衒いもなく言うことはできません。
「生きているだけでいい」と慰めや励ましの意味合いを持たせずに、
真顔で「当然でしょ?」「常識だよね」と言えるような、そんな世界であるべきとは言いませんが、
その方が「生きやすい」のでは?と思います。
それを個人化して、僕だけがやったところで何も変わりませんが、
僕の生き様を見せることで、
「なんだかそっちの方が楽しそうだな」
と思ってくれる人が増えてくれればいいなあと思います。
それも評価や比較、同調を求めることのように思えて、どうにもこれ以上論を進めることができそうにありませんが。
引き続き考えていきます。
小野トロ
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