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自分の姿をみる

 今、何と向き合っているだろうか。進路(受験)、人間関係(友だち、親)、趣味。無論、何でもいい。向き合っていると、自ずと“問い”が湧き上がってくるだろう。「受験勉強しているのは何故だろう」、「友だちとは何だろう」と、…。そして、大概にして“答え”は簡単に出てこない。答えが容易に出れば、それは向き合っているとは言わない。だから、すぐに答えを出そうとしなくていい。
 自分自身のことは自分が良く分かっている。そういう類いの言葉は幾度となく耳にしてきた。しかし、果たしてそうだろうか。人間には不可能なことがあって、その一つは「自分の姿を、自分が見ること」である。鏡で見られるではないかと思うかもしれないが、それは反転している姿であって、真の姿ではない。なぜこれが好きなのかという問いにさえ、まともに答えを紡げない。だからこそ、ときには自分とじっくり向き合う時間が必要で、それによって心が成長するのではなかろうか。
 結局のところ、他人の眼を通して、自分がどういう人であるのかを知ることも多い。そういう意味では、いいか悪いかを決定づけるような“議論”ではなく、これからの急速な変化をもたらす風の時代においては“対話”は欠かせないように思う。
 対話といっても、人との会話だけを指すわけではない。自分、古人、物など、対話の対象となるものは感性的に捉えれば幅は広がる。そして、対話する際には、周りの評価、意見に振り回されず、自分の気持ちに向き合ってみることが大切。その自分の気持ちを感知するには、本を読んだりして、書かれている言葉をもとに“問い”を立ててみるのもいい。狭量的な世界で生きていると、外壁に気づかなかったり、乗り越えられなかったりする。当然、生きていれば、誰しも悩み、迷い、不安、怖さなどと対峙することになる。神様があからさまに手を差し伸べてくれないのは、我々に乗り越える試練を与えてくださっているからだ。そこにはまさしく“観る”、“聴く”などの嫋やかな五感性が不可欠。
 自分の想いを好き勝手に語るのは簡単だが、他人の聲(気持ち)を傾聴しつつ、語ることが大切である。独り善がりになって、相手の気持ちを慮らずに、建設的でない言葉をぶつけたり、嫌味をブツブツ言ったりするのは思いやりに欠けるし、あまり心地よいことではない気がする。
 先週、『いのちと本に向き合う』をテーマとして、オンラインで読書会を主催し、ファシリテーターを担った。有難いことに20名の参加があり、予定を2時間も超過する4時間半もの長丁場に。私自身がいのちと向き合う数々の出来事を踏まえ、5年前から本を読んでいる。それがきっかけとなり、螺旋状の流れを生み出し、たくさんの方とご縁で繋がる。この情勢になってオンラインが進歩したからこそ生まれたご縁である。一面から見るとこの情勢は否定的に捉えられることが多いが、この繋がり自体はとても有難いこと。これからの時代では尚更、繋がりを大切にしたい。
 無人島にて一人で生きるなら、自分とは何かを捉えることにはあまり意味がない気がする。だから、多くの方との交流によって、自分の姿をみることができるのはいい学びとなり得る。

♬M.M. の「哲学対話P4S」コーナー♬

〇宇宙人やUFOは信じている人と信じない人がいるが、どうして長い間解明されていないのか。
 いい感性ですね。では、あなたは信じていますか、信じていませんか。半分とは言いませんが、おそらく意見が分かれるでしょう。私は信じています。たぶん、信じていない人は、目の前に宇宙人を連れてこられたり、真実を目の当たりにしたりしていないから、胡散臭いと感じるのでしょう。それはご尤もです。理系の世界では実証できてこそ事実として漸く認められますから。
 信じているというのは、見たことがあるとかそういう意味ではありません。人間の眼で見える世界はごく僅かです。その見える範疇だけですべてを語るのは些か勿体ないなと感じるのです。人間には素晴らしいことに「五感」があります。とある料理家は“トマトの聲”を聴いて調理するため、レシピに分量を載せないそうです。素敵な感性ですよね。実際、人間界で認識している“声”をトマトが発しているわけではないでしょう。また、ローストポークを調理しているある方は“肉の聲”を聴いて切っているそうです。私は“本からの聲”を感じるようになってきました。もちろん、見えるものだけを信じるのも人生ですが、溢れんばかりの豊かな感性をもって捉えることが増えたら、これから歩む道もより愉しくなる気がします。だから、この果てしない宇宙という時空にさまざまな生命体がいても不思議はないし、面白いではないですか。

〇結婚はいいものですか。
 難しい問いですね。捉え方は、人それぞれです。でも、今、私自身は一人で生きていけないと思うので、結婚はいいものだと考えています。助け合い、譲り合い、大事だなって。絶対に自分にはできないこともありますから、それを楽しめるチャンスでもある気がします。もし、一人で生きていくとしたら、一人分の人生しか楽しめません。しかし、妻がいて、子どもがいたら、3人分の人生を楽しめます。
 大学生まではずっと独りで生きていけばいいやと思っていましたけどね。こればかりはご縁であり、最高最適なタイミングで訪れるものです。ただ、事物を捉えるのはすべてあなた自身なのです。事実そのものに、善し悪しはありません。今、ここには、事実があるのみです。結婚がいいものだと分かって、結婚したからいいものになるかどうかは分かりません。あしからず。勿論、私も人間ですし、感情もあるので、揺らぐことはあります。でも、それも人生の醍醐味ではないかと。よき。

〇お金と愛、どちらが正解ですか。
 すごい二つを取り上げましたね。問われていながら、こんなふうに言うのも何ですが、「正解」なんてありません。どちらか一方が正解ではないはずです。お金だけでいいなら、儲けることだけに執着したり、詐欺したりすることを許容しかねません。逆に、愛だけでいいとすると、衣食住が安定しないわけなので生活していくことが苦労する気がします。
 これは私にとっての捉え方でしかありません。この問いだけでなく、あらゆることにおいて、自分にとっての納得解(答え)を探してみることは大切だと思いますよ。この世に絶対なる答えが存在するかは分かりません。だからこそ、人は悩むし、苦労するんだと思います。大変だとは思いますが、それが楽しいのではないでしょうか。もし、常に答えばかりがすでに用意されていたら、そんな人生を楽しめる気がしません。結末が分かっているドラマを、最初に観るときのようなワクワク感で観られますか。ただ、好きなドラマは何度観ても泣けますが…(笑)

2022.1.28

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