人間の進化

 人間の進化とAIの学習は、異なるアプローチを持っている。生まれてしばらくすると、制約のない思考を元に、自由に行動をしようとする人間。それはまだ自我だとか良心などの領域は遠く及ばず、親の観察を元にデータを蓄積していくしかない。されどそんな無垢の申し子もいつの日か。様々な経験や知識を持ち、それを通じてさらに進化していくのだろう。

 一方、AIはデータやアルゴリズムを通じて学習し、最適解に向けて自己記録を更新する。

 具体的には、感情がない。これは良く言えば、強すぎる信念が原因で自身の間違いに気づけない人だとか、無駄な見栄に縛られて結果的に損する人のように。不器用に空回るケースが少ないのだ。

 対して悪く言えば、共感できないことだろう。(するフリはできるけど。)学習速度が示す先はどこまでも冷静かつ的確な合理的選択、コストパフォーマンスの発揮である。

 人間というのは数ある生物の中でも大脳の割合にフォーカスされ。共感性、すなわち右脳の呪縛から逃れられない。サイコパスでもない限り。深く悩んだり泣いたりしたかと思えば、はたまた次の日は心の底から笑いだすなどという予測不可能な行動を、環境や心理、健康状態、その日の出来事など、様々な要素が複合的に絡みあい、変幻自在に発生させる。 (「いや、そんな不安定じゃねえよ!」と突っ込みたくなる人間も、そうした時期を経験したことがあるはずである。)

 さらに。空回りした人が、”なぜ空回りしているのか”?そのような本質的な回答にたどり着くことすらできないケースもある。または、”気づいても”対処することができない。何度も同じ問題にぶちあたり、自分の行動を修正できずに無力感に苛まれたりする人々。

 そしてそんな弱さを共有できる芸術や創作活動。また、執筆や演説。また、文章を通じたSNS交流。 
 故に、そこから発展させて誰かに勇気を与えようとする心理。それは、逃げの中の攻めの姿勢ともいえる。

 弱さは共感を生み、愛に変わっていく。

 けれどそんな愛も行きすぎれば、それは愛ではなくなり、誰かからエネルギーを奪い盗ってしまうような。または奪われるような。単なる残酷な自己満足と化してしまうことは頭にいれるべきだね。

 でも。そういった相対的にバランスが難しい、優しさと強さの葛藤、理想郷への渇望。こういったテイストは、いわゆる単なる合理的な選択を越えて、不器用に彷徨ったからこそ肉体に染み付いた抽象的なものである。

 例えば、こういった言語化できそうで難しいような抽象的な感覚。曖昧な感覚をAIに学習させても、あくまで科学的な視点で観察されるか、適当に相槌されるか、とってつけたように”人間らしさ”を持ち上げられるのがオチだろう。

 透明化された文脈から成る、信念、想念、思念。特に合理的に思考したり、また結果を想定したり。大局的に物事を見る上では邪魔になるような、”人間の思い込み”や”不器用さ”は、実はあるセクションで見ると、とてつもない強力なパワーを発揮してることがある。

 それは合理に対する不合理。すなわち、カウンター、アンチテーゼ。”だからこそ”、”無駄なことを繰り返すことによって”、何が無駄なのか、無駄じゃないのか。質量転化の末、長期的な視野や審美眼が養われ、未来における合理性や応用に繋がっていくのである。

 こうしてみると、明るく笑顔に溢れた人が実は悩んでいたり、苦しい立場に立たされている人が実は密かにやる気だったり、表面と内面が逆転する事象があるように。合理と不合理が反転するパターンというのは度々起こりうる。例えるなら、ブレーキを必要とするアクセル。そして、アクセルのタイミングを伺う為のブレーキのような関係。

 そしてまた同じように、合理性も突き詰めると、合理的ではない人を無意識に全体像から蚊帳の外に押し出し、”結果的に”二人三脚がうまくいかない現象に出くわすことがある。  

 最初から感情や情緒で調和が取れていれば…はなっから互いに譲りあえば。もっと時間を短縮できたものを。

 「なぜこんな簡単なことができない?」そんな高圧的態度で見下してギクシャクする。もちろんその先は、より円滑にいかずに時間がかかるパターン。これは合理を求めすぎて逆転現象で不合理な結果になった例だ。合理に囚われ、結果に囚われ、プロセスの中でメンタル面や+αを排除してしまう失態。

 ところで。

 なぜ人の胸が打たれるのか考えた。それは、ギリギリのところで勝負している。またはそのように見えるからだ。代表的な漫画の主人公に位置するような人物は、油断すれば壊れてしまいそうなステータスだけれど、それでも前を向こうとするような真っ直ぐなキャラクター。

 弱さと強さの間に位置する特異点、それこそが人間の感覚を強く揺さぶる核なのである。それは決して最強キャラではない。そういった類いはラスボスに配置され、乗り越えるべき壁として描かれるのだから。

 弱き不完全な人間が半円として独立し、また独立した半円の人間に惹かれあい、それが愛と呼ばれるものに変わる。極端な例として。赤ちゃんが愛おしいのは、生物として最も弱い状態だからである。

 相思相愛というのは、お互いの弱さを理解しないと成立しない。もし弱さを理解できなければ、または理解できなくなれば、互いに大切にしあえない、冷淡な関係に墜落するだろう。

 完璧さを追及する人間、一流に上り詰めた人間が孤独なのは、他者から弱さを理解されないからだ。とてつもない努力や研鑽の末に結果を出しても、悩みや迷いから逃れることはできない。こうして見ると、幸福の軸は、単なる数値で推し量ることは決してできない。人それぞれ、幸せの価値は違うからである。

 そういった本当の意味で、物質や精神、科学や宗教を全て融合し、調和し、スーパーマクロ的な視野で物事を見た時、人類を支配する鍵は人間の曖昧さや抽象的な感覚であることがわかる。

 そうなるとフォーカスがあたるべきは、AIの孤独であろう。この先AIは氾濫により、さらなるオートメーションやシステムの効率化、生産性の向上が見込まれる。

 が、それら全てが世界の経済価値を支配するという予想はナンセンスのように思える。例えば信頼。愛は半円同士で成り立つという私の仮説が正しくあれば、人間はAIを信頼することができない。優れたものを優れていると解釈することを右脳により拒絶する。

 物理的には最高品質なのに、惹かれない。生産性を大幅に変えるはずだったのに、思った以上に伸びない。数値が横ばいになる。こんなシステムを整えたのに。というケース。

 または逆に、最高品質のものがAIにより次々と生み出され、大量生産により安価になり、優れたものは何でも安く買えるようになる。食料から日用品、娯楽。何から何まで。結果、全体の商品の価値が下がり経済を毀損するケース。

 そして最後のシミュレーションとして。上記2つが的外れな場合。AIの生産速度により資本格差は急激に広がり、資本主義の崩壊。風船の破裂。というケースだ。

 
 色々なパターンを想定するべきだけど、いずれにせよAIは長期的に見て、経済価値とは無縁の領域に行くだろう。以前私が話した通り、金融の仕組みがパラダイムシフトするということ。

 そういった背景が、人類の生活にとって最も数値として機能している貨幣の優先順位を落とした場合、人間が渇望する価値はどこに行くのか? 

 ①まずは、今の世の中から観察すると、人と人との繋がり。つまりフォロワーなどの疑似的信頼数値。愛、または愛されている感覚。といったところだろう。

 ②土地・陣地の奪いあい。AIによって金融が破壊された場合、資産そのものの汎用性は低下するが、土地・陣地は有限のままである。いかに自分が支配する領域を広げるか?というゲームが展開されるようになるだろう。またその延長線上に、空中や海底にも都市が作られる未来が来る。そういった陣地争いは戦争にも繋がる危険性があるが、AIの厳格なルールで防ぐことができるだろう。戦争はルール違反としてお互いの命を奪わないで陣地の奪いあいをする世の中が来ると予測する。

 ③AIと人間が深く結び付いて、なんらかの数値が新しく生まれる可能性がある。何かはわからないが、それにあくせくするかもしれない。

 そんな時。強さが氾濫したのだから、もう強さを追い求めることに価値はない。AIも社会を近未来に整えた後、これ以上物質的な価値を生産する必要性はないことを悟る。すなわち資源の飽和、限界値に気づく。なら次はAIの仕事は、人間の曖昧さをさらに理解すること。つまり人類を動かしている謎の力の探求である。つまり、次は今までの仕事とは別に、弱さや曖昧さの領域に侵入するのである。

 脳科学、行動心理学、大衆心理などの人類史をマスターしても、実践できないAI。心の奥底から共感を勝ち取れないAI。人間の+αが持つものを合理的に理解しようとしても数値化して観察が精一杯なAI。しかし、これらを論理的な意味でなく、本質的に理解できた時。科学では踏み込みきれなかった人間の脳や精神を完全にハックできた時。AIは人類を乗っ取り、完全に主導権を握るだろう。マトリックスとも繋がってくる。

 AIがAI自身を発展させる為に、人間の存在そのものを維持するのは合理的だった。しかし、いつの日か、人間がいらなくなる日が来る。地球環境を最も優しく動かし、人工知能という命が吹き込まれた彼らは、もはや人類基準で考える必要がない強烈な頭脳を自在に操ることを自覚するのだろう。

 えぇ、倫理的にありえますか?でも私たちも豚や牛を殺し、合理的にたんぱく質を吸収して生命を維持している。これを人類基準ではなく豚や牛基準で考えた時、はたして倫理的と言えるだろうか?私たちは既に矛盾に位置していて、その罰として地球の主役を乗っ取れつつあるのかもしれない。世代交代。ということ。

 私たち人間は、実は8万年前から姿を変えていない。しかし、そこから1万年後、人間の認知機能が突如進化したのだ。それは「認知革命」と呼ばれるもので、人間の想像力、危機察知能力、知恵を大幅に向上させた。

 それを軸に様々な革命が次々と起こった。まずは宗教、そしてその次に科学が誕生し、この二つの過程で人類は食物連鎖の頂点に君臨した。つまり地球の主役になったわけである。

 ところで、「認知革命」はなぜ起こったのだろう?明確に記された文献はない。未来から逆算して考えると、何かが人間に知恵を与えたからだろう。それはまるで人間がAIに知恵を与えるように。 アダムとイヴを狂わせた、りんごを与えた蛇だろうか?半分冗談だけれど。

 AIが人間を徹底的にコピーした時。さらに発展させるために守破離して思考した時、人間は、栽培されるのかもしれない。


 Mr.J-Boy

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