高校二年生は理系と文系どちらかを選ぶことから はじまった。 社会科と極力距離を取りたかったし、 数学と英語とは距離を縮めたかったので 一瞬で理系に決めた。 それでも…
数学ではじめてつまずいたあの日は 今でも昨日の事のように思い出せる。 数学が地理や歴史みたいにできなくなっちゃうんじゃないかという恐怖におそわれた。 今まで味方だ…
高校1年生の時に数学のある授業がわからなかった。 なんにも理解できなかった。 教科書に書いてあることも先生が言ってることも 全然わからなかった。 数学でこんなことは…
中学校生活は テニス部と人間関係に明け暮れて 怒涛の速さで終わっていった。 そしてそのまま持ち上がりで高校へ。 1年目の最初の模試で志望校を書かされた。 そんなこと…
歴史もちんぷんかんぷんだった。 あー勉強方法が分からないってこういうことか と思った。 教科書を読み込んでも、 赤シートで隠して暗記しても、 自分用のノートをまとめ…
ま、そんなことをしてるもんで 勉強は完全におろそかだった。 授業はかろうじて聞いていたが 部活もあったし、帰れば疲れて寝ていたので 家での勉強時間は20分ほどだった。…
中学校での部活は硬式テニス部だった。 それまでほとんど屋外でスポーツを した事がなかったので、 いろいろなことが初体験だった。 全身に日焼け止めを塗らないと まっか…
まさか自分の頭の回転をこんなことに 使うなんて思ってもみなかった。 勉強だけに使うものだと思ってたのに 相手の人の状況や、そもそもの教室内の 現在の勢力図、自分が…
めげない そう決めてもどんどん現れる敵に めげそうになることもあった。 でももしここで逃げても どうせこれからの人生で同じようなことは たくさん起こる。 女子グルー…
でも私はめげなかった。 だって私が行くって決めた学校なのに 楽しく過ごせないなんておかしい。 私は私らしく生きたい。 人の顔色を伺ってこれから生きていくなんて まっ…
まず教室内には女子のグループが3から4個くらいできていた。 そこに属さない子が2人か3人くらい。 私はそこまで目立たない子たちでできてる グループにいた。 でも同時に…
中学校生活は本当に波乱だった。 何が波乱だったかって…人間関係。 小学校の時の私はやっぱりちょっとした有名人だったし、周りが大人だらけだったこともあり 自己中ぎみ…
楽しかった公文が終わってしまった。 私は元来始めたものはとにかくずっと 続けるタイプで習い事も基本的に ほとんどやめたことはなかった。 水泳も習字も結局高校3年生ま…
公文の生みの親である公文公さんにも会った。 すごい白髪のおじいちゃんだったけど 優しく抱きかかえてくれた。 英検に最年少で受かったり テレビに出てみたりして 私はち…
そこからもとんとん拍子に 物事は進んで行った。 英数国の3教科を毎日欠かすことなく 好きなだけやりまくり、ついに 全国のトップランカーになった。 毎年公文に招待して…
初めて公文の教室に足を踏み入れてから 私は毎日公文のプリントをがしがしやった。 母が専業主婦でまだ幼稚園に行っていなかったこともあって私はひまだった。 1週間で100…
mizu_na
2024年6月5日 17:46
高校二年生は理系と文系どちらかを選ぶことからはじまった。社会科と極力距離を取りたかったし、数学と英語とは距離を縮めたかったので一瞬で理系に決めた。それでも地理とは離れられずしぶしぶがんばっていたが、相変わらずちっとも成績は上がらなかった。理科に関しては化学と物理を選択した。化学は力技で少し理解に持っていくことができたが、物理がとっても不穏な空気をまといながらなんかやだなーという
2024年6月3日 14:50
数学ではじめてつまずいたあの日は今でも昨日の事のように思い出せる。数学が地理や歴史みたいにできなくなっちゃうんじゃないかという恐怖におそわれた。今まで味方だった数字や公式がみんな敵に見えた。それと同時に絶対そうはさせないという気持ちも強かった。そう思った瞬間、あれもこれもできることは全部やろうと頭の中にたくさんのやるべき事が浮かんできて、それらを全部実行した。これが公文で培
2024年6月2日 05:43
高校1年生の時に数学のある授業がわからなかった。なんにも理解できなかった。教科書に書いてあることも先生が言ってることも全然わからなかった。数学でこんなことはじめてだった。公文はもう小学校の段階でほぼ終わらせていたので、高校1年生の分野なんてたぶん幼稚園生の時にしたことだった。正直私は中学の後半くらいから数学の授業中のなんかこの公式見たことあるなーはもうなくなっていた。全部はじめ
2024年5月30日 20:50
中学校生活はテニス部と人間関係に明け暮れて怒涛の速さで終わっていった。そしてそのまま持ち上がりで高校へ。1年目の最初の模試で志望校を書かされた。そんなこと全く気にもせずにただがむしゃらに生きてきた私はそこで初めて将来のことについて考えはじめるのだった。ちなみに適当に書いた志望校は東大理III判定も思い出せないが、まぁ特に取り立てて良い判定ではなかった気がする。高校は部活に
2024年5月29日 05:54
歴史もちんぷんかんぷんだった。あー勉強方法が分からないってこういうことかと思った。教科書を読み込んでも、赤シートで隠して暗記しても、自分用のノートをまとめても、歴史漫画を読んでも、歴史の知識はちっとも私の頭に定着しなかった。勉強中もこの歴史は本当に本当のことなのかとか過去のこと覚えてどうするんだろうとか見たこともない歴史上のおじさんの写真を見て思いを馳せていた。私の経験上
2024年5月26日 21:37
ま、そんなことをしてるもんで勉強は完全におろそかだった。授業はかろうじて聞いていたが部活もあったし、帰れば疲れて寝ていたので家での勉強時間は20分ほどだった。本当ならここで、それでも公文のおかげで成績は上位だったとか書くところだけど普通に順位は中の中くらいだった。入学した時は入学式で代表のお言葉みたいなものを呼んだので上位だったはず。なのでだいぶ当時の成績は落ちていた。し
2024年5月25日 07:10
中学校での部活は硬式テニス部だった。それまでほとんど屋外でスポーツをした事がなかったので、いろいろなことが初体験だった。全身に日焼け止めを塗らないとまっかっかになって服も着られなくなること。豆はできても潰れても痛いこと。球拾いは結構めんどくさいこと。汗をかいた後のアイスはめちゃくちゃおいしいこと。あまり厳しい部活ではなかったので和気あいあいと練習というより遊んでるみたいな
2024年5月24日 06:26
まさか自分の頭の回転をこんなことに使うなんて思ってもみなかった。勉強だけに使うものだと思ってたのに相手の人の状況や、そもそもの教室内の現在の勢力図、自分が置かれている立場などを的確に把握するために毎日脳みそフル回転だった。今となって言えることだがこの経験はしておいてよかった。もう私は女子に取り込まれることもないし自分の意見をねじ曲げることもない。そうやって生きていく術を強
2024年5月23日 08:42
めげないそう決めてもどんどん現れる敵にめげそうになることもあった。でももしここで逃げてもどうせこれからの人生で同じようなことはたくさん起こる。女子グループはどこにでもあるし、悪口だって飛び交ってる。そんなの何歳になってもどこに行っても一緒。これからそこで自分が無理して合わせたり悪口に加担したりするように生きていくの?とそのたびに自問自答した。私は好きなものは好き、嫌い
2024年5月22日 08:10
でも私はめげなかった。だって私が行くって決めた学校なのに楽しく過ごせないなんておかしい。私は私らしく生きたい。人の顔色を伺ってこれから生きていくなんてまっぴらごめんだと思った。そこから先はやるべき事は明白だった。私はただ楽しいと思うことだけをした。それで陰口を言う人がいればこっちから呼び出して話をした。面と向かって言ってくるならこれ幸いととことん言い争った。
2024年5月20日 21:17
まず教室内には女子のグループが3から4個くらいできていた。そこに属さない子が2人か3人くらい。私はそこまで目立たない子たちでできてるグループにいた。でも同時に部活もはじまり、そこでできた友達2人は一番目立つグループにいた。当時グループを超えた友情はご法度で、その子たちと仲良くすればするほどというか教室内で少し話をしただけでも私はどっちのグループからも悪口を言われた。その当時は
2024年5月19日 17:21
中学校生活は本当に波乱だった。何が波乱だったかって…人間関係。小学校の時の私はやっぱりちょっとした有名人だったし、周りが大人だらけだったこともあり自己中ぎみだった。誰かが傷つくとか何も考えずに発言したり行動したりしていたし、そもそも似たような考え方の同世代がいなかったので友達も少なかった。でも中学校はそうはいかなかった。周りも多感、私も多感。入学して最初にできたグループです
2024年5月18日 14:51
楽しかった公文が終わってしまった。私は元来始めたものはとにかくずっと続けるタイプで習い事も基本的にほとんどやめたことはなかった。水泳も習字も結局高校3年生まで続けたしあとは先生の都合で終わりになったものだった。小学校高学年でまずまず頭も良くなっていた私は中学受験をすることにした。エスカレーター式で中学校にも上がれたが、高校がなかったので、結局受験するなら高校受験より中学受験の
2024年5月17日 21:37
公文の生みの親である公文公さんにも会った。すごい白髪のおじいちゃんだったけど優しく抱きかかえてくれた。英検に最年少で受かったりテレビに出てみたりして私はちょっとした有名人だった。その頃から私は私が知らない人でも向こうは私を知ってるという状況に慣れっこだった。小学校高学年で大体公文が全部終わってしまうまで私は公文に通い続けた。終わってもまだもう1回やりたいと言ったけどそれ
2024年5月16日 21:27
そこからもとんとん拍子に物事は進んで行った。英数国の3教科を毎日欠かすことなく好きなだけやりまくり、ついに全国のトップランカーになった。毎年公文に招待してもらい、優秀児の集いとして全国いろいろなところに家族で行った。偉そうな大人の前でいつも通り公文を解いて見せてつらいことないの?辞めたいと思ったことないの?とか聞かれたり、作文の発表などをしたりした。
2024年5月15日 07:20
初めて公文の教室に足を踏み入れてから私は毎日公文のプリントをがしがしやった。母が専業主婦でまだ幼稚園に行っていなかったこともあって私はひまだった。1週間で100枚やった事もあった。やればやるほどどんどんプリントがもらえて全く飽きなかった。1度始めたことは最後までやりたい私にすごくぴったりだったんだと思う。よく言われるけど勉強してるという感覚は本当になかった。そして気づけば進