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#石見銀山大森町
震災直後の移住|三浦自伝⑫
(写真:ようやく卒業証書を手にした三浦と友人のしんちゃん)
その日、三浦は東京・西武多摩川線多磨駅前「ケトル」にいた。学生時代入り浸っていた大学近くの喫茶店だ。
大学最後の一ヶ月となる3月、就職も決まり、卒論も苦労しながら提出し、あとは免許を取って引越しするだけという時期だった。
いつものようにケトルでコーヒーを飲んでいる時、突然大きな揺れが襲った。「これは危ない」とそこにいた皆で外に出てみ
インターン、そして|三浦自伝⑪
(写真:充実したインターンが終わりテンションが上がって山手線一周を歩いた時の写真)
群言堂にインターン希望の手紙を出して間もなく電話で連絡が来た。
電話の主は現在の上司にあたる人物で、当時、群言堂が運営する東京・高尾のIchigendoというカフェの店長だった。
そこで高尾でインターンしてみるのはどうかという提案を受けたが、すっかり大森町に惹かれていた三浦は「いや、大森町に行きたいんです」と
松場大吉との出会い|三浦自伝⑩
(写真:2009年夏、むしゃくしゃして自転車で高尾に行って食べた思い出の蕎麦)
進路の決まらないまま大学4年目は過ぎていき、卒論提出を見送り一年間休学することを決めた。
しかしせっかくのモラトリアムを得たのに、「落ちこぼれた」という負の意識に支配されていた三浦は満足にシューカツに取り組めなかった。
日本社会はレールを外れた者に不条理なほど冷たいと悪態をつきながらニヒリズムに浸った時期もあった
フラメンコとシューカツの狭間で|三浦自伝⑨
(写真:面接の後そのままの格好でライブに出る三浦)
一度舞踊場に足を踏み入れてからは気持ちが軽くなり、進んで伴奏に行くようになった。女社会でうまくやっていく術も母と姉に鍛えられて心得ていたので、それほど苦労はしなかった。
術といっても「相手の話はよく聞き、自分は何も意見しない」というくらいのものだが…(なんとも消極的な処世術だ)。
練習と伴奏を繰り返し多少弾けるようになってくると、他の大学の
大学受験~上京篇|三浦自伝⑦
(写真:ボート部時代の三浦・右)
2004年、ついに三浦も受験生となった。英語が得意だったこともあり、行動範囲を海外に広げてたくさんの新しいことを知りたいと外国語学部を受験することにした。
地元の南山大学が近くて評判も良かったが、母と姉の母校だったため、なんとなく同じところは避けた。「どうせなら東京の有名な大学に行こう」という単純な理由で東京外国語大学を受験することに決めた。
勉強嫌いで英語
中学・高校篇|三浦自伝⑥
(写真:弓道部時代の三浦)
南アフリカから3年ぶりに帰国したのは13歳の冬、1999年12月6日だった。
姉と一緒にヨハネスブルクから香港経由で、小牧の名古屋空港に降り立った(母はあと半年南アにいた)。帰ってきた実感が湧かず、ただ夜の町をぼんやりと眺めながら父の車で実家に帰った。
姉が通っていたことと高校受験がないからという安易な理由で、名古屋大学教育学部附属中学・高等学校の編入試験を受けた
南アフリカ篇ーその2ー|三浦自伝⑤
(写真:ジンバブエ・ビクトリアの滝にて姉と)
寮生活にも慣れて不味いメシの中に美味さを見出すレベルになると、大概のことは上手くいくようになった。
寮のルームメイトに持ち物を盗まれたり、クラスメイトにいじめられたりと多少のトラブルはあったが、いい友人や先生に恵まれ、うまくやり過ごすことができた。
不味い不味いと繰り返し言っている食事だが、中にはおいしいものもあった。敷地内に牧場があったので牛乳
南アフリカ篇|三浦自伝④
(写真:友人たちと遊ぶ三浦=左から二人目)
1996年11月16日、三浦(10歳)はクアラルンプール経由ヨハネスブルグ行きの飛行機に乗った。
その日の早朝、登校途中のクラスメイト朝倉君にお別れを言いに行ったのを思い出す。他に渡すものがなかったのか、しょうもない旅行会社のシールをあげたのだった。
母はあるNGOの南アフリカ事務所開設に伴い所長として一足先に南アに赴いていた。空港で母と再会して乗
祖父母と暮らす|三浦自伝②
(写真:姉&父との写真)
母より一足先に帰国した三浦(4歳)は愛知県一宮市の祖父母のもとに預けられ、それはもう可愛がられながら育つ。子供の柔らかい頭で身につけた英語は、残念ながらあっさりと忘れてしまった。
そういえば祖父母の家で姉と英語でケンカしているのを祖父が撮ったビデオがあったがどこへ行ったのだろう。あれは傑作だった。
この頃一宮の丹陽保育園、後に名古屋の星ヶ丘幼稚園に通った。
じいち
誕生、そして旅立ち|三浦自伝①
三浦とは何者なのか?
三浦自身もそれは分からない。きっと一生答えの出ない命題であろう。なんらかの間違いでこのnoteをご覧になっているあなたは、おそらく三浦の数倍強く「あんた誰や?」とお思いのことだろう。
しかしここで出会ったのも何かのご縁。少しばかり三浦の話を聞いていってはいかがだろうか。まあ立ち話もなんですから、コーヒーでも飲みながら。
興味はないかもしれないが、有名人でも何でもない赤の他