中学・高校篇|三浦自伝⑥
(写真:弓道部時代の三浦)
南アフリカから3年ぶりに帰国したのは13歳の冬、1999年12月6日だった。
姉と一緒にヨハネスブルクから香港経由で、小牧の名古屋空港に降り立った(母はあと半年南アにいた)。帰ってきた実感が湧かず、ただ夜の町をぼんやりと眺めながら父の車で実家に帰った。
姉が通っていたことと高校受験がないからという安易な理由で、名古屋大学教育学部附属中学・高等学校の編入試験を受けた。
試験はさっぱり分からずどうしたものかと思っていたが、なぜか合格。
教育学部附属なので研究のためいろんな生徒を採る学校らしく、そのため各学年に双子がいたり、国際コンクールレベルの楽器演奏者やジャニーズJr.が同級生にいたりして非常に面白かった。三浦の場合は帰国子女ということが幸いしたようだった。
1月に編入した頃には既に「アフリカから転校生が来る」と学年中(といってもA・B二クラスしかない)の噂になっていたが、どうやら現地人が来ると思われていたらしく、どこからどう見ても日本人の三浦が来たのでガッカリさせてしまったかもしれない。それでもみんな仲良くしてくれたから良かった。
部活は強引に勧誘された野球部に入部。ルールもよく分からないまま最後まで補欠としてベンチを温め続けた。
高校では日本らしいことがしたいと弓道部へ。大した結果は残せなかったが楽しく取り組み、初段だが段位も取った。
中学2年生でベンチャーズにハマったのをきっかけにギター音楽に目覚め、ハードロック、ヘビーメタルなど激しい音楽を聴くようになった。
中3の時にエレキギターを買ってもらい、翌年友人たちとバンドを結成、でたらめなオリジナル曲を量産しライブを繰り返した。
当時の音源が手元にあるが、自分でも聞いていられないくらい恥ずかしくてダサい。部活にバンドに充実した高校時代だったが、受験を機にどちらもお預けになってしまう。
(つづく)
※三浦編集長 Vol.6(2015年7月発行)より転載