フラメンコとシューカツの狭間で|三浦自伝⑨
(写真:面接の後そのままの格好でライブに出る三浦)
一度舞踊場に足を踏み入れてからは気持ちが軽くなり、進んで伴奏に行くようになった。女社会でうまくやっていく術も母と姉に鍛えられて心得ていたので、それほど苦労はしなかった。
術といっても「相手の話はよく聞き、自分は何も意見しない」というくらいのものだが…(なんとも消極的な処世術だ)。
練習と伴奏を繰り返し多少弾けるようになってくると、他の大学のサークルから声が掛かるようになった。学生フラメンコギタリストは貴重で、少しでも弾ければ引く手あまただったのだ。
他大学の文化や人に触れることが楽しくて、他大学の学生になりきって新入生を勧誘したり女子大に堂々と入ったりして新鮮な経験ができた。学園祭や発表会だけではなく、仲間たちとスペイン料理店やスナック、葬儀屋などでライブもこなして、将来のことなど何も考えずとにかく楽しんだ。
まだまだ楽しみ足りなかったが、4年生になるとさすがにシューカツというものを無視し続けるわけにはいかなかった。
周りが段々スーツを着て説明会に行くようになり「なんで一斉にやらなきゃいけないんだろう」と気持ち悪さを感じながらも、最終的には三浦も例にもれず、足並みをそろえてその大きな波に乗った。いや、正しくは乗ろうとした。
高校時代からジャーナリズムの世界には興味があったので、新聞記者を目指して就職活動を始めた。
たまたま知り合った他大学の記者志望者と小さな勉強会を始めたり、現役記者に会って話を聞いたり、いろいろやってみたが、筆記試験には通っても面接となるとなかなかうまくいかなかった。
ギターばっかりやって働くということを真剣に考えていなかったのが愚かだった。結局大して真剣に取り組んでもいない癖に、落とされる度に自分を否定されたような気持ちになって落ち込んだ。
唯一自分の存在意義を感じられるギターはだんだんシューカツからの逃げ道になっていった。
<つづく>
※三浦編集長 Vol.9(2016年4月発行)より転載