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震災直後の移住|三浦自伝⑫

(写真:ようやく卒業証書を手にした三浦と友人のしんちゃん)

その日、三浦は東京・西武多摩川線多磨駅前「ケトル」にいた。学生時代入り浸っていた大学近くの喫茶店だ。

大学最後の一ヶ月となる3月、就職も決まり、卒論も苦労しながら提出し、あとは免許を取って引越しするだけという時期だった。

いつものようにケトルでコーヒーを飲んでいる時、突然大きな揺れが襲った。「これは危ない」とそこにいた皆で外に出てみると、電柱が折れんばかりに揺れて電線が波を打っていた。

震度5強。生まれて初めて経験する大きさの地震に恐怖したものの、その時はそれほど被害が大きいとは思わなかった。携帯電話のワンセグテレビであの津波のニュース映像を見るまでは。

その映像は俄かには信じ難く、何が起こっているのか理解が追いつかなかった。その日免許の教習があるか分からなかったが、とりあえずのんきにも教習所に行ったことを記憶している。

それからはただ忙しく毎日が過ぎていった。

地震があった日は教習が終わったら高崎に住む新聞記者の友人を訪ねる予定だったが、当然キャンセルになった。学生時代最後のフラメンコライブや数々の飲み会もなくなり、やることは本当に教習だけになった。

しかし計画停電で信号がついていなかったり東八道路がガソリンスタンドの行列で一車線埋まっていたりで道路は混沌とし、高速道路は規制で乗れずと散々だった。

やっとのことで漕ぎ着けた最後の学科試験は点数が足りず再受験という失態を犯してしまう。さらには部屋の退去期日までに引越しが終わらず、たった数日延長するためだけに部屋を再契約する羽目になり、お金ばかりが飛んで何もいいことがない日々だった。

さすがに間抜けすぎて自分で自分が情けなかったが、細かいことを考えている暇もなかった。

なんとかギリギリで3月30日に免許を取得し、翌日島根に渡ることができた。出雲に到着した時、全財産はたったの58円だった。

<第一部・完>

※三浦編集長 Vol.12(2017年1月)より転載