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突然求められる「個性」

「個性」については何度かnoteでも触れているが、(何度か、と言いつつ以下の記事しか引用できなかったけれど)
今日は改めて自己分析(就活)をしていて思ったことを書いてみるとする。時間の余裕がないので少しだけ。

私は教職課程を履修しているので「子供の『個性』を伸ばす教育を!!」ということに力が入れられていることはなんとなく分かっている。それに賛成かどうかは別の話だけれど、大切にされるのは常に個性。1人1人の長所を生かして〜〜それぞれが活躍できるような〜〜"他の多くの人とは違う何か"が求められるらしい。日本の教育では。理想では。


ただ現実は違うと思っていて、正直小中高と「個性」が伸ばされるような教育を受けてきたとはとても思えない。これは別に教育者が悪いからとかそういうことではなくて、日常生活の中でそんなに「個性を伸ばそう伸ばそう」ということを意識していなかったということもあるだろう。

ただ1つ言えるのは就職活動においては急に「個性的であること」が求められるということである。

小学生:個性がありすぎる人は押し込められる。出る杭は打たれる。
中学生:徐々に個性に気づいたり自分が(他の人とは)ちょっと違う部分に気づいたりする。だけど異質なものは遠ざける傾向。
高校生:なるべく大勢の中で浮かないように、馴染むように。突出した誰かを羨む。
大学生:急に個性的なメンバーが集まったように感じる。こんなに何もないのは自分だけなんじゃないかと急に不安になったりする。

これは私が考える1つの傾向のようなもので、そして次に貼られる「就活生」というレッテル。そこでは「他の大勢とは違う何か」が求められる。
「面接官に印象に残る何か」、「他の大勢とは違う頑張りや取り組み」、「自分にしか出せないような成果」、そして何より「自分らしさ」

学生時代にやってきたことの深掘り。なぜその選択をしたのかという理由や意図の深掘り。何に挑戦してどんな成果を得て、そこから何を学んだのかという深掘り。

色々あるかもしれないけれど、大人によって押さえつけられてきた「個性」が、このタイミングで急に無理やり伸ばされているように感じる。
個性的なやつは、浮いているやつは、変わった行動を起こすやつは、集団の空気を乱すやつは.....そんなやつは、いらない!!出る杭は打たれる!!
そんな学生時代ではなかったのだろうか。


急に求められる「個性」も「自分らしさ」も、自己分析によって見えてくるものではあるのかもしれないけれど、それって自分が生きてきた中で「ずっと個性として認めてきた」、「個性として尊重してきたorされてきた」、そういうものなのだろうか。

個性的であることは、就活をやってみて初めて求められることのように感じている。
急に自分が何者でないと感じるのも、「何者かにならなければならない」と感じるのも全部就活のせいかな??"他の人とは違う何か"を自分で表現していけないと認めてくれない社会のせいなのかな??
人と比べてしまうような不安な状況に就活で追い込まれるからかな?やりたいことが見つからないからかな?将来について考えてきたはずなのに、その考えが揺さぶられるからかな?


色々考えてしまうけれど、1つ問いたい。

人生で、今までの20年ちょっとの人生でずっと、「個性的であること」が求められ続けてきたわけがないよね??

出る杭はもう、打たれないのだろうか。


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