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魔女は花の力で空を飛ぶ

連載シリーズ 物語の“花”を生ける 【プロローグ】はこちらから

第4回 『メアリと魔女の花』(メアリー・スチュアート)

ここ20年ほど、心身のリラックスやストレスケアのためにアロマテラピーやハーブティーを活用している。

あるときドイツから直輸入で取り寄せたハーブティーに、お湯を差す直前に乳鉢で茶葉をすりつぶすと香りも引き立ち、薬理効果も高まるという説明書があった。

そんなものかと思い、寝る前に飲むハーブティの茶葉を、乳鉢を代用したすり鉢でガリガリとすりつぶしていたのだが、夜中、そんなことをしている自分が、子どもころに読んだおとぎばなしや童話に出てきた魔女のように思えてきた。これに干したカエルやとかげのなんとかを入れて鍋でグツグツ煮たら、若返りの薬でもできそうだな・・・といった妄想がムクムクと湧き上がり、笑ってしまった。

また別のところで買い求めたハーブティーの箱には、ヨーロッパ中世の時代と思われる衣装を着た女性のイラストが描かれていた。お姫様や貴族のご婦人といった様子ではなく、聡明で慈愛に満ちた様子から宗教的な役割をになった女性のような気がして、ブランドのWebサイトを訪れてみた。すると女性はヒルデガルトという「ヨーロッパ中世最大の賢女」といわれる人物であることがわかった。

ヒルデガルトは中世ドイツのベネディクト会系女子修道院長であり、教会の歴史で初めて、女性としてものを書いて公にすることを許された。宗教者としてだけでなく、医学・薬草学にもすぐれ、修道女たちの教育等をつうじて薬草の知識を伝授に努めたという。さらには修道院の薬局をすべての病人のために解放し、病に苦しむ人を数多く助けた。

アロマテラピーではラベンダーは欠かせない精油の一つだが、そのラベンダーという言葉と薬草としての薬理効果を初めて世に紹介した人物(アロマテラピーの精油としての効果を発見したのは別の人物)だと知って、胸が高鳴った。

やはり自然療法の祖ともいえる人だったんだ・・・それにしても、魔女も賢女(修道女)も同じように薬草を扱うのに、一方は人々から忌み疎まれ、一方は尊敬の対象となる。その違いはなんだったのだろう・・・

そんな疑問が湧き上がってきたのだが、またいつもの癖ですぐに調べようともせずに、そのままにしてしまった。

ある日、本屋で『メアリと魔女の花』(角川文庫)という本を見つけた。魔女と花!なんて素晴らしい取り合わせなんだろう!魔女は薬草を扱う、この「花」も薬草につながる魔女の不思議な力を体現する花に違いない!と思った。

この作品はアニメ映画にもなったようで、『借りぐらしのアリエッティ』『思い出のマーニー』などを手がけた監督が、スタジオジブリから独立して初めて手がけた長編作品で、キャッチコピーは「魔女、ふたたび。」。

映画の公開に合わせて、イギリスの作家メアリー・スチュアートが書いた原作本が新訳として新装出版されたのが、本書ということらしかった。

手にとった本をそのままレジに持っていき、帰りの電車で読んだ。夜には、Amazonプライム・ビデオで映画も観た。

* * *

夏休み、両親の仕事の都合で大おばさまのもとにあずけられたメアリ。自然豊かな暮らしだけど、同じ年頃の友人もいなくて、いささか退屈をもてあましている。ある日、大おばさまの館周辺で見かけた黒猫に案内された森で、むらさき色の奇妙な花を見つける。

館に戻って庭師にその花を見せると、7年に一度しか咲かない花で、まだ医師や薬屋がない時代、草をつんで薬を作っていたころは、その花を求めて、遠くからこの森にやってくる人たちがいた、水薬とか粉薬などにも使われたことから、魔法の力がある、「魔女の花」とも言われ、その昔、魔女たちがこの花を探し求めて、山や海に入ったという話を、メアリは聞かされた。

翌日、メアリは庭作業の途中で見つけた小さなほうきを、「魔女の花」の花汁がついた手でさわると、ほうきは急に動き出し、メアリと黒猫を乗せて、一気に空へと駆け上がった。そして、城のような大きな建物に連れて行った。

そこはエンドア大学という名の魔術学校。校長のマダム・マンブルチュークに案内されて、授業を見学するメアリ。呪文や科学、姿を消すための授業などを見学するが、すべてがメアリにとっては何か奇妙でチグハグしていた。なかには、動物たちが檻のなかで金切り声を上げるうすきみの悪い部屋もあった。

一通り授業の見学が終わると、来たときに乗ってきたほうきで大おばさまの館へ戻った。ところが館に着くと一緒にいたはずの黒猫がいない。マダム・マンブルチュークから大学入学案内として渡された書類の中に「変身実験用ニ 受領シマシタ」とのメッセージが書かれたメモを見つける。

メアリは黒猫を助けに、もう一度エンドア大学へ行こうと決意し、ふたたび「魔女の花」を握りつぶして、その花汁がついた手でほうきを握った。


これは原作本(新訳)のあらすじで、エンドア大学は、魔術による変身実験を行うための動物たちを求めていて、メアリと一緒にいた黒猫が、魔法使いが使役する動物としては完璧であったことから、黒猫をねらった。

一方アニメ映画の方は、「魔女の花」にはすべての魔法の源となる力が宿っていて、大学が夢想する魔法の世界を完成させるのに必要で、ピーターという少年を人質にとり、メアリから花を奪おうとするという脚色が施されていている。

いずれにしても、内気で何かと劣等感にさいなまれていたメアリが、誰も知り合いのいない場所で出会った友人ともいえるものを救い出そうと、勇気と知恵と力をふりしぼって奮闘する話しなのだ。魔法の花や魔法の呪文の本を手に入れながらも、メアリがそれを使う場面はとても限られている。

アニメ映画のプロデューサーは、メアリが原作本で黒猫を救いに行こうと決心したときの言葉「・・・ここの玄関を開けるのに、呪文を使うのはだめね。いつもどおり、ふつうのやり方であけよう。たとえ時間がかかっても・・・」(119ページ)に魅せられたという。

魔女も利用した草花の力

セッコウボクのしげみの裏の目立たない隅っこで、ナラの太い枝に隠れるようにして、見たこともないめずらしい花が小さく固まって咲いている。
 四方八方へぎっしりとのびた葉っぱは、おかしな青緑色で、カエルみたいなぶちがあり、細い茎の先には、上品なむらさき色のつりがね形の花が並んでぶらさがっている。すぼまった部分には銀色のすじがつき、開いた花びらの先からは、まばゆい金色のめしべが長い舌のように突き出している。


『メアリと魔女の花』(角川文庫 21ページ)

メアリが見つけた「魔女の花」はつりがね形とあるので、むらさき色の鈴蘭のような花をイメージするとわかりやすいかもしれない。アニメ映画の公開前後には、ムスカリという青むらさき色の球根花で、ぶどうの房が立ち上がったように小さな花が縦に密集して咲くものがモデルになっているのではないかと話題になった。また、7年に一度咲く花や数十年に一度咲く花などにもなぞらえられた。

メアリの大おばさまの館の庭師によると、この花は「竜の舌」「魔女の鈴」「ティブ(黒猫の名前)の足」など、古来さまざまな名前で呼ばれてきたらしいが、庭師は「夜間飛行」と呼んでいるといった。

先にも書いたように、アニメ映画ではこの花にはすべての魔法の源となる力があり、エンドア大学がそれを手に入れようとする設定で、重要な場面でメアリが呪文の本に書かれた魔法を行使するときにも、花の魔力(効力)は発揮される。

しかし原作本では、この花はメアリがほうきで空を飛ぼうとするときに何度か使われるだけで、それ以外の場面で使われることはない。

原題はまさに“ The Little Broomstick ”(『小さな魔法のほうき』あかね書房)であり、花の魔力はあくまでも庭を掃くほうきを、夜、 “空飛ぶほうき”に変えることに限定されている。「夜間飛行」という名は、そのような花の魔力を示しているのではないか。

ほうきで空を飛ぶのは魔法やほうきの力ではなく、花の力なんだ。

幼い頃、なれ親しんだおとぎ話のイメージでは、魔女は「空飛ぶほうき」にまたがりさえすれば、空を飛べるものだと思っていたので、この発想は私にとっては意外だった。

ところがドイツの魔女と薬草の関係について書かれた本『魔女の薬草箱』(西村佑子 山と渓谷社)を読むと、魔女は空を飛ぶために薬草でつくった軟膏をからだに塗っていたのであり、「空飛ぶほうき」なるものがあったわけではないとあった。

たしかに、メアリも花をにぎりつぶし花汁のついた手でほうきを触ると、ほうきが空を飛ぶようになったことを思い合わせると、メアリの「魔女の花」は、薬草でつくられた軟膏の話がベースにあるとも考えられる。

本書によれば、ドイツには古くからの言い伝えで、魔女は4月30日の夜、ハルツ山という山で悪事の数々を悪魔に報告し、一晩中踊り続けるという行事がある(メアリもエンドア大学で、同日同山の魔女の年次総会に出席すると言われる)。その山に行くために、魔女はからだに空飛ぶ軟膏を塗り、ほうきにまたがり呪文を唱え、煙突から飛び出していくという。

しかし、16世紀に吹き荒れた魔女狩りでは、さまざまな人が悪魔との交流を疑われ、捕らえられた。捕らえられた人々は拷問を受けるなかで、言い伝えにある「空飛ぶ軟膏」は悪魔からもらった、つくり方を教えてもらったと言わされたという。捕らえられた人々のなかには、医師や薬剤師のような役割を担う人もいて、そのつくり方や処方は当時の医療で使用されていた薬をかけ合わせたようなものだった。

20世紀に入り魔女狩りの研究が盛んになると、「空飛ぶ軟膏」を実際に調合し試した学者たちがいた。魔女狩り裁判の記録にある薬草で軟膏をつくり、からだに塗ってみたところ、昏睡状態に陥ったり、空を飛ぶ夢を見たり、浮遊感を体験したりしたという。

このことから、軟膏は、薬草の薬理効果が神経や感覚器に作用して、空を飛んだような感覚を起こさせるものだったと想像できる。

また本書では「空飛ぶ軟膏」をはじめ、さまざまな「魔女の軟膏」づくりに使われたと考えられている草花が一つひとつ解説されているのだが、その中にトリカブトがある。トリカブトといえばその根に猛毒があり、古来暗殺・殺人に使われてきたものだが、解説の挿絵をみると花の容態が、メアリが見つけた「魔法の花」に似ている。

インターネットで画像検索してみると、鈴蘭のようなつりがね形の花とは少し違うが、濃いむらさき色の僧帽に似た袋形の花が、やはりぶどうの房が立ち上がったように咲いていた。

『メアリと魔法の花』は児童書として書かれたもので、トリカブトという恐ろしい猛毒の花を題材にしたとは思えないし、イギリスの作家がイメージする魔女とドイツで言い伝えられている魔女が扱う花に違いはあったかもしれないが、むらさき色のつりがね形あるいは袋形の花のイメージが、不思議な力のある「魔女の花」としてヨーロッパの人々のなかにあったのではないか。

日本神話でもアメノウズメという女神が、岩屋戸に閉じこもったアマテラスを招き出すため、ひかげのかずらという植物を裸身にたすき掛けにして踊った。生命力溢れる植物の不思議な力を利用しよう、自然の力にあやかろうとするのは、文化の東西を問わない発想なのだろう。

魔女が垣根を越えて届けてくれるもの

それにしても「空を飛ぶ」というはどういうことなのか。

現代の私たちにとって「空を飛ぶ」とは、自由や旅立ち、鳥瞰を連想させるが、メアリや魔女たちにとっては、人間の世界と魔法の世界を行き来する行為というということができるかもしれない。

ドイツ語で魔女を示す「hexe」という語は、「垣根の上に乗った魔的な存在」という意味で、「垣根」とはまさしく人間の世界と魔法の世界の境目、「垣根」なのだろう。

魔法の世界とは、人間の感覚ではとらえきれない大いなる力、畏怖すべき世界と考えたとき、おそらくキリスト教前史では、魔女は空を飛んで「垣根」を超え、その世界を人間に意識させる存在だったのではないか。

しかしある時代からキリスト教の世界観や枠組みにおいては、そのような世界はあってはならない排除すべきものとされ、現代においては、大いなる力の叡智は科学によって細分化され、似て非なるものに置き換えられようとしている。

もう一度、『メアリと魔女の花』に目を向けてみると、魔法の世界のエンドア大学が霧の湖を隔てた人間の世界とは異なる場所で、メアリにとっては不可解でおぞましい変身実験なるもので自分たちのなりに魔法を進化させようとしたのも、このような耐えがたい過去があったからなのではないかと想像してみる。

一方で、父親が科学者であったメアリにとって、エンドア大学の授業が古臭くて陰気で、どことなく奇妙でチグハグしていて、相容れないものであったことは、現代の私たちの“魔法”に対する態度そのものであり、その背後にある大いなる力から遥か遠く隔ってしまったことを意味しているように思えてならない。

* * *

それでも・・・私たちに魔女との接点は残されていないかと考えてみる。

しばらくあれこれと思いを巡らせていると、何年か前、夜中にハーブティの茶葉をすり鉢ですりつぶしている自分が魔女みたいだと笑ったことを思い出した。

ああ、そうだ。ハーブ、薬草となる草花という接点があった。

同時に、薬草で病を治したヒルデガルトという賢女のことも思い出した。

『魔女の薬草箱』によれば、ヒルデガルトのようにキリスト教のもとで薬草を扱う「賢女」たちがいた一方で、キリスト教には不都合な薬(堕胎や精力増強のための薬草、現代の麻薬のような働きをする薬草など)を扱う民間の「賢女」たちもいたという。

そういう「賢女」たちも、あの魔女狩りの時代に数多く捕らえられて、言い伝えの「魔女」イメージを押しつけられ、その烙印を押されたという。

そうか、「魔女」たちはいついかなるときも、言い伝えの時代から現代に至るまで、薬草となる草花を通じて、大いなる力のいったんを私たちに届けてくれている。

私たちそれで、生身のからだで飛ぶことはできないけれど、心身を癒すことはできる。これ以上の魔法はあるだろうか。

そう思ったとき、部屋に薫いたラベンダーの香りがふうっと胸の奥に沈み込み、深い安堵に包まれた。



ヒルデガルトについては、上記の『魔女の薬草箱』とともに、以下の資料を参考とした。

ハーブティーなどを扱うゾネントア社のWebサイト(日本の運営会社を通じた日本語のWebサイト)

公益財団法人日本アロマ環境協会【機関誌 No.97 2020年9月25日発行 アロマと過ごす秋時間/聖ヒルデガルトに学ぶ植物との暮らし】



第3回 鬼がこの世にだだひとり、生きた証を刻みつける花 『紫苑物語』(石川 淳)

第5回 水仙は、心の静寂清明な一点を映し出す 『月光は受話器をつたひはじめたり越前岬の水仙匂ふ』(葛原妙子)


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