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神々とつながる植物で束ねたスワッグ製作レポート@「天祖神社歌占」パネル展


※2020年1月31日に「ヤマトタケルと柊」と「常緑と赤い実の植物が見せる「青丹(あをに)よし」の世界観」を追記している※


2020年正月、日本神話にちなんだ珍しい植物を使ったスワッグ(壁掛け用の花束)の製作依頼を受け、納品した。

依頼主は「和歌を、神さまからのメッセージとして、人生に役立てる」という記事で紹介したおみくじ案内人の平野多恵さん。平野さんは大学でおみくじと和歌の関係の研究をされている。そのご縁で東京板橋区のときわ台にある天祖神社の協力を得て、天祖神社に伝わる絵馬をもとに、吉凶にはとらわれない和歌によるおみくじ「天祖神社歌占」を開発するプロジェクトを指揮した。毎年の正月には、学生・院生たちによる解説とパネルを展示するイベントを開催していて、そこに飾るスワッグをという依頼だった。

「天祖神社歌占」のもとになった絵馬には、『日本書紀』や『古事記』などで語られる天岩戸神話が描かれている。アマテラスが弟の乱暴狼藉に心を痛め岩屋戸に隠れたことで、世界は暗闇に閉ざされる。その一大事に八百万の神々が集まって知恵を絞り奮闘することで、アマテラスが再び姿を現し、世界は光を取り戻すというストーリー。

この神話にちなんだ植物、あるいは世界観を表現する植物で何かできないかと考えていたところ、天祖神社の宮司様から「ひかげのかずら」を使ってはどうかというご提案をいただいた。

尋常ならざる力を持つ「ひかげのかずら」

「ひかげのかずら」とは、岩屋戸に閉じこもったアマテラスを招き出すため、アメノウズメという神が裸身で踊る際にたすき掛けにしていた植物だ。関東では目にする機会は少ないが、葉が落ちる冬枯れのこの季節でも、つる状の枝が長く青々として生命力にあふれている様子から、新たな生命、長寿、神聖の象徴として、関西では「掛け蓬莱」という正月飾りにも使われる。

仕入れ先から届いたとき、箱から取り出してビニール袋を開けると、はちきれんばかりにつる状の長い枝が飛び出してきた。私自身もひかげのかずらを見るのも手にするのも初めてで、その力強さに戸惑った。採取したばかりの瑞々しさ、野性味あふれるうねりと青々しさをなんといったらいいのか・・・。

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しかもよく見ると、軸となるまっすぐな茎にはヒゲらしきものが生えている。ヒゲらしきものはおそらく根で、茎が地表を這うよう伸びながら、地中に根を降ろしているのだろう。また、まっすぐな茎のところどころから、別の茎が直角に立ち上がって枝分かれするように生えている。茎の先には針状の房のような葉がついていて触るとチクチクする。

アメノウズメが裸身にこれをたすき掛けにして踊っている姿を想像してみる。

『古事記』には「神がかって」とあるので、通常とは違った意識状態で踊っていたと思われるが、アメノウズメの身体の上で青々とうねるひかげのかずらの生々しさを思うとき、日常の秩序を破る力を感じた。現代の生活においても、花や植物を飾ると空気がピンと張り詰めてその場の雰囲気がガラッと変わる。そのような植物の力を最大限に発揮させたのがこの場面なのではないか。それほどの力を持ってしなければ、アマテラスを岩屋戸から招き出すことはできなかったのだろう。

のちにアマテラスの弟が追放されてたどり着いた土地で倒した八つの首と八つの尾を持つヤマタノオロチにも生えていたというが、やはり古代の人々はひかげのかずらに、尋常ならざる力を見ていたのだ。

こんな生命力あふれるひかげのかずらに、正月飾りの縁起物である松、南天、ゆずりはを合わせた。松はしなやかなで肌触りのよい枝振りのものを、南天はこれまでに見たこともないほど大きくて真っ赤な鮮やかな実をつけたものを、ゆずりはは今年新たに「天祖神社歌占」に加わったヤマトタケルをイメージして、大きくて肉厚な葉をつけた枝を仕入れ先に選んでいただいた。

常緑のひかげのかずら、松、ゆずりはを束ね、赤い南天をかざした瞬間、深い森の中で神聖なるものと出会ったときにおこるような震えがとまらなかった。このスワッグをつくることは必然で、この植物たちに導かれて私は今これを束ねているのだという思いが胸にこみ上げてきた。

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最後に、神事に使われる麻の茎の繊維で作られた紐で束ねた。

邪気を払い、神が宿る麻

実はこの麻も天岩戸神話に関わりの深い植物である。アマテラスを岩屋戸から招き出そうとする神々の一柱(神は「柱」で数える)であるフトタマは、天の香具山から根ごと引き抜いた榊に、鏡と勾玉と一緒に麻製の布と楮(こうぞ)製の布をかけて捧げ持っていた。

現代でも、麻でできた布や紐は邪気を払い神が宿る神聖なものとして神社のお祓いに使われるなど、日本の伝統行事や神事には欠かせない。私たちがよく目にするものとしては、神社でお参りする際に鳴らす鈴の綱、鈴緒が麻で作られていることが多い。

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神事に使われる麻は流通上「本麻」と呼ばれるが、実際には繊維採取を目的に栽培される大麻であるため、戦後、栽培には都道府県知事からの許可免許が必要になった。特に栃木県の鹿沼市で作られる野州麻と呼ばれるものが高品質なものとして有名であるが、生産者の後継者不足などから生産量が著しく減少し、存続が危ぶまれ、手に入りにくくなっているという。

それまで麻が神事に使われていることすら知らなかったのだが、そんなこと知ることができたのも、貴重で希少な麻の紐を扱うことができたのも、この企画ならではだ。

神々と植物

今回あらためて『古事記』を読み直してみると、天岩戸の場面だけでも思った以上に植物や植物の加工品が登場する。ざっと挙げてみると・・・

かにわざくら(樺桜/かばざくら)の皮、榊、麻の布、楮の布、ひかげのかずら、まさきかずら(さんかくづる)、小笹の葉、藁のしめ縄

それまで古典の植物といえば、和歌などに登場する季節の変化や人々の心の移ろいを託すものという認識しかなかったのだが、今回このようなことに注目して神話を読み直してみると、植物の一つひとつに意味と役割があり、その植物の力を利用し、みずからの力に変えて、この世界をかたちづくろうとする神々の姿があった。考えてみれば、アマテラスの父神と母神がつくった世界は「葦原中国(あしはらのなかつくに)」と呼ばれ、「葦」という植物の名に負う。

古代の人々が植物に感じた神威や畏怖を感じることは現代の生活で難しいけれど、神話を読み実際にその植物に触れることで、思いをはせることはできるのだ。

天祖神社への奉納 神のものとなったスワッグ

さて12月27日、完成したスワッグを依頼人の平野さんを通じて天祖神社に奉納した。奉納の儀式に参列することが許されて、同席させていただいた。邪気を払い御祭神とつながるための神楽鈴と和琴が神殿に鳴り響く。宮司様によって祝詞が捧げられる。それを拝聴しながら、平野さんが初めて歌占の和歌を奉納したときの言葉を思い出した。「和歌が自分たちの手を離れて神様のものとして生まれかわった」

ああ、これでこのスワッグも神様のもとにいったんだ・・・

昔物語に出てくる伊勢の斎宮や賀茂の斎院となるべき女性、帝の妃になるべき女性をあずかった人はこんな緊張をしていたのだなと・・・と妙なことに思い至るとともに、無事、この日を迎えられたことに息をついた。

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このような機会をくださった平野さん、天祖神社の宮司様、ひかげのかずらをはじめとする極上の花材を提供してくださったお稽古の先生には、改めて御礼申し上げる。


※「天祖神社歌占」パネル展の写真は平野さんに許可をいただいて掲載している。


板橋区ときわ台天祖神社はこちら


平野さんと天祖神社による「天祖神社歌占」開発プロジェクトの経緯詳細についてはこちら

平野多恵「新しい和歌みくじをつくる―天祖神社歌占プロジェクト」●リポート笠間58号より公開


なお、麻については、以下のWEBサイトを参考にさせていただいた。

野州麻紙工房・野州麻炭製炭所 |野州麻[公式]

日本における「大麻」をめぐる言説と生産地域との関係性 (福田 淳)

「産業用大麻 栃木の「野州麻」存続危機 外国産普及や後継者難 神道の伝統行事に不可欠 」(2018/2/16付 日本経済新聞 地域経済)


・・・2020年1月31日 追記・・・

ヤマトタケルと柊

「天祖神社歌占」では天岩戸神話の絵馬に描かれた神々だけではなく、神社の御祭神や御末社の神々もおみくじに取り入れられている。今年は、近隣(板橋区桜川)の御嶽神社に祀られているヤマトタケルと彼を導いたお犬様がおみくじに加わった。ヤマトタケルの物語にも多くの植物が登場する。

『日本書紀』では、ヤマトタケルが信濃の山で迷ったとき、ヤマトタケルを導こうと山の神が白い鹿に化して現れるのだが、そうとは知らないヤマトタケルは、蒜(ひる)を投げ打って鹿の目にあてて殺してしまう。ここでいう「蒜」とは現代のネギ、ニンニクなどユリ科の鼻をつくようなきつい臭いの野菜の総称なのだが、その臭いが邪気を払うと考えられていた。

『古事記』では、ヤマトタケルは父景行天皇の命によって東国征伐にむかう際、柊の木でつくられた鉾、長い柄の先に両刃のついた大きな武器を与えられた。柊は刺のある葉の形からやはり邪気を払う霊力があると考えられていた。数日後に迫った節分に柊が用いられるのもそのような謂れからだ。

そして柊は天祖神社の御神木にもあることから、柊を使った飾りも作らせていただいた。ヤマトタケルが草薙の剣で難を逃れたことにちなんで、「なんてん」という音から難を転じるという意味を持つ南天を合わせた。

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常緑と赤い実の植物が見せる「青丹(あをに)よし」の世界観

神社の鳥居や巫女の袴に赤が使われているように、赤は神が憑りつく色と考えられていて、ひかげのかずら、松、ゆずりは、柊などの常緑の植物と南天の赤い実の植物の組み合わせは、神々には欠かせないものといえる。

「青丹(あをに)よし」という「奈良」にかかる有名な枕詞。「青丹」は奈良で採掘される青土とも、青(緑)は奈良の緑豊かな自然を表し、丹(朱、赤)は奈良の荘厳な寺院に使われた色ともいわれている。

十数年前、奈良を旅したときに訪れた薬師寺の建物が緑と朱色に彩られているのを見て、「青丹よし」の世界観に触れた気がしたのだが、常緑と赤い実の植物を目の前にすると、これも「青丹よし」といってもいいのではないかという思いが湧きあがってきた。

地名にかかる枕詞は、もとはその土地の神々を寿ぎ鎮める「土地褒め」の役割があったことを考え合わせると、「青丹よし」という言葉のうしろには、神々の姿が透けて見えるような気がした。植物の実物を通して言葉を見ると、それまで思いもよらなかった、でも妄想ともいえるイメージがふくらみすぎて、止まらなくなっていった。



神々と植物の興味深い関係はまだたくさんあるので、いずれ稿を改めて紹介したい。







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