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冬の食卓の定番 後編(焼き餅の復活)

前編はこちらから

高齢の両親がいるので、正月に餅を食べることがめっきり減っていたのだが、お歳暮に添加物のない、真空パックもされていないお餅をいただいたので、急ぎ食べることにした。

我が家の伝統的な焼き餅は、砂糖醤油味ときな粉味の二種類。きな粉の買い置きがないので、砂糖と醤油とみりんを混ぜたものに、焼いた餅をつけて食べた。

封を切ったものの、仕事の関係でなかなか焼いて食べている時間がなく、ふと気がつくと1週間が経過していた。恐る恐る袋を取り出してみると・・・。最初から豆が埋まっていましたよというような顔をした青カビが、餅の内部から湧き出し、周りを綿毛のような胞子?が取り囲んでいた。

やってしまった・・・。そうだ、真空パックされていない、添加物の入っていない食品は、すぐに食べなくてはいけない、なめてはいけない。

それは子どもの頃、餅から学んだことのひとつだった。

* * *

昔、お正月の餅といえば、父方の祖母が餅米をついて板状に伸ばして送ってくれたものだった。鎌倉に住んでいた40年以上も前は、まだ宅配サービスというものがなくて、荷物は鉄道で運ばれてきた。祖母からお餅とみんなのちゃんちゃんこを送ったよという電話があると数日後に、母と鎌倉の駅まで受け取りにいった。

当時、鎌倉の駅の脇に物流センターのような小屋があって、今思えば郵便局の出張所のようなものだったのかもしれないが、受け取りの手続きを待っている間、小屋の奥の窓から駅構内に貨物列車が到着して、人力で荷物が上げ降ろしされているのを見た。

あの列車で運ばれてきたのかしかしら??おばあちゃんはどんなところに住んでいて、どんな人だったけ??

父方の祖母は、同じ関東内ではあったが、遠方に暮らしていて、あまり会ったことがなかった。父は5人兄弟の末っ子で上の兄たちとは年が離れていることもあり、遠い実家よりは社会人になって身を寄せた東京の叔母(私にとっては大叔母)を頼りにしていた。そんな父と実家の関係に気遣いをしたのだろうか、祖母は毎年12月になると父宛にお餅と家族四人分のちゃんちゃんこを送ってきた。

幼い頃の冬の写真のほとんどは、そのちゃんちゃんこを着ている。写真を父が祖母に送って、私たちの成長を報告していたのだろう。

先日、ある仕事で大学生とオンラインで打ち合わせをしていた。とても寒い日で、風邪をひかないように暖かくしてやってねと声をかけると、大丈夫です、ちゃんちゃんこ着ているので、と言う。「え?現代の大学生がちゃんちゃんこを着ているの??」と思わず声に出してしまった。

久しぶりの「ちゃんちゃんこ」という言葉に動揺してしまったが、私が小学生くらいまでは、どこの家庭にもあった防寒着だ。室内用和風ダウンジャケット(ダウンではなく綿入りだけど)といえば、若い人は分かってくれるだろうか?

さすがにもうちゃんちゃんこという年齢ではなくなると、学校帰りに母に呼び出されて、ある場所に向かった。現地で母と落ち合い、なんでこんなところに来ているのかを尋ねた。祖母が餅米と一緒に新年の晴れ着用の反物を送ってくれたので、それを仕立ててくれる人を訪問するということだった。

ウールの反物であったけれど、お正月に晴れ着を着ることがなくなった今考えると、なんと贅沢な新年の準備だったか。

餅に話を戻すと、祖母の家でつかれた餅はすぐに茶紙に巻かれて列車に乗せられたのだが、何しろ無添加で、真空パックもなく、乾燥剤などを素人が手に入れられる時代でもないので、新年の三ヶ日を過ぎると青いものがポツポツと出始め、ひび割れるようになった。

私たち一家が東京に引っ越してくると、ついた餅ではなく餅米が送られてくるようになった。大晦日直前に餅米を近くの精米店に持ち込んで、ついて伸ばしてもらい、自分の家で適当な大きさに切って食べた。

それでも松の内が過ぎるころには、青いカビがポツポツと出てきた。父はそのカビを包丁で削ぎ落として食べていた。毎年、母はカビが生えないように冷蔵庫に入れたり、最新式の密封のタッパを購入してたりして、保存にはかなり気を使っていたのだが、努力も虚しく、決まったように7日くらいになると青いものがポツポツと出始めた。だから、弟も父も私も昼食に競うようにして食べた。

さすがにこの年齢になると2つも食べれば十分だが、そのときは平気で5つも6つも食べられた。

甘辛好きな私は砂糖醤油(みたらし味)派なのだが、甘党の弟は断然きな粉派で、きな粉(砂糖と甘みを引き出すためにほんの少しの塩を効かせたもの)をまぶした餅だけをひたすら食べ、口の周りを粉だらけにした。父は砂糖醤油に海苔を巻いた磯部焼を好んで食べた。

ときどき、弟があんこをのせて食べたいというと母がにらんだ。母の実家が菓子店を営んでいたせいか、当時あんこは家では食べてはいけないという謎の不文律があった。

数個のお餅でおなかがふくれる、子どもならではあれこれで湧きあがるもやもやした気持ちが、お餅によってからだの外に押し出され、こころとからだがお餅でみっちりと満たされたように気分になった。

私が大学生になるくらいまで、祖母は餅米を送ってくれていたと思うが、大学4年になろうとする春に他界した。それまでに直接会ったのは片手で数えるほどではなかったか。白菜を送ってくれた母方の祖父とは違って、直接、お餅やちゃんちゃんこ、新年の晴れ着のお礼をいうことはできなかった。

* * *

お歳暮にもらったお餅にカビを生やしてしまった罪悪感を帳消しにするかのように、スーパーの餅売り場へ足を運んだ。一つひとつが真空パックに包まれているのは、もちろん知っていたが、いろいろな大きさ、薄さ、形のお餅があることに驚いた。

子どもや高齢者が喉を詰まらせないように一口大にカットされたお餅、ピザやお好み焼きに入れるようにサイコロ状にカットされたお餅、ベーコンやハム、チーズに巻いて焼くように棒状になっているものもあった。

どれも試してみたかったけれど、家族では私しか食べられないので、祖母が住んでいた地域で生産された餅米でつくられた少量のお餅を買ってみた。

早速焼いて、また砂糖と醤油とみりんを混ぜたものに漬け込んだ。プウっとふくらんでパリパリに薄くなった焦げ目を箸の先でつぶしながら砂糖醤油に漬け込む瞬間は、なんて幸せなんだろう!

こうしてリモートワークの私の昼食に、お餅が復活した。

おばあちゃん、おばあちゃんにもらったお餅で、今、私はもみっちりと満たされています。ありがとう。



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