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ミルクティーを飲まなかった日

弟一家が遊びにくるとき、母はいつも「午後の紅茶」のミルクティーを用意して待っている。

* * *

弟は小さい頃から甘いものには目がなかった。

幼いとき、近所の友人宅で誕生日パーティが催され、それに私と弟とで招待された。パーティが始まるには少し時間があるので、何かつまんで待っていてねと、友人のお母さまがジュースやスナック菓子を勧めてくださったのに、弟はこともあろうか、パーティのメインディッシュであるケーキに手を伸ばしていた。さすがのお母さまも「あ、あ、それはもう少し後でね」といってテーブルから引っ込められた。

小学校に上がるまでの弟は、私の後をついてまわり、どこでも一緒に遊びに行こうとした。でも、それを快く思わない私の友人がいて、弟を連れてこないようにと釘を刺された。転校してきたばかりでその友人に従う以外術がなかった私は、弟にかくれんぼをしようといって、弟がかくれている間に、その友人の家に行こうとした。

ところが弟は、私が自分を探さずに別の道を行こうとしたのを察知して、後をついてきた。友人の家の前で帰るように言い聞かせたが、一緒に遊ぶといって泣き出す始末。それを聞きつけた友人のお母さまが玄関まで出てきて、「いいのよ、一緒にお入りなさい」といってくださった。友人の不満顔に穴があったら入りたい気持ちの私をよそに、弟は出されたシュークリームにかぶりつき、涙、鼻水にまみれながらも満足そうだった。

おっさんになった弟は今でも、タバコを片手にコージーコーナーのクリームたっぷりのケーキを二つも三つもほうばっているし、スタバでワッフルを頼むときも必ずホイップクリームをトッピングしている。

甘いものは嫌いではないが、チョコレートやクリームが苦手で、どちらかといえばせんべいとかおかきが好きな私は、そんな弟を見ていると胃がもたれることがある。

だから「午後の紅茶」からレモンティー、ミルクティー、ストレートティーの三種類が出たとき、弟は真っ先にミルクたっぷりの甘いミルクティーを選んだし、私は甘さすっきりのシンプルなストレートティーを選んだ。

弟の「午後の紅茶」ミルクティー好きは度が過ぎていた。特に高校生のとき、学校に着くと一缶飲み(当時はまだペットボトルではなく缶だった)、お昼にお弁当を食べながら一缶飲み、学校から帰宅するとおやつとともに一缶飲んでいた。糖分の取りすぎで、将来、生活習慣病になるのではないかと、母は根拠のない懸念を抱いていた。

それがある日、帰宅後の一缶を飲まないことがあった。

珍しいこともあるものだと家族の皆がいぶかしがっていると、その日の夜中、気持ちが悪い、お腹が痛いと言い出した。よくみると脂汗が出ているような状態だったため、救急病院へ駆け込んだところ、虫垂炎(盲腸)と診断された。

それも腹膜炎を起こす直前のひどい状態だったらしく、手術も通常より時間がかかった。私も中学生のときにその手術をしたが、女の子だからビキニが着られるようにという医師の配慮から、小指の先ほどもない小さな手術痕だったのに比べて、弟のは右下腹10センチに渡る大きなものとなった。

「どうりで、ミルクティー、飲まないはずよね・・・。よっぽど、具合悪かったのね・・・」

母は、学校帰りの一缶を弟が飲まなかったことに合点がいったようだった。それ以来、「午後の紅茶」のミルクティーは母にとって、弟の健康を害するものではなく、健康のバロメーターになった。

手術も成功し順調に回復し始めると、弟はこっそりミルクティーを買ってきてくれといい、グビグビ飲んだ。

「やっぱり、ミルクティーだよね」

その満足げな顔は、私の後をついてきて追い返される直前でシュークリームをもらった幼い日の弟、そのものだった。

その年、彼は御難続きで、何ヶ月もしないうちに、今度は体育の柔道の授業で鎖骨を折る大けがをした。真夏の暑い最中、アメリカンフットボールのプロテクターのようないかついギブスを肩の周りにしていたのだが、皮膚がギブスとの摩擦や湿疹でボロボロになっていく様子は、さすがに気の毒だった。そんなときもミルクティーを飲んでいた。

その後、大学に行ってタバコを吸うようになっても、就職をして会社で一服するときも、「午後の紅茶」ミルクティーは、弟のそばにあり続けた。

* * *

結婚して子どもが生まれて、家族そろって実家に遊びにくると、母が用意した「午後の紅茶」ミルクティーをみてお嫁さんが笑う。「本当に、いつでも飲んでいますよね」

すると母は、唯一、虫垂炎で飲めなかったあの日のことを語り出す。まるでどこかの講談師のように。

「それでもあの子、一度だけ、ミルクティー飲まなかった日があるのよ・・・おかしいなと思っているとね・・・」

甥っ子が間髪入れずにいう。「おばあちゃん、それ、このあいだもきいたよ」

こうして、「ミルクティー飲まなかった事件」は、我が家の伝説としてこれからも代々語り継がれていくのだろう。



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