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市民活動をやってた時のこと

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30代〜40代半ばの12年間、まちづくりの市民活動に関わっていました。ただの好奇心で首を突っ込んで、それなりの結果も出せたけれどいま振り返ると後悔することばかりです💦反省と振り返…
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「近代建築研究会」 好奇心に突き動かされて建築探偵をやってた頃

「近代建築研究会」 好奇心に突き動かされて建築探偵をやってた頃

20代〜30代にかけてのことだった。古いうつわとか建物が大好きだったワタシは、どこかに出かける度にキズものの伊万里の蕎麦猪口を買ったり、古い建物の写真を撮ったりしていた。デジカメもスマホもない頃で主に「写るんです」(使い切りの押すだけカメラ)で写した。当然、大した写真ではない。

古い建物はとても魅力的だ。その時代に特有のデザインや工法があり、細かいところに目を凝らせば非常に凝った細工が施されてい

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父がこうだったんだ、HSS型HSP。そこから思い出す市民活動をやっていた時のこと。

父がこうだったんだ、HSS型HSP。そこから思い出す市民活動をやっていた時のこと。

先日書いた↓この記事。引用ばかりで文字数を稼いでお茶を濁した感がすごいが、改めて考えて自分は遺伝的にこの気質をかなり受けついじゃったんだ❗️と言う事がイヤと言うほど分かった。自分の父が全くこう言う訳わかんない人だったから。

落ち着きなくて、興味に任せて色々な事に首を突っ込んではすぐに飽きて投げ出す。TVドラマを見出すと最初は興味深く見ているんだけど、途中で眠くなった、と言って寝てしまう。次の日に

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NPO活動の先駆者 加藤哲夫さんのこと

NPO活動の先駆者 加藤哲夫さんのこと

*表題写真は「book cafe 火星の庭」さんのHPからお借りしました。

NPOって言葉さえ世の中に定着していなかった頃。市民と行政がタッグを組んで何か物事に取り組んでいく事がかなり珍しかった1990年代後半。加藤哲夫さんと初めてお会いした。

加藤哲夫さんはせんだいみやぎNPOセンターの代表理事だった。市民の思いが世の中を変えること。市民と行政の協働、市民が行政の下請けで動くのではなく、市民

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つたない言葉でも考えが足りなくても不完全なままでも発信・行動する/加藤哲夫さんの宿題

つたない言葉でも考えが足りなくても不完全なままでも発信・行動する/加藤哲夫さんの宿題

先日、市民活動やNPO活動の先駆者である加藤哲夫さんの、13回忌を契機とするシンポジウムに参加した。

泊まりがけで出かける予定が入っており、参加出来るか微妙なところだった。だけどチェックアウトしてから寄り道せずに戻り、何とか最後のセッションに参加する事が出来た。

*表題写真は、以前仙台市政だよりの裏表紙に掲載された加藤さんの写真です。

私が参加したセッションは「これからの『市民の仕事』〜加藤

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市民活動をやっていた時の話/思い出すのもイヤな人 その1(多分向こうも同じ気持ちだろうが)

市民活動をやっていた時の話/思い出すのもイヤな人 その1(多分向こうも同じ気持ちだろうが)

建物の保存の市民活動団体の運営をしていた時の話。これももう黒歴史だよ(自分の人生振り返ると黒歴史ばかり、💦)

なんの知識もなく、ただ興味があって面白く情熱だけで突っ走ってその後痛い目を見るという💦 みけ子はいつもそうなの。何もわからないから飛び込んでみる気持ちになったのね。こんなに大変だって分かってたら最初から首なんか突っ込まなかったわ。

そんな素人怖いもの知らずで始めた市民活動は、それま

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市民活動をやっていた時の話/思い出すのもイヤな人 その2

市民活動をやっていた時の話/思い出すのもイヤな人 その2

建物保存の市民活動。まちづくりって言葉さえ当時はなかったかも知れない。市民活動やNPO団体が社会的に認知され、関わる人たちが大幅に増え始めていた頃のことだ。

自分たちの活動する地域のすぐ近くに、プロのカメラマンの方がいた。かつて東京でも活躍されていた方で、ご自分の名前を環した事務所も運営していた。仮に菅原哲夫さんとする。

その菅原哲夫さん、日大の写真学科を卒業後に一流のカメラマンのアシスタント

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市民活動をやっていた時の話/思い出すのもイヤな人 その3

市民活動をやっていた時の話/思い出すのもイヤな人 その3

さあ、このシリーズもその3になりました!みけ子の悪口全開です(笑)人の悪口、楽しいなぁ。

市民活動も活動を続けて目立って来ると、本当に色々な人から連絡がある。長く仙台市内に住み、郷土史を研究している市井の研究家である川鍋慎三氏(仮名)もその一人だった。

かつては大手通信関係の一流企業で長く働いていた方だったか、(この辺り記憶があいまい)教養が深く勉強熱心で、貴重な郷土資料を多数お持ちの方だった

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市民活動をやっていた時の話/思い出すのもイヤな人 その4

市民活動をやっていた時の話/思い出すのもイヤな人 その4

私ともう一人のたった2人が中心になって始めた市民活動団体。何の予備知識もなく、ただ勢いだけで始めた訳で、多少経験や知識のある人だったら見てられない危なっかしさというか、いい加減の極みと言うかそんな状態で動いていた訳です。

だけどこんな世の中でよ、面倒で何の得にもならない市民活動なんてことをわざわざ始める人など、滅多に居ない訳。だから今も思うのは「市民活動なんて始めちゃうのは損得勘定も何もないバカ

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市民活動をやっていた時の話/思い出すのもイヤな人 その5

市民活動をやっていた時の話/思い出すのもイヤな人 その5

さて〜このシリーズもその5まで来ました、多分最終回。人の悪口は楽しい(笑)でも思い出すとイライラすることも山ほどあるね。

まぁ、かなり昔のことであるし自分が嫌な思いをしたと同じかそれ以上に、自分も人に嫌な思いをさせてたってのはきっと、いや絶対あるわ。

市民活動をしていて、最初から最後まで中心メンバーにいて活動にも熱心に取り組んでいた方で、やや年配の男性がいた。藤原孝さん(仮名)だ。白髪頭の穏や

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ガラス工芸家 村山耕ニさん そして金属工芸家の嵯峨卓さんのこと

ガラス工芸家 村山耕ニさん そして金属工芸家の嵯峨卓さんのこと

*表題の写真は「海馬ガラス工房」様のHPからお借りしました。惚れ惚れするような美しいガラスのオブジェです。

宮城県の有名な温泉地秋保に、ガラス工芸の工房を開いている村山さんと言う方が居る。ここに工房を構えて25年以上、ガラス工芸の分野では既に大御所であり、毎年各地で個展を開き新しい斬新な作品や日々愛用するガラスまで作風は多岐に渡る。

モロッコ国王へ作品を献上したり、「THE鉄腕DASH」のDA

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市民活動をやっていた時のこと/入念な準備と同時にその場での臨機応変に動く大切さ

市民活動をやっていた時のこと/入念な準備と同時にその場での臨機応変に動く大切さ

基本を最初はそのまま。まずはしっかり想定して考えたことをそのままその通りにやってみる。アレンジや自分流はそれがちゃんと出来てから、だ。

ずうっと前の市民活動をやっていた時のこと。その市民活動では、大勢の参加者を募るシンポジウムや講座を企画して開催することがあった。その会場のセッティングをする時。

市民活動に参加する仲間は、そういったイベントの準備はまるで未経験の人が多かった。会場を借りて準備に

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どうして大家さんになった?②

どうして大家さんになった?②

結局、私のような

「バブル期に社会に出て苦労せずに就職先を探せた世代」は

仕事に対してちょっと甘い考えを持っちゃうんじゃないか、と。

仕事が大変ならば次を探せば良いじゃん、

仕事先なんていくらでもあるし、アルバイトで食い繋いでも十分やっていける、

そんな風な認識になっちゃっているんですね。

今は笑い話になってますが「24時間戦えますか?」って

あの頃は本気で皆んな思っていた気がします

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どうして大家さんになった?③

どうして大家さんになった?③

市民活動団体を約10年ばかり継続して、うまい具合に

歴史ある東北大学片平キャンパスの建物群は保存活用されることになりました。

しかしその約10年間は自分にとって苦しい修行というか、

いつもいつも問題山積で悩むことばかり。

「あ〜なんでこんな事始めちゃったんだろう?」という思いの連続でした。

取り組んでいることと、自分の実力とがまるで合っていなかったんですね。

関係機関との交渉とか、団体

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