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記事一覧
1995年のバックパッカー13 香港2 善意と欲望とギャンブラー
それは、1995年の5月5日金曜日の出来事だった。
チュンキンマンション、スプレンディッドアジアのドミトリーで10時に目覚めた僕は、早くも馴染み始めた香港の街をゆったり歩き、木陰の多い九龍公園のベンチでくつろいでいた。
そこへ小柄で目の大きい東南アジア系の男が、屈託のない笑顔を浮かべながらやって来て、僕のすぐ隣に座った。歳は35くらいだろうか。その男はチャーリーと名乗り、初対面の外国人通しが交
1995年のバックパッカー12 香港1 巨大な龍の街とドミトリー
香港へ降り立つと、久しぶりの陸地の感触に浸る間もなく、僕はそそくさと歩き始めた。
フェリーのレストランで同テーブルだったカナダ人の老夫婦が安宿への道案内をかってくれたので、黙ってついていった。のんびりとしたフェリーの上とは違って、巨大な生物のような蠢きが香港にはあって圧倒された。十数分で到着したチュンキンマンションと呼ばれる巨大な雑居ビルは、ヨドバシカメラ新宿西口本店を思い出させた。もちろんチュ
1995年のバックパッカー10 中国5 上海
烏魯木斉空港では出発ゲートでうとうと寝てしまい、8時40分発便に乗り遅れそうになった。スピーカーからの大きなアナウンスもなく、静かな搭乗だったに違いない。
いや、中国で静かな搭乗などありえない。がやがやとした喧騒の中、それでも眠っていた僕は、案外疲れていたのかもしれない。
機内では朝食にカップラメーメンが配られたが、まずかった。床には唾が吐かれ、ゴミが散乱し、人々は大声で会話し、隣の女性は嘔吐
1995年のバックパッカー8 中国3 北京から烏魯木斉へ列車の3泊4日
北京駅を出発してから最初の朝は、7時頃に寝台で目覚めた。気分は良く、すっきりしていた。
列車は鄭州から洛陽へと向かう途上で、窓の外には春の花々と田園が薄い霧に包まれている風景が続き、その淡く優しい色彩と甘い輪郭の世界は、まるで天国のようだった。
車窓の風景を、寝そべりながら楽しめる軟臥(ソフトベッドの寝台)はかなり快適で、これなら1週間でも乗っていられそうだと思った。日本にいる時でさえ寝台車の旅
1995年のバックパッカー 7 中国2 北京
到着した日の翌朝は、9時に起き、北京駅まで歩いた。
昨日の夜、天津からのバスで降ろされた辺鄙な所は、実は駅から徒歩圏内だったが、40分は歩いた。ホテルでもらった地図だと近そうに見えたのだが、区画のサイズが日本とは違った。
北京駅では次の目的地ウルムチまでのチケットを事前購入するつもりだった。
到着した日の翌日からそういう動きをするのは、自分の用意周到を好む性格の表れだった。言い換えれば、気の
1995年のバックパッカー 6 中国1 天津から北京へ
15時。
僕は生まれて初めて中国へと入国した。
天津港には、国土の巨きさを映すような雄大で孤独な造船所が並んでいた。ここで造られた船にとっては母胎となる天津の港。サーモンが故郷の河を遡上するように、船というものも故郷に帰るのだろうか。
僕は、コンクリートと鉄で固められた造船所を見るのが好きだ。現代の文明が、たった今稼働しながらも、同時に太古の遺跡にも似ているような、時空が曲がる感覚が得られる。
1995年のバックパッカー 5 韓国3 仁川の夜に泳ぐ
東仁川は、ソウルから1時間だった。
到着は14時半。そのままホテルを探して歩き始めた。20分ほどで、ラブホテルのようなものを見つけチェックイン。部屋に入ると、コンドームの自動販売機があり、匂いからも、そこがラブホテルだと確信した。そうか、韓国ではラブホテルも普通に泊まれるんだと、新しいことを知った気になった。
荷物を置くと、すぐに東仁川の街を散策した。
ソウルから来ると小じんまりとした印象だ
1995年のバックパッカー 2 日本 出発前夜 「旅に出る理由」
1995年。27歳の僕は、カメラマンであるということに、人間であることに、暮らしていくこと、生活費というものに、甚だ呆れ返っていた。
誰もがその上を歩かざるをえない社会的な軌道の存在が、不思議でならなかった。いったい何なのだろう?この仕組みは、という違和感。
馬鹿馬鹿しい、馬鹿馬鹿しい、と声にこそ出さなかったが、心と魂がそういうものを抱えていた。
約束された成功の軌道に乗ったカメラマ
1995年のバックパッカー 1 序章
僕がこれから書こうとしているのは、1995年に始まった世界一周の旅のことだ。もう30年近く前の話になる。
多くのことは忘れてしまったが、丁寧に辿れば覚えていることも少なからずあるだろう。失われるはずのない大切なことは、心の奥底で再び拾い上げられるのを待っている、そんな気がする。
幸運にも僕には写真がある。これが大きい。
気が向いた時になんとなく撮っていたに過ぎない当時の写真たち。それら