藤代冥砂

主に、写真と小説やってます。 http://meisafujishiro.org

藤代冥砂

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マガジン

  • 1995年のバックパッカー 第一部 東アジア

    1995年。写真家の藤代冥砂は突然仕事を辞め無職となって世界一周無期限の旅に出た。ミスチルのジCDカバー写真などすでに結果を出していたが、約束された未来を捨て、1人の日本人バックパッカーになった彼には幼い頃からの夢があったのだ。世界を自由に気ままに旅して生きる。インカやアンコールワットを見たい。恋人と別れ旅に出た彼の旅は2年に及んだ。

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    PIP 6 OKINAWA 琉球 T-shirt 墨色

    写真家藤代冥砂が「自身の撮影した作品を布の上に展示する」というコンセプトで始めたフォトアパレルブランドPIP。1年以上ぶりの6作めは、11年住んだ愛着のある沖縄をテーマに。フロントに聖地浜比嘉島のビーチ、バックに戦禍を免れた富盛の石獅子といった、藤代が愛する沖縄のアイコンを配し、PIPの特徴でもある大胆なグラフィックもいつも通りの楽しさです。
    9,800円
    PIP
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    PIP5 LightSweat JapaneseWOLF

    シリーズ5作目は、ライトスウェット。7.4oz ロングスリーブとパーカーの中間的な位置付け。 薄すぎず厚すぎずで、使いまわしに何かと便利。 今回の写真は、絶滅したニホンオオカミのスカル。 神格化された動物をウエストにレイアウトし、腹部を守っていただこうと。 バックにはブランド名PIPの元となった2つのフレーズ、PHOTO IS POWER PHOTO IN PEACE をKODAKとFUJI FILMへのオマージュ色で。
    11,000円
    PIP
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    PIP4 OXFORD-SHIRTS ROSE WITH YOU

    シンプルなコットン100%オックスフォードボタンダウンシャツに、バラのバックプリント。フロントにはブランドのボックスロゴと、作品番号。 花の写真を背負ったボタンダウンシャツは、とてもレアで、ジェンダーレスに楽しめます。
    11,000円
    PIP
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    PIP 6 OKINAWA 琉球 T-shirt 墨色

    写真家藤代冥砂が「自身の撮影した作品を布の上に展示する」というコンセプトで始めたフォトアパレルブランドPIP。1年以上ぶりの6作めは、11年住んだ愛着のある沖縄をテーマに。フロントに聖地浜比嘉島のビーチ、バックに戦禍を免れた富盛の石獅子といった、藤代が愛する沖縄のアイコンを配し、PIPの特徴でもある大胆なグラフィックもいつも通りの楽しさです。
    9,800円
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    PIP5 LightSweat JapaneseWOLF

    シリーズ5作目は、ライトスウェット。7.4oz ロングスリーブとパーカーの中間的な位置付け。 薄すぎず厚すぎずで、使いまわしに何かと便利。 今回の写真は、絶滅したニホンオオカミのスカル。 神格化された動物をウエストにレイアウトし、腹部を守っていただこうと。 バックにはブランド名PIPの元となった2つのフレーズ、PHOTO IS POWER PHOTO IN PEACE をKODAKとFUJI FILMへのオマージュ色で。
    11,000円
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    PIP4 OXFORD-SHIRTS ROSE WITH YOU

    シンプルなコットン100%オックスフォードボタンダウンシャツに、バラのバックプリント。フロントにはブランドのボックスロゴと、作品番号。 花の写真を背負ったボタンダウンシャツは、とてもレアで、ジェンダーレスに楽しめます。
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最近の記事

1995年のバックパッカー 9 中国4 烏魯木斉

烏魯木斉での初日は、9時に起きた。快眠だった。 11時頃にホテルを出て、まっすぐ中国銀行に向かい、300アメリカドル分のトラベラーズチェックを中国元に両替した。 ちなみに2024年現在は、トラベラーズチェックという面倒なものは存在していないだろうと思っていたが、昨日町田駅近くのワールドカレンシーショップで、トラベラーズチェックを換金している人がいて驚いた。手間よりの安全性ということだろうが、あんな面倒なものは僕なら二度と使わないだろう。 さて、話を1995年に戻そう。

    • 1995年のバックパッカー8 中国3 北京から烏魯木斉へ列車の3泊4日

      北京駅を出発してから最初の朝は、7時頃に寝台で目覚めた。気分は良く、すっきりしていた。 列車は鄭州から洛陽へと向かう途上で、窓の外には春の花々と田園が薄い霧に包まれている風景が続き、その淡く優しい色彩と甘い輪郭の世界は、まるで天国のようだった。 車窓の風景を、寝そべりながら楽しめる軟臥(ソフトベッドの寝台)はかなり快適で、これなら1週間でも乗っていられそうだと思った。日本にいる時でさえ寝台車の旅は未経験だったのに、いきなり外国で3泊4日というのには不安もあったが、取越し苦労

      • 1995年のバックパッカー 7 中国2 北京

        到着した日の翌朝は、9時に起き、北京駅まで歩いた。 昨日の夜、天津からのバスで降ろされた辺鄙な所は、実は駅から徒歩圏内だったが、40分は歩いた。ホテルでもらった地図だと近そうに見えたのだが、区画のサイズが日本とは違った。 北京駅では次の目的地ウルムチまでのチケットを事前購入するつもりだった。 到着した日の翌日からそういう動きをするのは、自分の用意周到を好む性格の表れだった。言い換えれば、気の小ささとも言える。行き当たりばったりで事を済ます度胸がなかった。次のことを確認し

        • 1995年のバックパッカー 6 中国1 天津から北京へ

          15時。 僕は生まれて初めて中国へと入国した。 天津港には、国土の巨きさを映すような雄大で孤独な造船所が並んでいた。ここで造られた船にとっては母胎となる天津の港。サーモンが故郷の河を遡上するように、船というものも故郷に帰るのだろうか。 僕は、コンクリートと鉄で固められた造船所を見るのが好きだ。現代の文明が、たった今稼働しながらも、同時に太古の遺跡にも似ているような、時空が曲がる感覚が得られる。それは少し大袈裟に言うなら、夜空を眺めて、光る星々の寿命や興りに触れる時の揺らぎ

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        • 1995年のバックパッカー 第一部 東アジア
          9本

        記事

          1995年のバックパッカー 5 韓国3 仁川の夜に泳ぐ

          東仁川は、ソウルから1時間だった。 到着は14時半。そのままホテルを探して歩き始めた。20分ほどで、ラブホテルのようなものを見つけチェックイン。部屋に入ると、コンドームの自動販売機があり、匂いからも、そこがラブホテルだと確信した。そうか、韓国ではラブホテルも普通に泊まれるんだと、新しいことを知った気になった。 荷物を置くと、すぐに東仁川の街を散策した。 ソウルから来ると小じんまりとした印象だが、若者向けのストリート、市場、スーパー、飲み屋街などが区分されていて、一通りコ

          1995年のバックパッカー 5 韓国3 仁川の夜に泳ぐ

          1995年のバックパッカー 4 韓国2「ソナさんの浅さについて」

          僕はソナさんの綺麗さに、なんだか緊張した。 神戸のあの夜は、本当に現実に存在したのだろうか、咄嗟になぜかそう思った。 「わたし、浅くない?」 あの夜、彼女がつぶやいた問いは、僕の中に小さくない何かを残していた。そういう質問を受けたのは、生涯であれっきりだ。僕がどう答えたのかは覚えていないが、確かに彼女の言う通りだった。 そんなソナさんが、あの時と同じ綺麗な姿のままで現れた。僕は最初から動揺した。僕たちは、ホテルのバーでビールを一杯ずつ飲んだ。ついこの前までなら、東京のそ

          1995年のバックパッカー 4 韓国2「ソナさんの浅さについて」

          1995年のバックパッカー 3 韓国1

          翌朝6時に起床を知らせる電灯がついた。 2等船室に雑魚寝していた韓国の人々は、起床直後だというのに大きな声で会話を始めている。地声が大きいのか、母国への到着がよほど嬉しかったのか、とにかく彼らの朝の第一声は明るく大きかった。僕は手際良く寝具を片付けると、その会話の響きから逃れるようにデッキへと上がった。 4月の初旬の朝6時はまだ薄暗く、未明の空と海とのグラデーションを特に美しいと感じることもなく、ただぼんやりと眺めていた。起きたてでも機能する性欲とは違い、美しさへの感動は

          1995年のバックパッカー 3 韓国1

          1995年のバックパッカー 2 日本 出発前夜 「旅に出る理由」

           1995年。27歳の僕は、カメラマンであるということに、人間であることに、暮らしていくこと、生活費というものに、甚だ呆れ返っていた。  誰もがその上を歩かざるをえない社会的な軌道の存在が、不思議でならなかった。いったい何なのだろう?この仕組みは、という違和感。  馬鹿馬鹿しい、馬鹿馬鹿しい、と声にこそ出さなかったが、心と魂がそういうものを抱えていた。  約束された成功の軌道に乗ったカメラマンとしてのまあまあなポジションを意識しつつ、東京の享楽的な生活を楽しんでいた僕だ

          1995年のバックパッカー 2 日本 出発前夜 「旅に出る理由」

          1995年のバックパッカー 1 序章

            僕がこれから書こうとしているのは、1995年に始まった世界一周の旅のことだ。もう30年近く前の話になる。 多くのことは忘れてしまったが、丁寧に辿れば覚えていることも少なからずあるだろう。失われるはずのない大切なことは、心の奥底で再び拾い上げられるのを待っている、そんな気がする。 幸運にも僕には写真がある。これが大きい。 気が向いた時になんとなく撮っていたに過ぎない当時の写真たち。それらを見ていると、あの時の空気や音、匂い、そして自分の気持ちが再び立ち上がってくる。

          1995年のバックパッカー 1 序章