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1995年のバックパッカー13  香港2 善意と欲望とギャンブラー

それは、1995年の5月5日金曜日の出来事だった。

チュンキンマンション、スプレンディッドアジアのドミトリーで10時に目覚めた僕は、早くも馴染み始めた香港の街をゆったり歩き、木陰の多い九龍公園のベンチでくつろいでいた。

そこへ小柄で目の大きい東南アジア系の男が、屈託のない笑顔を浮かべながらやって来て、僕のすぐ隣に座った。歳は35くらいだろうか。その男はチャーリーと名乗り、初対面の外国人通しが交わすようなありきたりの会話をしばらくした。

彼のキャラクターと、昼間の公園ののんびりした平和の空気もあって、僕の警戒心は自然と緩んでいった。当たり障りのない会話も、やがて話題切れとなり、そろそろ行こうかと立ちあがろうとした時に、チャーリーは「実は妹が」と切り出した。

「実は私には22歳になる妹がいて、近々歌手として新宿へ出稼ぎに行くのだが、はじめての海外なので不安になっている。是非これから妹に会って、日本のことをいろいろ教えて欲しい」

ざっとこういうことだった。僕は女性が絡んできたことに多少警戒したが、いろいろ話した感じでは悪い人ではなさそうだし、なにか怪しいと感じたらすぐに戻ろうと考えて、好奇心に従うことにした。


僕はチャーリーの後ろについてバスに乗り、モンコックで下車してある安宿に到着した。彼の部屋は僕の滞在しているチュンキンマンションと同じような値段だった。その割には小綺麗で、こっちに引っ越そうかなと思った。そこにはチャーリーが話していた肝心の妹の姿はなく、ハンガーにかかった女物のジャケットだけがあった。チャーリーに言わせれば、すぐに戻るだろうということで、待つ間ににチャーリーは彼自身のことを話し始めた。

彼はクアラルンプールの5星ホテルのカジノのトップディーラーで、ミニマム5000米ドル以上ベットの特別客を相手にしていると言った。面白そうな話なので、なおも聞き続けていると、バッグからトランプカードを取り出し、簡単なマジックを見せてくれた。本当にディーラーなんだろうとひとまず信じてそのマジックに付き合っていると、もし僕がクアラルンプールに来たら勝たしてあげると言い、ブラックジャックのやり方から、彼の送るサインの読み方まで教えてくれた。

ブラックジャックなら、あらかじめなんとなく知っていたから、僕はすぐにだいたいのことを理解した。

簡単に言えば、ブラックジャックというゲームは、各自に配られたカードの合計が21に近いほど強く、21にいかに近づけるかを競うのだが、21を超えたらバーストとなって問答無用で負けになる。何枚もらうかは自由に選択できるので、その辺の運と読みと駆け引きが醍醐味となるシンプルなゲームだ。絵札はすべて10とカウントし、1は1か11を選択でき、その他は数字分だけになる。

対戦相手は、普通のブラックジャックではカードを配る役のディーラー(親)とプレイヤー(子)で競うもので、複数のプレイヤーが同じテーブルにいてもプレイヤー同士で競うことはない。あくまでディーラー対個人のプレイヤーのゲームだ。ただ、チャーリーが教えてくれたのは、変則的なプレイヤー対プレイヤーのゲームでのことだった。このタイプのブラックジャックでは、ディーラーであるチャーリーはただのカードを配る役で、その中で対戦相手が持っているカード、そしてこれから配るカードの情報を、対戦相手であるもう一人のプレイヤーに内緒でサインを僕へ送り、それによって僕が圧倒的に有利な条件でゲームができる、つまり勝つことができるということだ。

チャーリーは10本の指のそれぞれに数字を与え、相手の伏せているカードと次に配るカードの数字をどの指を立てるかによって教えてくれるのだ。内心こんなのは通用しないだろうなとは考えたが、別にそうだとしてもこれは雑談の一つでしかないわけで、ただこういう世界もあるのだろうなと遊んでいた。


彼の指導?もあって、僕のぎこちなさも徐々になくなり、チャーリーのサインを読み取りつつ、頭の中で21へ近づけるための計算もスムーズになり、問題なく技術習得となった。もちろん本気でそういうことをするつもりもなく、クアラルンプールまで行ってカジノに行く予定は全く想像できなかった。僕には一攫千金よりも、節約しての世界一周が何よりも大切だったからだ。またカジノに行って賭ける勇気なども全く持ち合わせていなかった。

だが、チャーリーは君には才能があるだの、クアラルンプールに来たら絶対勝てるなどとおだてるのであった。褒められて悪い気はしないが、所詮ここだけの遊びで、新宿で歌手として働く妹さんが気になっていた。もし可愛かったら、香港滞在もさらに楽しくなるなと期待しつつ。

僕は妹さんが来るまでに、チャーリーのギャンブル練習に付き合うことにした。そのチャーリーの指導?は、次第に真剣味を増していくのがわかっりつつも、クアラルンプールに来たらプレイヤー25%、ディーラー75%の取り分で組もうなどと持ちかけられても現実味は0だった。

そして、今から友人が来るので、僕が200米ドル出資するので、リアルな練習をしてみないかと誘われる段になって、ようやく怪しいなと感じ始めたが、僕が出資するのでないなら別にやってもいいかなという気になっていた。

チャーリーが言うには、クアラルンプールでは5000米ドル以上のゲームになるから、その時にビビらないように実際君が大丈夫か確認させてくれということだった。君はお金を払わなくていいんだから気楽にやってくれ、ということで、僕は乗ることにした。


しばらくしてリネンのスーツを着た浅黒い長身の男が現れた。この安宿に似つかわしくない身なりの紳士で、ブルネイの金持ちだとチャーリーは僕に紹介した。歳は40くらいか。チャーリーが言うには、彼は昨日シャングリラで5万米ドル勝ったばかりだが、彼にとってはそんなのはたいした金額ではないということだった。

その彼は、これから中国の美しい女性との約束があって、彼女から連絡があったら行かねばならないがそれでもいいだろうか、と申し訳なさそうに言った。もちろん構わないと僕が答えると安心したようで、チャーリーもリラックスした様子で、練習だしねと僕に目配せした。

ゲームが始まると、僕とチャーリーは練習通りに冷静にこなし、いとも簡単に買ってしまった。ほんの数分で200米ドルを手に入れた。そして、その後の数ゲームも勝ち、ブルネイの紳士は少しムキになってきているのがわかった。僕はいたって冷静で、なるほどチャーリーが言うように、案外僕はこの手のゲームには向いているのかもしれないと考えた。

ブルネイの紳士は、あと5ゲームお願いしたいと申し出た。そろそろ中国の美女からお呼び出しがあると察したのか、自らゲーム数を限定してきた。

そこからの最初の1ゲームも勝った。負ける気がしないし、負けるわけがなかった。この時テーブルにはすでに400万円に値するコインが並べられていた。つまり次に勝てばその400万円が手に入ることになる。だが、もし負けたら400万円はチャーリーが払うのだろうか。

ちょうどそんなことを考えていた時に、ブルネイの紳士は、そのことを突いた。私にはキャッシュがあるが、この日本の人は400万円を保証できるのかと。それはもっともなことだった。すでにカードは配られていて、僕はすでに勝っていることを確信していた。それはチャーリーも同じだった。すでに勝っているのはわかっている。彼のカードの合計よりも、僕のカードの合計の方が21に近い。勝っている。つまり400万円を手にできる。半分ずつだとしても200万円にもなる。それはこれからの旅にとって大きな大きな資金だ。

チャーリーと僕はいたって冷静だった。勝利を確信しつつも、笑顔を封印して、ドキドキしている感じを演じる余裕すらあった。チャーリーはブルネイ人にこう告げた。「では資金を調達してくるから1時間ほど待ってもらいたい。それまでこのカードはこのまま保管しよう。」そう彼は言って、それぞれの手持ちカードを別々の封筒に入れて封をし、継ぎ目に全員のサインを入れ、セイフティボックスに入れ、その鍵をブルネイ人に渡した。ブルネイ人は納得した様子で何度もうなずき、僕たちと一緒にいったんその安ホテルから外出した。そして1時間後にといって別れた。


その彼が逆方向に見えなくなったことを確認すると、僕とチャーリーは小さな歓声を上げて、ガッツポーズをした。チャーリーは、僕に向かって「君は本当に素晴らしい。冷静でそして役者の才能まである。君のような人に出会えて僕はラッキーだ。クアラルンプールには必ず来て欲しい。なんなら僕が旅費を出して招待したっていい。その時は私が75%もらうけど、今日は50:50でいこう」と嬉しそうに言った。その表情は屈託がなく、九龍公園で始めた会った時の印象のままだった。

そして、すでに勝っているとは言え、ブルネイ人に見せるための現金を用意しなければとなった。チャーリーは「自分もある程度現金はあるし、足りない分は友人のシリー夫人に借りることが可能だが、できれば君にもできる範囲でなんとかしてほしい」と言った。

僕は現金をあまり持っておらず、旅の資金はトラベラーズチェックにしてあったので、それらの現金化するのと、クレジットカードのキャシングをしてこのくらいになるという金額を伝えたが、チャーリーの表情は微妙だった。そしてせめてその倍くらい用意してもらえるとなんとななるんだが、資金が作れなかった場合は、このゲームが成立しなくなって、リセットされてしまうんだ、というようなことを言った。リセットとは、すべてなかったことにとなる。いくら練習がてらとはいえ、少なくとも数百万円は勝っていたので、それがなくなるのは納得いかなかった。とはいえ、僕にできることは、クレジットカードで金などを買ってそれを現金代わりに了承してもらうということくらいだった。チャーリーはそのアイデアに賛成し、あとは彼とシリー夫人の分でなんとか400万円を作れると当てがついたらしい。

僕たちは、歩けば当たるというくらいにその辺にある金の店の一つに入り、金のネックレスやブレスレットと、時計を一つを僕のクレジットカードで買った。

当時27歳の僕と、時代の状況からか、キャシングは額が限られていて、買い物の上限額もたいしたことがなかったはずだ。つまり自分でもそれなりに思い切ったことをしたと思う。世界一周のつもりで出た旅だったが、まだわずか一月ほどしか旅していない中で、資金問題に関わる大きな出来事だった。

ただ、すぐに回収できると分かっていたので、それほど深刻ではなかったが、それでも当時の僕にとっては、深呼吸をしたくなるほどの額だった。

チャーリーはといえば、シリー夫人に電話をして、お金を借りる当てをつけた。こうして僕たちは、意気揚々と嬉しさと緊張感とで内心上擦りながら、再びブラックジャックの決着をつけようとチャーリーの安ホテルへと向かった。





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