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1995年のバックパッカー 1 序章

 

「ライドライドライド」のコンタクトシート。3箱ある。

僕がこれから書こうとしているのは、1995年に始まった世界一周の旅のことだ。もう30年近く前の話になる。

多くのことは忘れてしまったが、丁寧に辿れば覚えていることも少なからずあるだろう。失われるはずのない大切なことは、心の奥底で再び拾い上げられるのを待っている、そんな気がする。

幸運にも僕には写真がある。これが大きい。

気が向いた時になんとなく撮っていたに過ぎない当時の写真たち。それらを見ていると、あの時の空気や音、匂い、そして自分の気持ちが再び立ち上がってくる。そこには年を重ねた今現在の僕の気分も混じってしまうに違いない。都合よく昔のことだけが純粋に現れるわけではない。それは仕方がないことだろう。

 

コンタクトシート(ベタ焼き)の箱も傷んでいる。

当時の旅を記録し出版したものとして、既に「ライドライドライド」が僕にはある。その出来栄えには満足しているし、今でも様々な世代から感想をもらえるのは嬉しい。
「ライドライドライド」は、ノオトのような大きさとページ数で写真集にしてはやたらと軽い。そこには、旅先に持参してほしいという願いがこめられている。本というものは旅の中で読者に深く寄り添うことがある。移動中や安宿のベッドの上で、僕が多くの本を暇に任せて読み耽り、時はその中の文章に助けられたように。

これから書こうとしている長い物語が、そんなふうに読者に迎えられたらいいなと思う。旅する人だけでなく、かつて旅していた人、そして旅とは縁が無い人にとっても、素敵な場所へ連れて行ってくれることを願っている。

既版の「ライドライドライド」の紙幅では、2年間の旅の全体を網羅でるはずもない。そのため「ライドライドライド」では、恋愛や女性関係だけにフォーカスするしかなかった。そこにあるのはある種のハイライトだけだ。

ならば、それ以外の膨大な時間はは確実に書かれるのを待っている。僕はそう感じた。まだ、待ってくれていると。
残ったままになっていたアザーストーリーズは、放っておいたら、このまま僕の記憶からさえも消えてしまっていたに違いない。そのことがずっと気がかりだったけど、書き出さなかったのは、すでにある「ライドライドライド」で充分じゃないか、という内なる声があったからだ。

未来を向いた暮らしの中で、過去のことをほじくり出すような行為にうっすらと嫌悪感さえあった。だが、そういう嫌悪感は今ではさっぱり消えてしまい、あの二年間のストーリーは読者にとって何かしらの価値があるかもしれない、などと図々しく考えるようになった。こういうのを年を重ねるというのかもしれない。
だが、何よりもそれを記すことは楽しそうに思えた。自分の通った道を辿って書き残すというのは。

 

当時の日記たち。他にもまだあるが、痛みが進んでいる。

そして今、まだ書かれていない残りのパートを残そうと決めた。
それはまずは何よりも自身のためである。あの20代の2年間が、後の僕に与えた大きな影響。それは、言葉に残しておかなければ、いずれ無かったことになってしまう。自分の記憶からすら、日ごとに消えてしまうだろう。そして僕が死んでしまったら、いよいよ存在しなかった事実になる。

写真はすでにある。ただ、それだけでは不十分だった。相互に補完する言葉も不可欠だった。まずは僕自身のために始めようと決めた。
それは老いた時に人生を振り返って追憶を楽しむためではない。未来を思う時には、過去が道標になる。その道標を生真面目にも彫り出しておこうと考えたのだ。

現在僕は56歳だ。もう若くはない。だが老人でもない。つまり、まだ多くの未来が少なからず、ある。それを自ら開き、受け取るために、20代のあの旅の整理が必要な気がした。これは直感だ。

なんだか仰々しく力んでしまったが、つまりはそういうことだ。

さらに、この旅の様々が、読者に何かしら力を与えることも夢見ている。ここではない何処かへ。その感情は、時代や世代を超えて、誰かの心に必ずある。もしくは眠っている。その場所へこの言葉と写真の記録が役に立つ、そんなことを夢見ている。


旅のネガシート。褪色がひどくなっていた。

写真と日記、当時使っていた地図やガイドブックのロンリープラネット。それを横に置いた。準備は整ったと言える。

さて、どんな文体にすればいいのだろう。どんな立ち位置にしようか。ただ、そればかりは固めずに行き当たりばったりにしてみよう。なぜなら、僕は今、再び新しい旅の入り口に立ったのだから。

27歳の自分の横に立ち、もしくは背中を追って行こう。過去をなぞる旅はいつしか現在の旅になると思う。心は日常の重力を失い、街や道の音を聞くだろう。あの人の言葉を受け止めるのだろう。1995年のバックパッカーは、再び彷徨い始める。

つづく。

次回は、1 日本 出発前夜 「旅に出る理由」です。
お楽しみに。


ぼろぼろのパスポート。これは旅の最中に発行した二冊目。ローマで発行。宝物だ。


告知
「1995年のバックパッカー」は、毎週日曜日に更新します。 

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