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下心がある偽善者が悪とはかぎらない

こんにちは、めぐしです。

前回は、
「偽」という言葉について掘り下げてみました。



そして今回は、
「偽善」という言葉について
考えてみたいと思います^^


というのも、
誰かが寄付した時などに、

「偽善者だ!」


と言っている人をよく目にすることがあり、、

「相手が喜んでいるならそれでよくね?」
「てか何もしないよりはよっぽどよくない?」

っていつも思っているからです^^;


「やらない善よりやる偽善」


って言葉もあったりしますが、
そもそも「偽善」って何なんでしょう?

意味としては、
下心があったり「自分の為にやる善」
みたいな感じだと思います。

でも僕は例え下心があっても、
「人の為になることなら別にかまわない」
と思っています。




もちろん、
純粋に人の為を思っての行動が理想ですが、
下心があるのがダメだと言うのなら、、

お金が欲しくて働いている人は
全員もれなく偽善者ですね。笑


なので、
自分の為という想いがあるかないか?」
は相手にとってさほど重要ではないはず。


しかも逆に、
人の為と思ってやった行動が
「相手にとって悪だった」
っていうケースがよくあります★


「良かれと思って」


ってやつですね^^;



親のエゴで子供に習い事を強制していたら、、

「子供からしたら悪」


喜ぶと思っていつも贈り物をしていたら、、

「実際は迷惑に思われていた。。」


などなど、
こういうケースも視方を変えれば、
悪であり偽善と言えるんではないでしょうか?

しかも自分では善と思い込んでる分、
よりタチが悪いかもしれません^^;


だから大切なのは、
「相手にとって善であるかどうか?」
ということ。


自分にとっての善は、
「相手にとって悪の可能性がある」
ということを忘れずに、
常に相手目線で考えられる人でありたいですね☆


正義の押し付けと似てますね⚔






最後まで読んでいただき、
ありがとうございました^^

とりあえず、今日も人生、楽しもう♪
心の声の、おもむくままに☆






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