哲学は終わった学問

哲学は終わってる

・終わった学問

 普通は科学はどの分野も終わりというものはなさそうなものです。

 しかし哲学は終わった学問です。

 ですから高校の社会科では哲学を含めた学問を倫理学でくくっています。

 終わったと言っても哲学史や哲学の応用は興味深いもので現在も研究されてします。

 ただ哲学を他の学問と比べて一段高く見せるような真理探究の学としての哲学は終わっています。

 テレビでもどこでも現代哲学している哲学者みたいなものを見かけたことがある人はいないでしょう。

 というわけで哲学周辺の学問分野がどうなっているか解説します。

・哲学の終わり

 20世紀後半ごろに現代思想ブームがあって「~の終わり」という言葉がよく使われました。

 曰く「人間の終わり」「歴史の終わり」「近代の終わり」などです。

 「歴史の終わり」というフランシス・フクヤマの本もその後に流行りましたが同じ「歴史の終わり」といっても自由主義、民主主義、資本主義、市場主義が歴史の最終形態であってこれ以外の政治形態になることはないという内容の本で、上とは違うものです。

 終わりということでいうと哲学も終わった学問です。

 何でもそうですが物事には定義が大切で、「どういう意味で終わっているのか」という終わりの定義が問題になります。

 「(オワコン)終わったコンテンツ」ということではありません。

 コンテンツは流行り廃りもなくまさに最終形態の完成品ですのでその価値は不変です。

 哲学が終わったというのは哲学は基礎的な意味でこれ以上研究、あるいは探求することがなくなった、必要がなくなったという意味です。

 数学で言えばフェルマーの最終定理やポアンカレ予想みたいに結論が出たと言うことになります。

 これ以上探求する必要のない終着点に達した、完成した、その他どのように表現しても構いません。

 
・哲学の何が終わったのか

 「哲学が終わった」というのは大雑把な表現ですのでもっと詳細に表現してみます。

 哲学とは西洋近代哲学です。

 もっと広く取れば西洋哲学とくくって、古代ギリシアを含んでもいいですし、アラビアの影響を受けた中世神学の一部の論争を含んでも構いません。

 近代西洋哲学の中でも、存在論と実在論が近代西洋哲学の中心になり、それ以外は現代の視点から見ると哲学ではありません。

 ですから哲学が終わったというのは存在論と実在論についての決定的な理論ができて、これ以上研究の余地がなくなった、ということを意味します。

・哲学が含んでいたもの

 近代西洋哲学が含んでいたものはカントの哲学を見るとわかりやすいでしょう。

 カントの三部作は『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』になります。

 このうち『純粋理性批判』は存在論と認識論の研究で「哲学が終わった」という場合に終わっているのはこの部分です。

 『実践理性批判』は今日でいう倫理や道徳になります。

 簡単にいうと「人はどう生きるべきか」の研究です。

 これは現代哲学では扱いませんが現代思想では扱います。

 現代哲学から見ると哲学の扱う対象は存在論と認識論だけであって、倫理や道徳ではありません。

 思想を研究するのが倫理学という人もいます。

 今日ではこの倫理の広い定義が昔に比べて浸透しています。

 高校の社会では現代社会、政治経済、世界史、日本史、地理と並んで倫理があります。

 この場合の倫理が広い定義になります。

 倫理については狭い定義で「人はどう生きるべきか」のようなものもあり今でもしばしば使われます。

 誤解がないように使い分けられればどちらでもいいでしょう。

 広い意味の倫理は思想を研究する学問で、場合によっては哲学を含みます。

 高校の倫理では広い意味で倫理を使っています。

 カントの『実践理性批判』はこの倫理の狭い意味の定義の方を扱っています。

 カントの『判断力批判』は「真善美を判断する人間の能力」についての研究です。

 真善美の中で「善」については倫理の最も狭い意味は「善悪を定める」「何が正しいか正しくないか」についての理の探究です。

 また「人は何を美しいとするか」「美とは何か」は現代哲学の対象ではありません。

 真善美の中の「真」は現代哲学と大変関係があります。

 哲学は真理追及の学問というのが売りでしたので「真理とは何か」は現代哲学の中心的な問題でした。

 まとめるとカントの分類では哲学は、①存在や認識の研究、②人はどう生きるべきかの研究、③その他、に分かれます。

・哲学の中核と今では哲学でないものへの分離

 哲学を近代西洋哲学の系譜に属するものとすると中心のテーマは、①存在や認識の研究、になります。

 これは現代哲学で、現代哲学は、②人はどう生きるべきかの研究、や、③その他、を追求しません。

 追求する場合は現代思想と呼ばれます。

 あるいは哲学ではなく倫理学やその他の学問で扱うものと考えます。

 例えば美醜について考えるのは美学や美術、音楽、文学などの芸術、それも含めて人文科学系の心理学、自然科学なら昔風にいうと大脳生理学、今風なら認知科学や脳科学になります。

 カント後、人がどう生きるべきかは例えばドイツ観念論ではヘーゲルなどが観念論から人倫を導きましたし、実存主義哲学というのは、②人はどう生きるか、を探求するものです。

 それは今では倫理学に含まれたり道徳論で研究されたりします。

 神学はここでは無視します。

 美醜はどういう精神要素か分かりませんが、感情や感性を扱うのであれば芸大や文学部でいいですし、自然科学なら現在では大脳研究になります。

・倫理と哲学

 高校の社会科の倫理で哲学を扱っているように現在は哲学は倫理学の一部と見なされることが多いですが、現代哲学の前までは倫理学が哲学の一分野とも言えたわけです。

 倫理学は人の思いなし、あるいは思想を扱うので構造主義がいろんな分野に導入されたときにそれらをひっくるめて現代思想と言いました。

 思いなしを扱うので宗教や道徳や狭い意味の倫理や流行的な考え方や時代の風潮なども扱います。

 哲学は脱宗教化や科学主義、心理主義が社会一般、特に知的階層では支配的になると、①存在や認識とは何か、と、②人はどう生きるべきか、は別問題となってきます。

 ③その他、は更にもっと別問題となりもはや哲学の焦点は西洋近代哲学の中心的な問題であるカントのいう純粋理性、すなわち存在論と認識論に絞られてくるのが現代哲学です。

 学問や科学の細分化とも言えます。

 結果として現代哲学においては、①存在や認識とは何か、実在論と認識論の問題が解決されてしまいました。

 これが解決されたから他の学問分野が哲学ではなくなったという逆の関係もあるかもしれません。

・現在、これからの哲学の在り方

 現代哲学は完結しているのでこれを学ばなくていいというのではなく、習得することは前提になります。

 ただし基礎的な部分は完成しているので新たに研究する必要はありません。

 現代哲学をどう応用するか、というのは研究対象になりえます。

 実用的な応用とすると②人はどう生きるか、や、③その他、あるいは社会にどう生かすか、と言うことになります。

 こういうのは倫理であったり他の学問と言ってしまってもいいかもしれません。

 哲学というよりは倫理学ということで最近は哲学者というものはみかけず倫理学者というものをよく見かけます。

 また哲学の研究と言っても哲学史の研究だったり、哲学者の事績や残された文書を読み解く研究でしょう。

・ニューアカデミズム

 1960年代はまだ実存主義者のサルトルが頑張っており、社会活動として彼の生き方の選択としてモダニズムのあだ花ともいうべきマルクス主義活動に邁進していました。

 サルトルと構造主義者のレヴィ=ストロースの論争などがありましたが1970年代はフランス現代思想というのが花開き、日本でも立教大学などでの受容の時期を経て1980年代には現代思想が各分野に導入され流行します。

 東大などでは現代思想家の蓮見重彦氏が総長になりましたし、『知の技法』という本が売れたりしました。

 いわゆる現代哲学を知の必修教養として常識にしようという意図があったのかもしれません。

・哲学が終わると何が起こるか

 哲学が終わっても哲学は勉強する意味はあります。

 特に現代哲学は必修の教養として習得しておくのが望ましいと思います。

 これは伝統的な哲学の文脈から離れて現代哲学単体で習得するだけで十分です。

 現在では現代哲学は数学、ITをはじめ実学として使われますし、多様性の時代に他者と話す際にポスト構造主義的スタンスすら取れないと他者と違いを尊重する話し方や態度も取れなくなってしまいます。

 現代哲学より前の哲学についていえば知っていても知らなくてもどっちでもよく現代では必修とは言えないでしょう。

 知っていれば便利ではありますし、人と話を合わせる際に役に立つこともありますがそれは哲学に限った話ではないでしょう

 そういう意味で哲学史に興味があれば哲学史に、個々の哲学者の哲学を信念としたければその哲学者の哲学を学べばいいでしょう。

 昔の哲学は、②人はどう生きるべきか、や、③その他、が含まれていることが多く、諸兄の人生の何かにはなるかもしれません。

 そもそもそういう学び方なら現代哲学以外の哲学を深堀しなくても高校の倫理の教科書や解説書をまず読むくらいでもいいかもしれません。

 哲学の研究は過去の哲学では文献・書誌学や哲学史や哲学と社会や誰への影響などの周辺分野を研究する感じです。

 哲学をこれからの世の中に活かそうとするのであれば応用哲学になりますが、それこそ倫理や正義論などの話になります。

 個別のイデオロギーを分析したり、新しいイデオロギーを作ったり、すでにあるイデオロギーを改造したりして社会に役立てるわけですが、それは現在では倫理学と呼ばれます。

 というわけで人文系で広く過去の哲学を含めて思想全般を研究するものをひっくるめて倫理学と呼び、現代哲学もその中に含まれますが現代社会の教養として必須なのでアメリカなどの教養大学、あるいは日本の教養課程や各学問の総論部分で勉強することになることが多いでしょう。

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