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しりん
2023年2月17日 10:57
今回のコラム『く旅れた』は、ちょっと趣向を変えてみる。筆者の懲戒解雇のちょっとした休暇を利用して、ヴァカンスの穴場であるプラベント首長国へと足を伸ばすのだ。あまり聞きなれない地名だが、知る人ぞ知る、まだ知る人に会ったことはないが、私も知らなかった。まだ雪が舞う当地から、国内便で成田へ、そして国際線の端っこでプラベント・エアに乗り換える。離陸の瞬間は、何度経験しても胸が躍るが、今回は、離陸
2023年1月28日 16:51
真実とはなにか、真理とはなにか、と問うとき、この言語で問われたその問いは、すでに幾分、間が抜けてみえるのだ。(もっとも、どの言語であれ、その問いそのものが間抜けていないか、私には何とも言えない。)ことばという魔物は、いつでもじわじわと純粋思念を侵食するが、「写真」ということばも、そのひとつだろう。それが白黒の粗い画像の時代から、誰の仕業か、こいつは「真を写す」などと、荷の重すぎる名を背負わさ
2022年12月2日 23:28
欲望とは本来アモルファス(不定形)で底なしなので、ひらがなカタカナの読み書きと足し算をマスターしてもなお、人はプリキュアと建築士とパン屋さんとピアニストになり余裕があれば病院の先生になって父を治したいという情熱を、矛盾なく抱くことができる。Brilliant!欲望を『ひとつの目標っ!』や『めざせ志望校っ!』という年季の入った型にはめるていのやり方は、人の成長や成熟の過程とは本来無関係だ。むし
2022年12月1日 21:23
冬の風われに魔物が棲む日あり風情も余韻もありません。読んでそのままです。この魔物が時に私を食い殺すきっかけは明白で、それは絶対孤独(のようなもの)です。なんと呼べばいいか、あなたはあの悪夢のおぞましさに、何と名前をつけますか?高校のときからなにかとお世話になっている Green Day この詩を解したときの、一種抉られた心境は忘れられない。この頃の私は、もろもろありながら、
2022年12月1日 07:23
めがさめて ゆきのあかりで めはさめてまどをあければしろいまちのどのかわきにみづをのみはらもすいたがけんしんのあさなりたればものくはずけんしんなればものくへずきさんじせんとそとにいでくるまにつんだゆきをかきかたにつもつたゆきはらひしろいつしきのまちをながめいまおとづれるふゆをおもひまうすぎさりしふゆもおもひ「ばりうむ」をおもひにがわらひおもふあ
2022年11月30日 19:57
さいきん出不精の娘を、半ば無理やりに膝頭運動公園に連れていった。膝歩き、膝走り、膝自転車、膝スキー、膝バレーを堪能したぼくたちは、膝まづいてお弁当を食べた。お昼からは、特設イベント『楽しもう!殿中でござる』にも参加することができて、娘はたいそうご満悦だ。進路に悩む彼女も、しっかり膝を使えたことで「旗本以上になる」という目標が見えてきたようだ。励みにと、帰りに『絶対突破 昌平黌』を買い与えた。膝
2022年11月30日 19:46
えと、さ。アタシもね、あなたが好き。クールで素っ気ないとこが。話しかけても、ツンとしてるとこが。だからさ、付き合っても構わないで。目も見ないで。知らない人のフリして。とにかく近づかないで。どっか行って。この世界から消えて。来世も、来来世も、縁なくすれちがいたいの。よろしくね。
2022年11月30日 15:47
私が惚れたその人は、私が生まれた時には、この世界にはいませんでした。人並みの望みと失望とを繰り返し、30年余り、ごくごく平凡に生きてきたが、半年ほど前、退屈しのぎに立ち寄った小さな美術館の、肌寒い小展示室で、あの一葉のモノクロ写真と出会った瞬間から、私の内側には、狂おしさとしか呼びようがない魔が巣食ったのです。あるいは私が、そのような狂気を元々持ち合わせていたのでしょうか。彼女について調べ、はるか
2022年11月22日 23:34
若いころからしばしば、ふ、と、極めて危ない気配が濃密にただようのですが、これもちょいとコツがあり、なんだろう、こう私の中身(のようなもの)を現実寄りに引っ張る、たぐり寄せる、おびき寄せることによって、私はだいぶ上手くみんな仲良し正気の世界、にソフトランディングできるのです。「あー同じ逃げならこっちの水が少しだけ甘いですよー」「ほら狂ってみても少しも楽じゃないですよー」みたいな、口だけコンサルの惹句
2020年2月5日 22:58
Note というフィールドは、良く言えば自由不羈(表現においてこれより大事なものはないと思います)、敢えて憎まれ口を叩けば hatchpotch つまりごった煮、自己紹介のひとつも掲げておかねば、書き手が何者か皆目分からず、警戒と過剰な牽制から、せっかくの貴重なご縁をみすみす失いかねないと決心して、早や四年。――四年。おう。四年間、何をしていたのだろうか。**まあ、いろいろしていました