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フラペチーノ、マシマシ、ホット、ストレート、ゼロカロリーで

欲望とは本来アモルファス(不定形)で底なしなので、ひらがなカタカナの読み書きと足し算をマスターしてもなお、人はプリキュアと建築士とパン屋さんとピアニストになり余裕があれば病院の先生になって父を治したいという情熱を、矛盾なく抱くことができる。Brilliant!

欲望を『ひとつの目標っ!』や『めざせ志望校っ!』という年季の入った型にはめるていのやり方は、人の成長や成熟の過程とは本来無関係だ。
むしろ、 profession (生業なりわい)という宗派が人に課す負担と責任(=教義)を、若い人たちが先取りした/させられた結果に過ぎない。
宗教なんです。

プリキュアに関しては、本人による再吟味を待つ。それでよい。
建築士とパン屋さんとピアニストになりたい、ついでに神経内科の医師になりたい、という子どもの欲望を、大人は苦笑いで、あるいは説教で削りにゆく。(説教とは本来、純粋な宗教用語であることに留意。)

それぞれのライフステージで、あるいは自分の能力と向き合い、あるいはある程度の怠惰や妥協を肯定し、あるいはさまざまな人やものとの出会いを経て、子は自ら欲望をカスタマイズしてゆくだろう。
複数の「なりたい仕事」が学士以上を要件とするならば、それらを大人が言う『最短距離』で達成することは難しいとも知るだろう。

だ が 、そ れ が ど う し た 。
生きている限りは人生であり、人生において達成したいことを全人生かけて達成(しようと)することも、また立派な人生である。

私自身が忘れっぽいので繰り返すが、特にこの国では『それでは食っていけない』とか『片手間ではできない』とか、そういうナイナイ呪言に逆らうようなキャリア形成は、望ましくないということになっている。

や か ま し い 。
ある時に2級建築士でも取っといて、資格グレードアップの片手間にパン屋さんでパートでもして、建築士を開業して後に個人でピアノレッスンでもやりながら、ある時ふと、顧みて満たされない心を埋めようと駅前辺りでプリキュアでもやる
(弊社によるモデルケース) 

どれも片手間の限り、どの一つで食ってけてなくとも、どれかとどれかとどれかで食ってけてればいいじゃないか。

教師や親は、コンサバでアナクロな世の圧に負け、ナイナイ呪言で小さい人たちの欲望を削りにかかることだけは、避けた方がよい。

それを避けた上で、大人、ぼくたちの仕事は、スムーズでストレスレスだと思える順序、あるキャリアが次のキャリアのインスピレーションになる蓋然性がより高い順序の控えめで対等な提案、それに過ぎないです。

強要も罪、無干渉も罪。


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