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2020 自己紹介

Note というフィールドは、良く言えば自由不羈(表現においてこれより大事なものはないと思います)、敢えて憎まれ口を叩けば hatchpotch つまりごった煮、自己紹介のひとつも掲げておかねば、書き手が何者か皆目分からず、警戒と過剰な牽制から、せっかくの貴重なご縁をみすみす失いかねないと決心して、早や四年。

――四年。おう。

四年間、何をしていたのだろうか。

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 1969年7月20日、喧しいアポロ11号の船内でニール・アームストロングが書いたとされるシンプルな自叙伝は、月に到着し帰船し地球へと帰還し、やがて気狂いじみた熱狂と興奮の坩堝に巻き込まれるなかでどこかに消え、雑踏にもみくちゃにされて逸失したと伝えられる。いささか残念にも思えるが、こうも言えよう。それは失われるべきであった。歴史を書き換えているさなかに、ひとは己の歴史を語ることなど出来はしない。ことばではなく、その身ひとつで語られる歴史。そして、月にその足跡を遺した偉大な男に限らず、わたしたちもまた、そのように生きるほかないものだと信じて、何が不都合だろうか?

――Sheleane(1978) One Small Step

*

まあ、いろいろしていました。

しりんと申します。
一度乗ったジェットコースターは必ず上り、必ず下る。いまはその下りに差しかかった辺りだと認識しております。具体的には、五百円札を使ったことがある感じの齢です。
初恋の生き物は、ピッコロです。
好きな食べ物は「ねるねるねるね」と「ポイフル」で、娘と好みがぴったりです。
3歳から二十代いっぱい、剣道やっていました。だいぶ強いですが、真剣は切れるから怖いです。包丁も怖いです。あと、野球大好き古銭とか集めるのは、あまり誰にも言えない趣味です。好きな硬貨は鳳凰百円、好きな紙幣は高橋是清の五十円券。
音楽はほんといろいろ聴きます。絶対音感ありますが、何一つ生かせていません。

偶然にも福山雅治と同じ街に生まれ、ひょんな事から太宰治が辞めた大学を辞め、奇遇にも村上春樹が住んでいた街に長居し、現在は不思議なことに大泉洋が愛する街を愛し、ぼけーっと住んでおります。
こんな奇跡があるだろうか。

HNは一貫して、現在8歳の愛猫の名前を拝借しています。実によく出来た長にゃんです。いまは病気でしりんとは別居中ですが、また一緒に住みはじめたら、猫のろけでも書こうかと考えています。

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いろいろ書きます。節操ないです。節操ないのが唯一の節操です。逆に、このジャンルを書きたいという切望がちっともありません。湧き上がる不定形のもやもやを、もやもや然とことばに移してゆく営みが好きなだけです。
いつか、こういう作物を書きたいなあ、と思いたいなあ。

よい文章を読むことが、たぶん何より好きです。そして、よい文章を書く人と、よい文章を読むことが好きな人が好きです。よい文章とは、大雪の翌朝の轍のようなもので、ああ、こういうよい文章も「あり」なんだな、と驚かされるような日は、わたしの大吉です。

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二十代の前半から、大手予備校で英語の先生をしておりました。なかなかよい教師でした。夏目漱石という作家とアランという思想家が好きで、わたしも彼らのように静かに知を生きる教師でありたいと、我ながらよく頑張っていたと思います。いまでも、身体が許せば、すぐにでもチョーク一本持って現場に戻りたい。

こころは、さして頑丈な方ではないです。主に、過剰に人目と評価が気になる性質です。困ったことだ。
パニック障害9年目、抑うつ8年目。さまざまな薬のトラブルもありました。いまは、断薬をして sober です。つらい日もあります。強くなりたいな。

2019年の7月、札幌に引っ越してすぐ。突然呼吸困難になり、身体に力が入らず、目が開かなくなりました。即入院で、指定難病の「重症筋無力症」と診断され、いまは闘病の初心者です。体調とも、薬(ステロイド)の副作用とも、不確かな生活設計とも同時に向き合うのは、正直なところ楽ではないです。
娘が3歳で、わたしがわたし都合で勝手に「いち降りた」するわけにもいかないから、ただただ明るく日々を送りたい

そんなこんなで、いま、わたしの note は自分の機嫌を取るための精神安定剤代わりです。波は寄せる日もあり、引く日もあり。いつか、子守唄のような穏やかなことばを紡ぐ日がやってきますように。

*

偶然のご縁ほど、ひとがひとを生きる醍醐味は、ほかにちょっと無いように感じます。
だいぶ変わった性質の人間ですが、決して悪い方ではないと思います。

ご愛顧、よろしくお願いいたします。

February, 2020 退院の夜に

しりん 拝

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