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エッセイ/スラムは消えたのか?
昨夜は、科学映像館のサイトから、「スラム」(1960年)という資料映画を観た。
私は映画――さらに言えば映像・音声メディア全般――が大の苦手だ。等質に、無情に侵略してくる情報の大波に、思考と感性がついてゆけない、潰されてしまうからである。私的に観なければならない Youtube 動画は、0.5倍速か0.75倍速に下げる。溢れそうになったら、止める。
世の中は止まらない、こちらから逃げるしかない
Is That a Nightmare?
地域や性別や引きの善し悪しにもよるだろうが、ぼくら(コギャル世代)の時代、なべて暴力的であった。
いや、『的』など生ぬるいぜ。暴力そのものであった。
多くの親は怒鳴り、頭を叩き、かなりの圧で駄目出しをしていた。教師は教師で、ひどい贔屓が当然で、それにそぐわなければ怒鳴られ、ビンタされ、ケツを蹴られ、人格否定の暴言を受けていた(ガキながら、これが日教組すなわち共産党の本性だと日々唾棄する思いだった
Bluebird Lullaby
むかーしむかし、あるところで『青い鳥』という卓れた寓話を書いたのはリリエンタールではなくてハイエルダールでもなくて、作者とチルチルとミチルという内縁関係にある3名は、何かのために唐突に青い鳥を探しにゆくのだが、それは確か、この子の七つのお祝いにお札を納めに参るその途上、実にさまざまの魔物――スライムにはじまり森喜朗に至る魔物オールスターズ――に出会いと別れを繰り返し、やがて倒れた彼らは青は藍より出
もっとみるA Bit Away from Human
世の中が窮屈である。どうにも窮屈である。
原っぱだろうと雑居ビルの谷間であろうと、北海道にいようと東京にいようと、どうもこの事情は変わらない。
テレビか何かで、マナー講師が誰かのありきたりの振る舞いをファナティックに非難すれば、今度はそのマナー講師を、第三者がネット上でファナティックに非難する。
YouTuber の愚かな振る舞いを叩く。
スポーツ選手の不品行を叩く。
ちょっとそぐわないと我先